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さすがはアメリカ、日本ではちょっと考えられない記事発見です。
ロサンゼルス市議会は、満場一致で南部ロサンゼルスにファストフード店の新規出店を禁止。 この地域は貧困化しておりファストフード店が急増、肥満率が非常に高いそう。 それもそのはず、この地域だけでファストフード店は400店近くあるとのこと。 この禁止令は1年後も延長される見込み。。。 時間が無いときでも女性一人でも気軽に入れるファストフード、安さや手軽さがこんな事態を
招くなんて…、ちょっと怖さを覚えた記事でした。ファストフード・格差社会・肥満…アメリカの 抱える大きな問題がこんなところでも複雑に絡み合っているような気がします。もちろん日本だって 他人事で傍観しているわけにはいきません。 欧米化が進むのはけっこうだけど、生活習慣の見直しもしっかりしないとです。 |
気になるこの記事
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【国民に忍耐訴え=キューバ議長】 7月27日12時24分配信 時事通信 革命記念日の祝賀集会で演説するラウル・カストロ国家評議会議長。食料やエネルギー 価格の高騰が世界中で起きていると指摘、生活苦にあえぐ多くの国民に忍耐を呼び掛けた。 (26日、キューバ・サンティアゴデクーバ)(AFP=時事) 革命記念日とは『キューバ革命』の先駆けとなった、『モンカダ兵営襲撃』の日。 1953年7月26日、当時26歳の若き弁護士 フィデル・カストロが率い、当時キューバで2番目に 重要な兵営を襲撃。この襲撃は失敗に終わったものの、1959年1月1日の革命政権樹立の発端となる 重要な出来事に。そのため毎年7月26日は「革命記念日」とされ、議長による演説が行われている。 キューバといえば今年2月にフィデル・カストロ元議長が退任、弟のラウル・カストロが新議長になった ばかり。兄フィデルのカリスマ性や存在感が大きすぎて、新政権の改革路線が見えてくるのはもう少し 先なのかもしれない。 ラウル・カストロ政権は「効率的な社会主義」を目指す。
国民の声に耳を傾け、対話を重視していく方針を示すなど、世論の動向に敏感のよう。 革命政権樹立から49年、この間ずっとアメリカに経済封鎖されるなど困難な状況に置かれ、それでも 切り抜けてきた小国・キューバだからこそ、新政権発足後の朗報発信を期待していきたいと思う。 |
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日本人旅行者「世界一の客」 日本人として、なんとも誇らしい記事が目に付きました。 オンライン旅行予約会社最大手のエクスペディアが、旅行者の評判を国籍別に調査した ところ「エクスペディア・ベスト・ツーリスト2008」に日本が2年連続1位に!! 行儀の良さ、ホテルでの静かさ、苦情の少なさなどの項目で評価されたそう。 日本人という国民性が、良い方向に評価された結果。 悪く言えば、腹立たしい政治にもふざけた制度に対しても、不満を持ちながら従うことに慣れ 抗議活動や暴動もほとんど起きない。だからこの評価は、物静かな日本国民の誇るべき点を 気付かせてくれたようにも思えるのです。 ちなみに逆の評価を受けてしまった国は… 「現地の言葉を話そうとしない」1位はフランス 「現地の料理に興味を持たない」1位は中国 だそうです。 国際色豊かな時代だから分かる自分の国のこと、旅行という側面から見た国民性も、
なかなか面白いなーと思った記事でした。 |
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前回の記事、インド&ネパール料理のお店“KUMARI”で思い出しました。 昨年(2007年)7月の新聞記事にあったネパールのクマリ免職処分についてです。 【ネパールの生き女神(クマリ)が、伝統を無視したとして神の地位を失った】 〔JAPAN TIMES 姉妹紙 週刊STより〕 ネパールで、「クマリ(KUMARI)」と呼ばれ童女現人神として崇拝されている10歳の少女が伝統を 無視してイギリスのドキュメンタリー番組出演のためアメリカを訪問し、「神」の地位を失った。 サジャニ・シャクヤは2歳のとき首都カトマンドゥ近くの古い町バクタプールでクマリ (ローカルクマリ)に“就任”、宗教文化が生活に深く根付いているネパールにおいて、 彼女はヒンズー教徒にも仏教徒にも崇拝されていた。 しかし、彼女は最近、ネパールの伝統と現代の政治的混乱に迫ったイギリス制作の ドキュメンタリーを宣伝するためにアメリカを訪れ、地元の宗教指導者たちを激怒させた。 「彼女が何の許可もなく外国へ行くのは、伝統に反しており、間違っている」と、 バクタプールのクマリ伝統を司る団体代表のジャイ・プラサド・レグミ氏は言った。 ネパール・カトマンズ渓谷には数人のクマリ=生き神様がおり、今回免職処分となった サジャニ・シャクヤはその一人で、バクタプールのクマリ(ローカル・クマリ)であった。 中でも最も重要なクマリ(ロイヤルクマリ)はカトマンドゥのダルバール広場にある15世紀の寺院に 住んでいる。全てのクマリは、仏教徒のサキャ族の家から32もの厳しい審査を通過して選ばれる。 クマリに選ばれた2歳〜5歳の少女たちは初潮を迎えるまで寺院に住み、神に仕え、その後は 家族のもとに戻り、普通の生活を送ることとなる。元クマリであった女性と結婚した男性は 早死にすると言われているが、実際のところ幸せに暮らしているようで真偽のほどは…である。 ネパールでは、クマリの伝統が子どもの人権侵害のではないかと捜査中だ。批判者からは、 子どもに一般的な生活が与えられないという声が上がっている。一方では、クマリには きちんとしたケア・教育・生活・尊厳、そして“引退”後の手当てが与えられていると訴える。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-* こんなに小さなときから神様として生きる…言語・人格形成といった大事な時期を、
親元を離れ館の中で過ごさなくてはいけない運命、厳しい審査により選出されたにも 関わらず、幸か不幸かと思ってしまいます。ヒンドゥー教と仏教が共存するネパール、 訪れてみると、それはそれでまた違った感情を抱くのだろうな。 |
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前回紹介したミャンマー映画に関連した、気になる新聞記事より。 ≪ミャンマー難民出身のデザイナー 渋谷・ザニーさん≫ 「難民であることを隠さなければ生きられないと思っていた。」 1988年に起きたミャンマー(ビルマ)の軍事クーデター後、民主化運動の幹部だった父は 弾圧を逃れて日本へ。(このとき学生・市民・僧侶などがデモに参加していたが、軍が出動して デモに発砲、3,000人とも言われる犠牲者が出ている。) 5年後、母と二人で来日。 ミャンマーには帰らないという父の強い意志から、小学校で必死に日本語を覚え友達をつくった。 それでも、高校時代にアルバイトを申し込んだ先すべてから拒否されるなど、差別も受けた。 昨年9月にミャンマーで起きたデモ、そして軍事政権による僧侶らの弾圧。 「僕が難民になった理由と、原因は同じ。ごく身近に難民がいると知らせ、 多くの人にこの問題に目を向けてもらいたい。」 現在はデザイナーとしての仕事が成功し、仕事で関係するアパレル10店舗から協力を得て UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の募金箱設置を始めているという。 かつてアパートで聴いた人気ミュージシャンの衣装をデザインするなど活躍している。 日本で生まれ育った私たちにとって、難民問題はどこか遠くにある話。
でもそれは、彼らが難民であることを隠して、隠さざるを得なくて生きているから。 ニュースやドキュメンタリー番組で見る難民はごくごく一部、私たちの周りにも 必死で日本の社会に溶け込もうとして、生きている人たちがいる。 その苦労という重い荷物を少しでも軽くしてあげられるのは、私たちなんだ。 |


