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= ここにも在る = =「一国一文明のもとい」=
= 歌う女性神主 = http://iwabue.com/http://members.jcom.home.ne.jp/ochozt-t/ikihtm/IkiZenyasai.htmhttp://blogs.yahoo.co.jp/tokidoki_miko/20948508.html |
無題
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何故「一ノ宮・・・巡拝」・・・素直な心で巡拝すればきっときっと、楽しくなる! |
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明治四十五年(1912)の今日、七月三十日の午前零時四十三分、畏くも 明治天皇に於かせられては崩御あそばされました。御齢、六十一歳でおわしました。 時を措かず、皇太子・嘉仁親王殿下が踐祚あらせられ、年號は「大正」と改元されました。 それから今年で丁度、九十五年になります。 その御治世の間、急速な歐化の旋風、文明開化の荒波、西南役を頂點とする各地での不平士族の蜂起、そして、日清役・日露役・・・。目まぐるしい時代のうねりの中、当時の日本は急速に「近代化」の坂を驅け上りました。 そして、此の長くも偉大な四十五年間が終わった時・・・人々は夫々に「一つの時代の終焉」を感じたのです。 この明治大帝の崩御の日から、忠誠無比であつた一人の老臣の長くて短い四十五日間が始まつたのでもありました。其の老臣の名は、陸軍大將・乃木希典。當時、學習院院長でありました。 この四十五日間と云ふもの、乃木將軍は殯宮に毎日缺かさず參内し續けたとのことです。そして、周到な身邊整理。 上掲寫眞中、中の寫眞は、 明治天皇陛下の崩御の翌朝、宮城から下がつて來た乃木將軍の乗馬姿ださうです。 そして、 明治大帝の御大葬の執り行はれた同年九月十三日、午后後八時の弔砲の射撃開始と共に、乃木將軍は覺悟の割腹自決を遂げ、遂に黄泉路まで 明治大帝に付き随つて行きました。上掲寫眞中、下の寫眞が殉死當日の、乃木將軍の最後の寫眞です。どこか遠い目をしてゐるやうに見えるのは、氣のせいでせうか。 此の報を聞いて、自身軍醫でもあり、乃木將軍と知己でもあつた鷗外・森林太郎は「奥津彌五右衞門の遺書」を一夜にして書き上げ、夏目漱石は「こころ」を書いたのです。 「一つの時代の終焉」を嫌が應にも感じさせられたのでせう。 明治維新から來年で百四十年になります。 私は、丁度「明治百年」の節目の年に此の世に生まれ出ました。此の、麻の如く紊れた世の中に。 今、日本は大きな岐路に立たされてゐる、と私は考へて居ります。 先人の大業、そして蹉跌を教訓に、今こそ我々が我等自身の祖國・日本の將來に深く思ひを致すべきときなのではないでせうか。 ・・・・・・明治天皇九十五年祭の日に、久左衞門・謹識
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私の旅と一の宮 島根県 タステイン・キッド 兵庫県出石町でお城祭があるので友達の所に遊びに行きました。その晩、大好きなすき焼きパーティをし、そこに出石町の英語指導助手のShannonというワシントン州出身の人が遊びに来ました。私の旅の全国一の宮巡拝の話をしました。彼女は神社や神道について興味があるといって、詳しく話をしました。 出石神社に行ったことはないというので、昔の国や一の宮のことを話しました。そして 『全国一の宮御朱印帳』 を見せました。彼女は朱印帳を見て、「これは面白いですね」といい、自分もできる範囲で一の宮を巡拝してみたいと言いました。私は 「何でも協力します」といったら 「その御朱印帳はどこで手に入いる?」と聞かれました。「明日、出石神社で聞いてみます」 翌朝、豊岡市の中嶋神社に参拝し、出石神社によってみましたら七五三で結構忙しかったけれど、長尾祢宜さんに訪ねたら、「わかりました。準備しておきます」と親切に答えてくださいました。 後でShannOnさんに電話してみたら、「日本人の友達と一緒にいったから問題なかったよ。とても親切にされ七五三の行事まで見ましたよ」。 彼女に 『諸国一の宮』 を勧めましたし、その内容を英訳して一の宮巡拝をしやすくしたいと思います。これからも協力してあげたいと思います。 情報源「一の宮巡拝会報第11号から転載。
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明日は記念日です 越前海岸も近く日本海の荒波は感動です。 大陸からの襲来を忍熊王が阻止しました。平成の国難前夜祭〜大願成就の社をブログ巡拝されてください。 祭神はスサノウ大神 大神の神剣が邪を切り泰平の世を具現化する祈りをささげたいと思います。 古より座ヶ岳(くらがだけ)の峰に祀られていた素盞鳴大神(すさのおのおおかみ)の御神霊を、第十四代仲哀天皇第二皇子忍熊王が現在の地に奉斎されたと社記は伝えます。神功皇后摂政の頃、忍熊王が賊徒討伐の時、素盞鳴大神の御神助を得て討ち平らげ、王は神恩報謝のため、織田の地に社を営み“劔大明神”と仰ぎ奉りました。奈良時代より祈願の霊場として朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受け、現在所蔵する国宝の梵鐘は第四十九代光仁天皇の大願成就による御奉納といわれます。中世以降武門の崇敬も厚く、特に織田信長は氏神と崇め奉り、格別の信仰をもって、神領を寄進し神社を御保護しました。江戸時代の末には伏見宮家の御祈願所と定められ、拝殿の御寄進をはじめ厚いご尊崇をうけて今日に至っています。越前国二の宮として、一の宮の気比神宮と共に、福井県民はもとより県外の方々の信仰も厚い神社です。
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