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某電機メーカー展示会とカレー専門店『横浜』を訪問した後、以前近くまで行ったとき土砂降りで見学を断念した筒井城跡へ行ってきました。
近くのスーパーのオークワ筒井店へクルマをとめ、路地裏を歩くこと数分、今は神社の境内になっている筒井城の本丸跡につきました。
どこにでもあるような森に覆われた神社でしたが、森の外には堀跡がありました。
これが城跡?と思えるようなところでしたが、少し離れると蓮池になっている堀跡もあり、ここが城跡であったことがわかります。
本丸跡を出て、表通りに出る手前に別の神社があり、そこに『筒井順慶公之碑』がありました。
大和郡山城に移るまでの筒井氏の本拠であったことがしのばれました。
写真は本丸跡の神社・蓮池となった堀跡・『筒井順慶公之碑』です。
筒井順慶の紹介(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))
天文18年3月3日(1549年3月31日) - 天正12年8月11日(1584年9月15日))は、戦国時代の大名。
名ははじめ「藤勝」。「藤政」とも。得度して後順慶と称した。
大和国の戦国大名・筒井順昭の子として生まれた。母は山田道安の娘大方殿。1550年、父が病死したため、わずか2歳で家督を継ぐこととなる。このため叔父の筒井順政が後見人として補佐を努めたが、その順政は松永久秀による大和侵攻が激しくなっていた1564年に死去してしまった。このため、順慶は久秀によって大和を追われることとなる。
1566年、三好三人衆と手を結んでかつての居城・筒井城を奪還する。しかし、久秀の攻撃は激しく、順慶独力では太刀打ちすることが困難だったため、織田信長の家臣となり、その支援を得ることで大和国における所領を守ったのである。以後は信長の家臣として、主に一向一揆討伐などに参戦して活躍した。1577年、松永久秀が信長に対して謀反を起こしたとき、信貴山城攻めの先鋒を務めている。この功績により、信長から大和国の守護に任じられた。1580年には、大和国一帯に差出検地を実施している。
1582年、明智光秀が織田信長を殺すという本能寺の変が起こった。順慶は光秀と仲が良かったため、光秀から味方になるよう誘われた。このため、順慶は去就に迷い、洞ヶ峠の罵倒を今日に残している。
光秀死後は羽柴秀吉の家臣となり、大和国の所領は安堵された。1584年、36歳の若さで病死した。
順慶は茶湯、謡曲、歌道など文化面に秀でた教養人でもあったと言われている。
SF作家の筒井康隆はこの子孫で、順慶を題材にしたSF作品も書いている→筒井順慶 (小説)。
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彼は信長の軍勢に滅ぼされる前に、信長が欲しがる何とか蜘蛛という有名な茶釜と共に自爆したようですね。
[ b5536482003 ]
2005/11/16(水) 午前 4:00
それは松永弾正忠久秀ですよ!最期は信貴山城に立て篭もって、名物・平蜘蛛の茶釜と共に自爆したんです。松永は当時から悪人の代名詞みたいですが、実は相当の教養人でもあったようです。
2005/11/16(水) 午後 10:11
信貴山城は僕の通っていた高校の更に山奥にありました。高校のある場所も、もしかしたら信貴山城の郭の一部だったかも?高校敷地の造成時になんかいろいろ出てきたらしいと聞いたことがあります。
2005/11/16(水) 午後 10:41
間違えていました。信貴山の千住院というお寺、学生時代によく合宿しました。懐かしいです。
[ b5536482003 ]
2005/11/17(木) 午前 8:51
筒井順慶城の碑は民家の路地裏にありますねー わかりにくい 笑
[ 丹波守博介 ]
2005/11/17(木) 午前 11:27
高校時代は、よく高校から三郷駅の間を走っていました。
2005/11/17(木) 午後 9:57
筒井城の碑は、僕にはどこにあるかわからずじまいでした。
2005/11/17(木) 午後 9:58
筒井城址は近鉄筒井駅を東西に走るR25を東進して、多分最初の左折(北進)すると、左側に小さな小さな、標識があり、民家の路地(人一人通行するのがやっと)を右に入り奥へ奥へと行くと、空き地にでます。空き地の出口に城址がありますよ。
[ siroyama hanako ]
2006/1/17(火) 午後 2:26
洞ヶ峠も元の木阿弥も順慶に関することですが、あまりいい評価ではありませんが、本当の筒井順慶はそうではなかったと思います。
[ siroyama hanako ]
2006/1/17(火) 午後 2:31
どうりで、この間オークワ筒井店へクルマを停めて、見学に行ったときにはわからなかったわけですね。それと洞ヶ峠には筒井順慶自身は出陣していないですしね。元の木阿弥に関しては、順慶自身のことではないですから。
2006/1/17(火) 午後 11:33
筒井城、拙者も行きました
周辺道路は本当に狭いですよね^^
付近のKS寺の記事とともにトラバさせていただきます♪
昨年、京都の「戦国魂」で順慶の生涯を描いたレア本をゲットしましたよ(その本の記事は後日UPする予定です)
2009/5/7(木) 午前 0:53
筒井城跡ですが、今は民家が密集していますからね。
TBありがとうございます。
2009/5/7(木) 午前 7:47
参考になりました。近々、行ってみようかと思います。
[ デメリ ]
2009/5/12(火) 午後 11:21
デメリさん、ありがとうございます。
2009/5/12(火) 午後 11:23
こうやってみると、本丸跡の神社の境内の土塁の様子が良く解りますね。
3枚目の石碑は見なかったです。
心残りがまた一つ増えました。
TBさせていただきます。
2009/11/8(日) 午後 10:45
確かに本丸跡の神社のすみっこには、土塁らしい遺構が残っていますね。
写真の石碑は、城跡東側を南北に通る幹線道路沿いの散髪屋の隣にあったはずです。
TBどうもありがとうございます!
2009/11/8(日) 午後 11:31