Barbara's SUNDAY PAPERS

バーバラさんの日曜版。音楽を愛する51歳オヤジのブログです。趣味や毎日の生活について語っています。

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United

今回は、西海岸から東海岸に移動した。

サンフランシスコ〜ニューヨークである、さすがに長くて片道約5時間・・・やはりアメリカはデカイ国である。

ユナイテッドの機材も大きくて国際線並み、しかもほぼ満席、需要が高いんだろうなあ。

で、最近ユナイテッドがアナウンスした通り、エンタテイメント類は機内のWi-Hi環境のみで提供される。

最近の乗客は自らi-padやらスマホを持ち込むから、座席のモニターは要らないという判断だ。

実際PCやらで映画を観ている人もいた。

でも、ネット環境の提供は有料だろうし、設定も面倒。

年配の方は結局機内のエンタテイメントは見られない方も多いだろう。

今まで液晶モニターがあったと思われる座席はそれが外され、代わりにi-padのようなものが嵌め込めるように改造されていた・・・何だか不細工な改造だ。

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ANAが、それとは別に機内エンタテインメントを充実させていくのとは大違い。

飲み物やスナックの提供含む、アメリカの航空会社のサービス低下は著しい、客室乗務員の接客も変わらず酷いものだ。

笑えたのは、飛び立つ前の緊急時の説明、ビデオが無い為、客室乗務員が身振り手振りでやっていた、こればかりは退化してしまぅたようだ・・・。

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ハンバーグ

お客に誘われてディナーに行った。

典型的なアメリカン・レストランで紳士淑女がいっぱい、というか年齢層はかなり高めな感じのレストランである。

メニューを見ると、肉、肉、ではあるが、その他のシーフードやサラダ類も充実している。

町の庶民的な食堂なのだ。

で、アメリカではあまり見かけない料理を発見。

「ハンバーグ・ステーキ」とある、日本のファミレスでは普通だけど、アメリカで見かけるのは初めてだ。

アメリカでは肉と言ったらステーキで、ハンバーグはパンの間に挟まっているものだ。

で、面白そうなので頼んでみた。

御覧のサイズである・・・。
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味は・・・ほとんど何もしなかったのでケチャップをリクエスト。

これはやっぱり何かと、例えば野菜とかと一緒に食べるものだ。

大根おろしとかチーズを乗せて食べる日本のハンバーグは素晴らしい。

今度、アメリカ人が日本に来たら連れて行こう、ブロンコビリーがいいな。

まあもう、アメリカでハンバーグを頼むことはないだろうと思う・・・。

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OHTANI

アメリカに来たら彼の事を聞かない訳にはいかないだろう。

「ショーヘイ・オータニはどう!?」の説明に、ほぼ全てのアメリカ人が彼の事を知っていた!

日本のマスコミの騒ぎ過ぎかと思っていたが、本当にアメリカでも大谷は評価され始めている。

そして、皆、高評価なのだ、やはり、たいしたものだ。

今朝のUSA Todayのスポーツ欄の表紙も大谷特集、ちなみに2面はデカデカとピッチャーの大谷の写真が!

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日本人として誇らしいし、嬉しいものだ。

ちなみに、USオフィスのマネージャーは期待もせずにアナハイム*オークランド戦を見に行ったら、なんとその日が大谷の初先発の日だったそうである、羨ましい。

大谷に続いて自分も頑張らなくては、と気合を入れ直しているところだが、交渉は捗々しくない。

やはり東海岸のビジネスマンはタフだ、毎日厳しい話し合いが続く・・・。

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その後。

さて、少し日も過ぎたので、ブログを再開したいと思う。

父は・・・体的には元気になった、さすがに剣道で鍛えただけあって、今は一般病棟に移り、治療的な事はしていない。

救急対応が早かったのと、その日のうちに心臓手術ができたことが大きいのだそうだ。

但し、脳にはダメージが残る。

1時間の心肺停止は、脳の虚血状態を引き起こし、さすがに今迄と同じような父には戻れなかった。

機能障害が残ってしまい、今交わした会話もその場でどんどん忘れてしまう、今病院にいることも起きる度に忘れてしまう・・・。

でも、斑模様ながら、記憶がしっかり戻る事もあって、生年月日や住所もスラスラ言える時もあれば、息子を亡くなった弟と思ってしまう事もある。

でも、一時はもう見られないと思った父の笑顔を今は見ることができるし、声も聞ける、感謝しなくてはならないだろう。

という事で、仕事も本格再開、今日からアメリカに来ている。

アメリカでは将来を左右する重要なミーティングを控えている、明日は東海岸へ移動だ。

準備は万端、提案事項も決めている。

過去11年間苦労してきたアメリカ市場も正念場、頑張らねば、という気持ちだ。

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父の事。

もうお話ししてもいいだろう。

ここ3週間ブログどころではなかった・・・。

実は、父が病に倒れ、それも相当の深刻な状態だった・・・。

3週間前の週末、父は毎週楽しみにしている剣道の稽古に行った、家族はいつものように送り出した。

しかし、父は家には帰って来ず、何故かいつも懇意にしている鍼灸治療院から電話が。

稽古が終わって背中が痛み、どこか「筋(スジ)をちがえた」と思い込み、父は鍼灸治療院を訪れたのだった。

でも、それは心筋梗塞の前触れの兆候で・・・、父はその場で意識を失ったらしい。

幸い、Barbaraは、長いアメリカの出張から帰国していて、自宅近所の飲み屋で知人たちと宴会、ちょうど乾杯をしているところだった。

珍しく次女から電話が掛かってきて、少しふざけた感じで電話に出た、しかし、次女は真剣で震えるような声で「じいじが倒れたって・・・」と言ってきた。

すぐ事情を説明して宴会を中座、父の倒れた鍼灸治療院に向かった、既に救急車が到着していた、近所の人達が救急車を囲む。

救急隊員に家族であることを告げ、外に運び出される父と対面、タンカに乗せられた父は携帯式の人工呼吸器を付けられ目を閉じていた、体は全く動かなかった。

その場で「心肺停止です」という救急隊員の言葉を聞き、頭が真っ白になった・・・。

それからは何かテレビドラマの中にいるような感じ・・・救急車に乗り込み、目の前で救急隊員が父に人工マッサージをしている、けたたましく人工音声が「危険」を知らせる、無数の電子音が救急車の中を支配する、そして電気ショック・・・父の体が30cm位宙に浮いたように見えた。

記憶している限り初めて、放心状態の母の肩を抱き寄せた、全く突然の事で、何も考えられなかった。

「何で!?」

あまりにも現実感がなくて、何度も夢なら覚めてくれ、と思った。

15分程で病院に到着、すぐに救急治療室へ、そしてこれもドラマのワンシーンみたいに、病院の廊下で待たされた、その時間の長い事よ。

2時間程して救急医から状況説明があった、心筋梗塞により心室細動が起き、脳に酸素が運ばれなくなり、呼吸を停止したそうだ、今からすぐ心臓の再生を試みるという、循環器の専門医も駆けつけてくれた。

後から聞いた話だが・・・この病院、循環器治療には力を入れていて、経験も技術もスタッフも豊富なのだそうだ、それもよかったのかも。

手術が始まり5時間程、畳の家族室に通され、明け方までひたすら手術の終わるのを待った、手術前に少しだけ父と会えた、人工呼吸器にによる強制的な呼吸により胸は大きく膨張を繰り返し、その度に首が上下に大きく振られた、とても正視できない状況だった、でも「オヤジ、頑張れよ!」とだけ声を掛け、腕をグっと掴んだ。頼むから助かって欲しい・・・。

・・・それからちょうど3週間が経った、父は一昨日、一般病棟へ移った。

心臓手術は、カテーテルでステントを詰まった血管に挿入し無事成功した。

手術室から出てきた父は低酸素脳症によるダメージを軽減するために、少し体を冷やされていた、しかし変わらず人工呼吸器により体は都度大きく動いていた、大量のセンサーに繋がれ、これまた大量のモニターが父の周りを占拠していた。

その後は、人工マッサージによる肺のダメージ、そして呼吸器から侵入した細菌による肺炎併発などで、父は死線を彷徨った。

術後4日後に東京で就職している長女が父の見舞いに帰って来てくれた、父が可愛がっていた初孫である、「じいじ、帰って来たよ」の声で父の目が開いた、母や息子の呼び掛けには応えなかったのに・・・やはり、孫なのである。

その後は少しずつ容態は回復、人工呼吸器も外れた、しかし残された問題は大きかった。

1時間の心肺停止は、やはり相当に脳へのダメージがあった。

今は会話も少しできるし、腕や足もバタつかせることができるまで回復した、しかし、会話の意思疎通率は息子である自分でさえ10〜20%ほど、何か一人でブツブツ喋っているばかり、でも問いかけには応じるが会話が繋がらない。

でも、時々、しっかり脳が働いて、息子の名前を読んだり、大好きな剣道の話を少しだけすることもある、でも、極度の痴呆患者がそうであるように、全く学習ができない、話してもどんどん忘れてしまうようだ、眠りから起きるたびに「ここはどこだ?」と聞く。

あらゆる情報をネットで駆使して調べたが・・・脳は、まだまだ再生する可能性があるそうだ、それには知覚を刺激するのが大事、本人が好きだったこと、いい思い出、よく話していたことを中心に語り掛けていくと、だんだんと記憶が戻ってくるという、知り合いの医者にも相談に乗ってもらった。

77歳の父がどれほど回復すかは分からない、でも、これからはできる限り傍にいて、父に語り掛けたいと思う。

間もなくリハビリと食事も開始される、元気になったら剣道の道場へ連れて行ってあげたい。

長い長い3週間だったが・・・少しずつ前が見えてきた、一番辛いのは父の筈、少しでも元の体に戻れるよう、そして親孝行していきたい、と今は思うだけだ・・・。

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