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12月25日、クリスマスも間もなく終わり。 ということで、ちょっぴり苦く、そして嬉しいクリスマスの思い出など…。 それは昨年、2008年のクリスマスの、ちょっと前。あの時の私はかなり沈んでいました。 事件が起きたのはイヴの2日前、12月22日。ニカラグア最大の観光都市と言われるグラナダで 欧米系旅行者の多い宿に泊まっていたのだけど、その雰囲気がどうも好きになれず別の宿へ移動。 新しく移った宿は前日下見に行っていて、スタッフさんともお話して中も見せて貰い決めた所です。 シンプルながら、木の床とベッドと、明るいベッドカバーが気に入っていました。 ニカラグアは決して治安の良い国とは言えないので、出かける時は手ぶらで、小銭をポケットに。 他の荷物はひとつにまとめて念のため南京錠で施錠したう上、ベッドや机の脚にくくりつけて。 市場の雑踏に迷い込んでふらふらして、近くの混雑していたレストランで食事をして戻りました。 すると…部屋が開いてる!何かの都合で移動されたのかと思いつつ「やられたっ!」と悟りました。 荷物はありませんでした。窃盗なんか日常茶飯事、騒ぎ立ててもみんな「あら大変」と見ている程度。 顔面蒼白になりつつ宿を出て、交通整理の警察を探して来て、一緒に本署へ。この時はもう、日本に帰る しかないと思いました。だって、何もないんです。体中の力が抜けて思考が追い付かなくて、それなのに 警察官3人はチャラチャラと「結婚してるの?まだか。じゃぁ彼氏はいるの?」笑えない。警察に行ってこちらは一生懸命状況 を説明、まだ犯人は近くに居るかもしれないから、一刻も早く捜査して欲しかったのだけど、の〜んびり。 警察が動かないなら自分で動くしかない!荷物の特徴と、それを持って出て行った人物を見ていないか ホテル周辺で聞き込み。20キロ以上ある荷物を軽々持てたとしても、かなり目立つんじゃないかと思い。 今考えると自分でもびっくりするくらい、警察官に「他の部屋も、ホテルの倉庫も全部探して!」なんて 要求し、自分は電話を借りて日本大使館に連絡。忙しい所駆け付けて下さった大使館の方に心から感謝です。 結局荷物は他の客室から出てきましたが、洋服や洗面道具以外、売れるものはボールペン1本に至る まで全て持っていかれました。犯人は警察の犯罪者リストにも載っている常習犯。たった一人、小柄な 警察官が執念の捜査を続けてくれた事が嬉しかった…ナイナイの岡村さんに似ている彼は、その後何度 もホテルに足を運び一人で犯人探しをしていました。あの時は自分の事でとにかくいっぱいいっぱい だったけど、今もしお会いする事があれば笑顔でお礼を言えるな、なんて思います(^.^) 結局あのホテルには荷物を置いただけで泊まることはなく、この日は大使館の方が連れて行って下さった ホテルへ。町で一番の高級ホテル、US$100強ですが、ニカラグアでこの値段は超高級です。 出来れば、こんな気持ちで泊まりたくない素敵なホテル。しかし私、何を考えたのか気分転換にホテル のプールで泳ぎ始めてしまいました(゜o゜)せっかくプール付きなんだからと。でもどこかスッキリしたくて。 こんな高級ホテルに長居などできず、翌日にはコスタリカへ行こうと思ったのに警察の盗難証明がまだ。 書類庫の鍵を持っている人が居ないからまた来て、と。その後何度も足を運び、結局手に入ったのは 夕方。直行バスは朝発。すると旅行会社の人が隣のお宅(とても立派!)に事情を説明、泊めて下さいました。 こうして、いくつもの親切に助けられながらトランス・ニカのバスで国境を越えコスタリカへ。 クリスマスとあって、故郷へ帰る人で大混雑の国境。私はニカラグアを出ることでホッとしていました。 コスタリカに入ってからも一人でいると、あの時のことばかり考えてしまい気が滅入るばかり。 そんなとき、チェックインした小さな宿・ホテルエルビスでクリスマス・パーティーが始まりました! エルビス・プレスリーが大好きで、あちこちにポスターが貼られた宿でオーナー・エルビスの音楽仲間が集いビールと バーベキューが振舞われ、オヤジバンドのビデオ上映会。この時やっと、ニカラグア事件がどこかへ。 (写真左・久々に酔っ払ったパーティーで、右がエルビス) (写真右・今も捨てずにとっておいてあるホテル・エルビスの領収書) USBメモリーに入れていた写真のデータも、日記を付けたりブログ更新していたPCもカメラも 持って行かれてしまい、なかなかショックから立ち直れなかった私。でもこのホテル・エルビスでの パーティーを機に、少しずつ「まだまだ旅はこれからだ!」と思えるようになったのです。 これからはクリスマスが来るたびに、そんな事を思い出すのだろうな。
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2008-NICARAGUA-
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ニカラグアの食堂はとってもワクワクするところ。 レストランでメニューを開くのも楽しみだけど、 実物を見ると一層お腹がすいてきて食欲が増します。 ニカラグアの食堂では、出来合いの料理が並んでいて、食べたいものを お皿に盛ってもらうスタイル。一品一品値段が決まっていて、最後に 飲み物を頼んで会計。好きなもの、試してみたいもの、何でも頼めます! 調子に乗ってあれこれ頼んでいると…お皿を見てビックリ! まだたくさんの料理たちが待っているのに、お皿にスペースが無い…。 一通りザッと見てから頼むのが賢い方法です。 いつも混雑していたお店で、皆必ず頼んでいたポテトフライ、 「何か違うのかな?」と一緒になって頼んでみると…なんとバナナフライでした! 色も形もポテトフライですよね...? でも料理用バナナはお芋のようにホクホクしているので、 塩をふって食べて見ると…ポテトフライに変身! 朝食から夕食まで、セットメニューもなかなかバランスが良いです。
そして暑い暑いニカラグアで、太陽の日差しを存分に浴びた立派なフルーツたち。 カットフルーツは町歩きのお供に最適です。 写真を見返しているだけで、またニカラグアの食堂に行きたくなってしまうのでした♪ |
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首都マナグアからミニバスで1時間、コロニアル風の美しい建物が 目につくようになると、そこはグラナダ。ニカラグアの観光都市です。 レオンやマナグアに比べ明らかに旅行者が多いことからも、その「観光都市」ぶりが伝わります。
多く建っています。北部レオンでそうだったように、時間も暑さも忘れて町歩き。 中米最大の湖・ニカラグア湖は町の中心からおよそ1キロ。この湖へ通じる道がちょっと問題。 コロン公園からまっすぐ延びる道は観光客用のお洒落なレストランや旅行会社が立並んでいるのに 対し、それと並行して走る1本隣の通りはまるでごみ捨て場。ちょっと残念な光景でした。 ここもまたマナグア湖同様、水は茶色く濁っていました。 (湖というと、グアテマラ・サンペドロから見たアティトラン湖とついつい比較してしまいます…) 中心地から少し離れると。。。なんでもないような風景もまた、いい! チナンデガ、レオン、リバスと出身地は様々でしたが、みんな故郷自慢、 いつか彼らの自慢の土地を訪ねてみたいな…、そんな出会いでした。 |
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ニカラグアの首都・マナグア。富と貧困が混在する中米で、 この都市はその構図をはっきりと目にする場所でもあります。 大都市マナグアの見所であるはずの共和国広場周辺に人影は無く、 昼間から静まり返り異様な雰囲気。夜は電飾の立派なツリーが浮かび 上がるようですが、昼間の静けさから察するに夜は更に近づき難そう。 共和国広場に面して立つ立派なカテドラルは1972年の大地震で被害を受け、現在は 立ち入ることのできない廃墟となっています。外観だけだととても美しく廃墟とは 思えないのですが、近づくとあちこちにひびが入っています。 カテドラルに向かって左に建つのがルベン・ダリオ劇場、かと思いきやここでは無いそう。。 (ルベン・ダリオはニカラグアが誇る詩の巨匠、北部レオンの出身です。) こちら国立宮殿。1978年、反政府ゲリラFSLNが国会議員の 大多数を人質にとったニカラグア革命の舞台です。 この国立宮殿は一部国立博物館として一般に公開されているのでチケットを買って入ってみると… こ、これはチョット…。正直、国立博物館でありながらこんなにひどいのは初めて! 設備にはお金をかけているようですが、展示内容がめちゃくちゃ。 市場にあるような民芸品から子供の描いた絵、図工の作品と思われるもの、誰が作ったか よくわからない像、それも自由に触れるので芸術的価値はほとんど無いように思えます。 結局、最後までニカラグア革命に関する展示は何も無く、 そしてこの博物館が何を伝えているのか分かりませんでした…。 再び炎天下の外へ出て北へ進みマナグア湖を目指します。 湖でも見ながらのんびりお昼ご飯でも…とマナグア湖を見てビックリ!お世辞にも美しいとは いえないほど汚染されています。結局ホテル近くまで戻って遅いランチとなりました。 翌日は新市街を散策。 キューバ革命の影響を受けたニカラグア革命の国とあって、ここでもチェ・ゲバラを目にしました。 大きな国旗がはためくロータリーに面して立つのは巨大なショッピングセンター・メトロセントロ。 ニカラグアとは思えない異空間です。 そのすぐ傍には斬新なデザインの“カテドラル・メロトポリターナ”。 首都マナグアの新しい象徴でありながら、そこへ続く道は多くの物乞いが座り込み あちこちから手が差し出されています。周辺各国のカテドラルとは全く違った雰囲気。 つかみどころの無い首都、2日間いろいろ歩き回りましたが、 結局マナグアという大都市の姿がよく見えてこないのでした。 その、つかみどころの無さ、複雑さがマナグアなんだと言われれば、そうなのかな?
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ニカラグアの古都・レオン。 数々の古い教会が残るこの町はまた、革命の地でもあります。 時の大統領・ソモサの独裁政権とその一族の富の独占に対し立ち上がり、大統領亡命にまで 追い込んだFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)の本拠地があるのがここレオンです。 ニカラグアの英雄・サンディーノの意思・理想を継承したFSLNは、キューバ革命の 影響を大いに受けていました。理想を現実のものとするべく「自由か死か」と戦ったサンディーノ、 そして「祖国か死か」と新たな革命に身を投じたチェ・ゲバラ。FSLNのメンバーたちにとって サンディーノやチェの理想を継承して戦うことは革命の青写真を描くようなものだったのでしょう。 町のあちこちで目にする赤と黒のFSLNの旗、そして壁のペイント、 それらを見るたびに、未だこの町に息づく革命の熱を感じます。 ニカラグア革命はソモサの亡命により成功したかのように見えましたが、その先に待っていたのは 米国の反撃。ニカラグアが第二のキューバとなることを恐れた米・レーガン政権は露骨で執拗な嫌がらせ を開始します。経済封鎖、反FSLN組織への資金援助と軍事協力…まさに対キューバ政策のように。 こうして米国の後ろ盾のもと、コントラ(反FSLN武装組織)がホンジュラス国境から進入、 内戦勃発。エル・サルバドルで泥沼の内戦が繰り広げられていたのと同じ時に、ニカラグアでも 多くの人々が亡くなり国は荒廃していきました。 カテドラルと向かい合うように建つ立派な建物は、現在革命博物館になっています。 中では係員のおじさんが時間をかけて熱心に説明してくれました。 見学後、建物の屋根に上らせてくれ、そこから見えるレオンの町は本当に美しかったです。 ソモサ政権時は、ここから民衆へ向け演説などがされていたそうです。 「北米と中米諸国が良い関係を築くのはアメリカの仕事だけど、ニカラグアにも問題はたくさん ある。アメリカの大統領が変わったからといって、直ぐに政治的変化があるとは思えない。」 気持ちの良い風が吹く屋根の上で、係員のおじさんが言った事です。 彼もまたサンディニスタでありながら、冷静に現状を見つめる一国民でもありました。 地理的にも政治・経済的にも、アメリカの足元で、大国の顔色を窺わないといけない中米諸国。
その状況を打破しようとすれば革命〜内戦へと繫がってしまい、格差は広がり国は荒廃するばかり。 こういった状況を繰り返しているのが中米であり、また根本的に解決するのは、この先も本当に 難しいことだと思います。そんなことを感じた、ニカラグア・FSLNの町でした。 |



