旅人酒場 〜1杯やってかない?〜

慌ただしく過ぎていく毎日。でも、空は見上げよう。

2008/9-PANAMA-

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[ 2009/1/7 ]

パナマと言えば、やっぱりパナマ運河。パナマシティでは真っ先に運河観光へ向かいました。
あとは何処へ行こうかな・・・?そうだ!今日はのんびり歴史地区の散策を楽しみます。

まずはスペインが太平洋岸で初めて築いた殖民都市『パナマ・ビエホ』。
中南米、いくつか例外の国があるものの、ほとんどの国でスペイン語を話すと言う事実。
それがスペイン支配・占領の歴史を物語り、その最初の都市がパナマであったのです。
1519年のこと。 現在もレンガ造りの遺跡が静かに佇んでいます。
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パナマ・ビエホの後に栄えたのがカスコ・ビエホ。高級ホテルやレストランの多い新市街
からパナマ湾沿いに南へ行くと、赤い屋根の建物群と教会の頭が見えはじめます。
ここもまた殖民都市の名残を残す、そして運河よりずっと古い歴史を持つ旧市街。

旧市街の中心にあたる、独立広場に面して建つカテドラル。立派な造りに、思わず見上げて撮影!
(観光エリアですがあまり治安はイマイチ。写真撮影時、周囲の視線がかなり気になりました…)
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コロニアルな建物も多い旧市街。地図を見ずに歩き回るのも、また楽しいものです(^o^)
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歴史地区『カスコ・ビエホ』、このエリアは敷石の細い道や古い建物が多く残り、
何となくキューバのハバナを思い出しました。古く、お世辞にもきれいとは言えない
建物だけど、しっかり時を刻んでいる建物。それが逆に美しく見えます。
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新市街の高層ビルをバックにポーズを決めてくれた鳥と、すごい勢いで向かってきた鳥。
新市街と旧市街の間、パナマ湾の上を飛ぶのはさぞ気持ちいいことでしょう (^_^;
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パナマの先住民・クナ族の伝統衣装『モラ』。お土産用のモラはクッションカバーなどが。
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パナマシティでも、バスターミナルなどへ行くとクナ族の女性を多く見かけます。いくつもの
アップリケと刺繍で鮮やかな柄を描き出す、素晴らしい伝統衣装を身に着けたクナ族の女性たち。
彼女たちが、ファストフードでフライドポテトを食べコーラを飲んでいるのを見ると、必ずしも
伝統や古い習慣を守るだけでなく、その時代時代のものを受け入れているのだな、とも思います。
[ 2009/1/6 ]

パナマ運河の太平洋側に位置するのが首都・パナマシティ。そしてカリブ海側に
位置するのが第二の都市・コロン。この2都市間を結ぶのが『パナマ運河鉄道』。

もともとの開通は運河建設以前の1855年ですが、現在の鉄道は2001年に運転を再開
したもの、コロンの免税問屋街『ソナ・リブレ』で働くサラリーマンと旅行者のための運行と
いった感じです。そのため1時間の乗車時間で$22という料金設定。
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「なんでそんなに高い列車でコロンに行くの?」と聞かれつつも、運河沿いを、時に人造湖の
上を走る列車に乗ってみたくて早起き。パナマシティ7:15発の列車に乗り込みます。
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毎日の通勤に慣れたサラリーマンは退屈そうに新聞を読んだりPCに向かったり、
一方観光客はカメラのファインダーを覗きっぱなし。両脇に人造湖が見えるようになると、
私も座っていられず撮影ポイントを探して列車内を移動、また移動。
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観光客にとって1時間の列車の旅はあっという間。車内では無料のコーヒーサービスと降車時に
スナックボックスが配られます。いい大人がこのスナックを受け取るの、ちょっと恥ずかしっ!
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さて、終着駅のコロンですが、ここは自由貿易港と免税問屋街で有名な反面、治安の悪さでも
知られた町です。「コロンに行く」と言うと、パナマ人でさえ皆口をそろえて「とにかく危ない、
時計はしちゃだめ、カメラも出しちゃだめ、所持品に十分気をつけて」と言う程。
パナマシティで鉄道駅まで乗ったタクシーの運転手さんにも念を押されました。

気を引き締めて、コロンの鉄道駅を出てバスターミナルへ移動。確かに、町の雰囲気が全然違う。
全く違う国に来たような錯覚に陥りました。目につくのは黒人さんだけ。臭いも気になる。朝から
酔っ払ってフラフラしている人も多い。早くバスに乗って移動したほうがいいかな、という雰囲気。

30分ほどバスの出発を待って、目指すはコロンから1時間ほど北東・カリブ海に面した港町
『ポルトベーロ』。ここは中米・南米を結んだだけでなく、遠くスペインへ様々な物資や財宝を
運ぶ重要な港町として栄えた所です。1980年には町に残る史跡が世界遺産に指定されました。

◆サン・ヘロニモ砦
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◆サンティアゴ砦
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今では観光客がぱらぱらと訪れるだけの静かな町、ポルトベーロ。それでも町中に残る大小いくつ
もの史跡を見て歩くと、ここが大陸と大陸を繋ぐいかに重要な港であったかを教えてくれるのでした。
[ 2009/1/4 ]

「この感動を今、誰に一番伝えたいですか」――「はい、父です」

人類史上最大の土木工事・パナマ運河。中米と南米をつなぐこの小国の存在を
世界的に有名にしているのが“Canal de Panama”=“パナマ運河”。
そしてまた、この運河なくしてパナマの現代史を語ることはできません。
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いつか学校の授業で聞いたパナマ運河という名前。そこを自分の目で見るなんてもちろん
予想だにしなかったし、当時はパナマがどこにあるかも分かっていなかった気がします。
目の前の運河を航行する大型船と開閉する閘門、上下する水位、その光景に言葉も出ず唖然、
そしてジワジワこみ上げてくる感動。
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海の目の前で育ち、海と船をこよなく愛す父にこの感動を伝えたい。出来ることなら見せてあげたい。

何十分もかけ太平洋側のミラ・フローレス閘門を牽引され通過する船を眺めながら、そんなことを
考えていました。小さいころは何とも思わなかったけど、ここに来てようやく気づきました。
父が木を切って削って、一から作っていた船の模型が、ここを通過していく船にそっくりなのを。

全長約80キロにも及ぶパナマ運河は、スエズ運河を拓いたフランス人、フェルディナンド・
レセップスの手で建設が進められました。が、予想をはるかに超える工事の難航と資金の行き
詰まり、マラリアや黄熱病の蔓延により会社が倒産。そしてその後の工事を引き受けたアメリカ
により1914年、およそ10年という歳月をかけたパナマ運河が完成。(勿論運河によって
もたらされる利益はアメリカに流れるという構図が。そして永久租借地には米軍事施設までも。)

こうして太平洋とカリブ海を結ぶ運河は世界規模の交通の要衝へ。

しかし、いつまでもアメリカにパナマ運河を管理され、軍事施設が置かれているのを黙って傍観
している訳にはいかないのがパナマ。1960年代からパナマ国内で次第に高くなる「運河返還」
の声。そして1999年12月31日正午をもって、ついに運河がパナマに返還されました。
まだまだ記憶に新しい出来事。

返還当時の新聞や写真・映像はパナマシティ旧市街の『パナマ運河博物館』で見学可能、いかに
パナマ国民が運河の返還を求め立ち上がり、この日が来るのを待ち続けていたかが伝わってきます。

◆太平洋側と大西洋側の海面の高さが違うことから、閘門を開閉させ船の水位を上げて通過させます。
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◆パナマ運河にある3つの水門(閘門)では、大型船舶は自力で航行せず、
運河の両側に設けられた線路から機関車がワイヤーで引っ張って牽引していきます。
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◆時間をかけて少しずつ水位が上下し、閘門が開閉するのを目の前で見ることができます。
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[ 2009/1/1 ]

パナマ最高峰・バルー火山に近い高原リゾート、ボケテで迎えた2009年。
1月1日はこの地にふさわしく暖かい日差しの穏やかな朝。
ただただボケテに流れる特別な時間を楽しみたい日。

宿の近くで働くパナマ人に誘われ、近くに住むアメリカ人親子と5人で向かったのは『畑』。
目の前に広がるのは高原キャベツと青々としたセロリ畑。
いかにも新鮮、塩でもふってそのまま食べてしまいたいくらい。
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周辺の木々にはレモン・オレンジ・グレープフルーツ・グァバが実り「どうぞお好きなだけ」といっているよう。
両手に抱えて持ち帰り100%フレッシュジュースへ。自然と共にある生活を大満喫。
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畑や果物の木が珍しい訳ではないけど、恵まれた環境の中で育ったものは“中身”がしっかり。
たとえば植物にもストレスがあったとして、それを感じることなく伸び伸び育ったのがボケテ産。

決して都会とは言えない地で育った私にとって、ここ ボケテは妙に落ち着く、
そしていつでも旅人をあたたかく迎えてくれる地なのでした。
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[ 2008/12/31 ]

2008年12月31日、パナマで過ごす大晦日。
そういえば、海外で過ごす年末年始は初めて。そして周りに家族がいないというのも初めて。

パナマと日本の時差は14時間、「今頃我が家では宴会の真っ最中かな…それなら電話で参加しよう」

そう、いつからか、年末年始は親戚が我が家に集い大宴会をするというのが恒例に。
これが実に楽しい!!みんな、何日も前からワクワク、そして買い出し。
自分自身のことではありませんが、『親戚の結束力』だけは大の自慢です。

小さい頃から何家族も集まって旅行へ行ったり、飲み会で帰りが遅くなると都内の親戚の家へ
直行したり。スキーやスノボもいとこに教えてもらいました。最近は海外旅行だって一緒に
行くし、カレンダーの連休を見つけては「この日あたり集まらない?」なんて話になります。
0歳の赤ちゃんから90代の長老まで集まって、テーブルに乗せきれないほどの料理と、
酒屋と間違えるほどのアルコール。

大体18時〜翌1時近くまで続きます。それだけ飲んでいれば『武勇伝』を作る人も。
イチバンは、巨峰の皮を茄子の漬物と間違えて食べたおじさんですが。今思い返しても笑えます^^

そんな宴会中の我が家に電話すると、集まった親戚全員が電話口に出てくれました。
心配してくれる人、近況報告する人、酔っ払って同じことを繰り返す人…
特に私の父親はパナマ運河について熱弁。
まるで運河工事の従事者のよう。だけど、そんな家族・親戚の声がまた、
この先も続く旅のエネルギーになったりするのです。さて、私も飲むぞー!

気合を入れてパナマの高原・ボケテへ出発。名前はギャグっぽいですが、ここはちょっとした楽園。
春のような気候に美しい自然。あちこちの木々に実る果実と、咲き乱れる花々。
「なんてところ!」思わず日本語で感激!さすがはパナマの高原リゾート。
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そしてまた、ボケテはパナマ有数のコーヒー産地でもあります。
年末とは思えないのんびりとした時間が流れる高原で、まずはコーヒー1杯。
あぁ、美味しい^^ 味だけじゃない、環境が作る美味しさ。
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その後は笑顔が素敵な宿のご主人に薦められた『私の庭はあなたの庭』へ。
ここがまた素晴らしく安らぐ、そして目の保養になる『庭』。
広大な敷地に何十種類もの花、小川、つり橋、展望台、教会…どこも良く手入れされており、何時間
いても飽きない庭です。ただ、入場料もないし管理人さんの姿もない、いったいどう運営されているのか
がちょっと気になりますが。
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そして大晦日の夜、宿のご夫婦と数人の宿泊客でカウントダウン!
もう気分は最高潮、既にパナマ産ラムも1本空きそう^^

ようこそ2009年!1月1日を迎えたところで、一人一人と新年の抱擁!
そしてワインで乾杯。これは宿のご主人が振舞ってくれました。
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この旅始まって以来の深酒?!何を話したかよく覚えていないのに、気付けば深夜3時。
ボケテで迎えた大晦日、そして新年。いろんなことが頭を駆け巡った長い長い1日となりました。

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