日本六十八カ国一宮巡歴記に感動して始めた一ノ宮巡拝の旅

ちょっと町を歩けば神社の鳥居、お寺の山門に当たる日本・・再認識しよう先人の叡智!

神仏習合

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洲崎神社

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洲崎神社の御神石

御神石は、その昔、役行者が飛来し、海上安全のために一つを洲崎の地に、一つを現在の横須賀市吉井の地に置いて行ったという伝説と、竜宮より一対の大きな石が洲崎神社に献上されたが、ある時、その一つが天太玉命の御霊代として東国鎮護の安房口神社の御神体としてお祀りされ、両御神石は互いに向かい合ってお祀りされていて「阿(安房口神社)呍=うん(洲崎神社)の石」と呼ばれています。

この洲崎の地は、文字通り先であって概要と内海を分ける位置に在り、岬の沖合は「汐の道」と呼ばれ、昔から海の難所でした。

また吉井の地は、房総への重要な交通路であり、古道の要所であったため、この様な伝説が残されてきたとと思われます。

いずれにしても御神石は、昔より海上安全の守神として篤く信仰されてきました。

これは私は素晴らしいことだと思うんです。真理が現れるとすれば、どこの国にも現れていなければならない。現れ方は違うはずだ。日本の場合、昔から、それこそ神代から、 先祖神を貴んできた。全然知らない外国の神様が来ました。これが全然違う神で、今までの神様よりすぐれておったら、それまでの宗教がなくなりますよ。ところが日本では、いや、それはインドでの現れ方はそうで、インドの現れ方はインドの現れ方で非常に参考になる現れ方をしておる。日本の現れ方は日本の現れ方で、これはこれでいいと、両方立てちゃったんです。そして両方、日本でのみ栄えているわけです。だから、西行が、伊勢神宮に行きまして、「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と歌を詠んだ。彼は北面の武士ですから、非常に位の高い武士でした。それが仏教徒になって、伊勢神宮にお参りするわけですよ。彼は両部神道、つまり本地垂迹説ですから、伊勢神宮を拝むときに、大日如来として拝もうかな、日本の神様として拝もうかな、まあどっちでも同じだと拝んでいる、その歌ですよこれは。これが、日本をして今唯一世界的に大乗仏教の大学が何十かある、唯一の国にしている理由です。仏教が学として本当にやられている唯一の国といっていいと思います。神道はもちろん、日本にしかありません。この残り方ですね。この残り方が私はやはり、消えてしまったゲルマンの宗教の場合と違って、なるほど日本の残り方の方が何とも柔軟だなと思います。


★ゲルマン人とキリスト教

ゲルマンの世界にも、国境を越える宗教が行きました。これはやはりいろんな文化を吸 収し、あらゆる学問を吸収していきますから、論理は構成している、神学は出来ているんですね。それにドグマなき先祖崇拝の宗教がどうやって対抗できるかという問題がおこったわけです。これは日本に仏教が釆たときと同じ問題ですよ。  こういう話があります。ラートボートというあるゲルマン人の酋長がいたんです。この人は、ボニファチウスという宣教師の話を聞いて、当時カトリックの宣教師ですね、感心しましてね、「そうか、お前の言うことはなかなかいいな。よし、教会も建ててやろう。 その洗礼とやらも受けて天国にいってやろう」という約束をしたわけです。それでいよい よ洗礼を受ける段になりましたらね、疑問が生じたんです。「まてよ、俺は天国にいくら しいけど、俺の先祖はどうなるんだ」という疑問を起こしたわけです。  私はこれは実にまっとうな疑問だと思います。ある宗教に自分は入って自分は助かる と。じやあ親はどうなるんだ。親のことは知らないよといったら、これはよくないです よ、やっぱり。その酋長はそういう疑問を起こしたわけです。そしてその宣教師に「先祖はどうなるんだ」と聞いたら、その宣教師がまたコチコチ頭だったんですな、「それは地獄にいます」と言ったんです。洗礼を受けてないんだから。そしたらそのラートボートという酋長が怒って、「何言ってるんだ。天国なんかに行かなくて結構だ。お前の言う地獄だろうとなんだろうと、俺は先祖のいらっしゃるところに行く」。それで教会も焼いてしまえ。宣教師も殺してしまえという話になったわけです。というのはたまたまそこで起ったんですけど、頻々としてゲルマン地域でそれが起こったんです。ゲルマン人は先祖をとても尊敬しておったんです。そのときに、偉かったのはローマ教皇で、たとえば聖グレゴリウス一世は、そういう報告を受けて、「それはゲルマン人の言ってることの方が本当だぞ。キリスト教の洗礼を受けたら、受けた人は助かる。先祖は地獄のまま。これはおかしいよ」、と孝えになったんです。それで「煉獄」を作ったんです。煉獄というのは、新約聖書のどこを見たって煉獄の「れ」の字もないんですから、あれはローマ教皇が作ったんですよ。煉獄いうものがあるんだ。皆さんの先祖で、まだキリスト教を知らないで立派に死んだ人がいると。この人たちは煉獄にいる。ここは浄化されるところである。天国みたいに楽しくはないけれども、そう悪いところでもないと。そこにいて待っているんだと」。あなたが洗礼を受けて、煉獄の霊のために祈るのを待っているんだと。ああそうか、というわけで、信者になって死者の霊のために祈るわけです。そうすると、先祖の死者はそれによって天国に行くと、こういう仕掛けになったんです。それで全西ヨーロッパは、改宗したんです。ですから、中世の芸術作品というのは、ものすごくたくさん煉獄の話があります。ダソテの頃まではですね。宗教改革頃になると、先祖の話はどうでも構わなくなっちゃって、煉獄もみな忘れられて、近ごろは煉獄の「れ」の字も言う人は一人もいなくなりました。しかし、ゲルマソ人の先祖に対する気持ちを煉獄という形で救ったわけです。ローマ教皇は。


★世界に例をみない宗教の両立

日本の場合は、その先祖を大切にする気持ちを、真理があるとすれば、インドでも現れるだろうが、日本でも現れた。それは国が違うのだから、現れ方も違うであろう。だから、どっちでも分かりやすい方をやりなさいよ、両方やって構わないよと、そういうことだったと思うんです。 ところで、二十世紀の生んだ最大の宗教学者メルシア・エリアーデという人がいますね。この人は東ヨーロッパ生まれの人ですが、戦後はシカゴ大学の教授だったと思いますが、十何巻の宗教学辞典を書きました。この人が『聖と俗』という本を書いています。その本が世界的なべストセラーになったものですから、日本でも「聖と俗」という言い方が流行したんですが、その中にちゃんといっていますね。日本人が千何百年前に考えぬいたことを。宗教的な真理は、あらゆる民族、あらゆる時代に現れていなければならない。そうでなければ真理でも何でもないんですから。ただ受け取る方の民族の文化水準がでこぼこしていいますからね、あるところでは非常に迷信的な受け取り方が幅をきかせている。あるところでは非常に高度な受け方をしている。違いはあるけれども真理の粒としては同じである。比喩で言えば、重力はどこでもある。ただ、重力を井戸の水を汲むときも、手で汲むような使い方しか知らないところと、ポンプの原理を発明するという差はある。しかし、重力は同じ。というような解釈なんですね。そしてこういう見方をしないと、結局世界は宗教戦争になるんですね。真理が現れるとすれば、どこにも現れたはずである。その現れ方はいろいろある。その現れ方がいろいろあるのをうまく両立させた国が、これが日本しかない。今までのところ。


★日本の誇りへの自覚と危機の克服

ですから、私は、日本では、厳しき皇神がいたために、つまり王朝が途絶えないであったために、この天皇家の宗教とでも言うべきものと、国境を越える高い教義を持った大乗仏教という宗教とが、両立し得たんだと思います。これは皇神がいなかったら、つまり聖徳太子みたいな人が皇室にいなかったならば、これはもう宗教戦争の国になりますよ。かくして我々は、神話の時代からそっくり生きてきました。そしてそれは仏教受容にも見られるように、決してコチコチのものではなくて、 非常に弾力的なものなんですね。それで日本人は危機がある度に原始記憶に帰ったと思うんです。  例えば、十九世紀の中頃、黒船が来ました。あの連中はとにかく世界中を植民地にするつもりだったわけです。究極的には、世界をアパルトヘイトにもっていこうとしていたと思いますよ。白人が主人で色の薄い黄色人種のほうが召し使いで、濃い方が奴隷でね。まあ、大体そんなものだったと思うんです。 ところがその危険な、強烈な十九世紀後半の植民地文明が押し寄せて来たとき、日本人は何をやったかというと、やはり昔に戻っちゃうんですね。幕府じゃだめだ。普通なら幕府を倒したところで、内乱とかになっちゃって、白人に乗り込まれて植民地になるんだけれども、幕府はだめだ、となると神代以来の「皇神の厳しき」というのを、もう一度みんなの意識に復活させて、そして明治維新をやったわけです。  そして「言霊の幸はふ国」であって、日本語なんてどんなにやったってなくならないことはみんな知っているわけです。奈良朝時代のあれだけの圧倒的な漢文学、お経が来ても、やまとことばはなくならない。だから日本語の消失を恐れることなく、外国の文献を全て翻訳してしまったわけです。そして、外国のいいものはみな取り入れましょう。これは仏教の場合と同じことです。だから、黒船で驚いたら、戦艦大和を作るなんてな話でね。この前の戦争は電子機器や工作機械で負けたとなれば、電子機器や工作機械で一番になれとかね、そういう風にやってるんだと思うんです。 要するに我々の刷り込みは、千数百年前からできあがっている。そしてこれは如何なる危機の時でも、日本人を乗り越えさせて釆て、世界にたった一つ、太古から先祖崇拝を宗教としながら、高度の文明を保った唯一の国として今日あるわけです。そして、その象徴が第百二十五代の天皇陛下であって、その方の即位が今年十年、誠にめでたい限りでございまして、こういう集会ができましたことを心からお祝いしたいと思います。


 《編集部注・この記念講演は、平成十年十一月二十八日東京国際フオーラムホールで行なわれた》

転載元転載元: ishujin

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/db/9a/junpaikai2001/folder/1588083/img_1588083_51398881_0?20091210021034

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/db/9a/junpaikai2001/folder/1588083/img_1588083_51398881_1?20091210021034

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/db/9a/junpaikai2001/folder/1588083/img_1588083_51398881_2?20091210021034

壱岐国ルネッサンスの心を世界へ・・・・元寇の役、敵味方鎮魂・慰霊地球平和祈願・・・が世界で初めて神仏習合の故事に習って、壱岐市タナガオ神社で・・・平和祈願のメッセージが発せられました。


それは、大きな反響となり、国内では第二、第三壱岐国ルネッサンス、と広がり、更にモンゴル国(ノモンハン事件)で、韓国ソウル(文禄・慶長の役=壬申倭乱)で、アメリカ・シアトル(椿大神社USA)で・・・祈願祭が行われました、その心は宇宙へ、国連へ、オバマ大統領、鳩山総理にも・・・届きつつあり、一部は届いたようです・・・・。日本国は”友愛”外交で世界の人々の心を打ちつつあると・・・はるかに、グローバルな世界の情報をみつめ、アフガンに、イスラム世界に、壱岐市から発信したらいかがでしょうか?人々は物よりも心を求める時代になったようです。今、巷では"歴女”が今年の言葉の一つに選ばれました。特に直江兼続の「愛の兜」は、彼女らの間では断然人気があるそうです。我が家にも、早々に飛び込んできました。・・・・壱岐国ルネッサンス=愛なのです・・・・チェンジイング・・・・イエース・ウイーキャン・・・と。・・・お祈りましょう!!

http://members.jcom.home.ne.jp/ochozt-t/ikirena.htm

壱岐商工会公式ブログhttp://ameblo.jp/shokokai-iki/

転載元転載元: Uchujin

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