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松代城跡・松代駅・真田宝物館を経て、たどり着いたのが真田邸です。
九代藩主・幸教が、義母・貞松院(幸良の夫人)の住まいとして1864(元治元)年に建築した松代城の城外御殿で、当時は「新御殿」と呼ばれていました。
江戸時代、大名の妻子は生涯江戸住まいを義務づけられていましたが、1862(文久2)年、十四代将軍・徳川家茂の時代に行われた文久の改革による参勤交代制度の緩和にともない、妻子の帰国が許可されたことから、松代にも屋敷が必要になりました。のちに、隠居後の幸教もここを住まいとし、明治以降は伯爵となった真田氏の私宅となりました。1966(昭和41)年、十二代当主・幸治氏により代々の家宝とともに当時の松代町に譲渡されました。
主屋、表門、土蔵7棟、庭園が江戸末期の御殿建築の様式をよく伝え、建築史の視点からも貴重な建物であり、松代城と一体のものとして国の史跡に指定されています。座観式の庭園の四季の風情も見どころです。
真田宝物館HPより
幕末に建築された御殿です。
玄関です。六文銭の垂幕がかかっています。
玄関を上がり中に入るといろんな部屋があります。
書院のようです。ここで執務をすることもあったのでしょうか?
雪隠です。
寝所です。
縁側からは見事な日本庭園を望めます。
藩主がこの場で食事をとっていたようです。
広い広い邸内を巡り、次は隣の文武学校へ〜
文武を奨励した松代藩八代藩主・幸貫が水戸の弘道館にならって計画し、九代・幸教の時代に完成した松代藩の藩校です。藩士の子弟が学問と武道を学ぶ場として、1855(安政2)年に開校しました。
教室にあたる文学所、武術を学ぶ剣術所、柔術所、弓術所、槍術所などが配置されています。
当時の時間割には東洋・西洋の医学、小笠原流礼法、西洋の軍学なども組み込まれており、先進的な教育が行われていました。各地の藩校の多くが幕府の学問所にならって敷地内に孔子廟を設け、儒教を重んじる風習がありましたが、文武学校には設けていないことからも、近代的な学校の先駆けであったことがうかがえます。
建物は、創建時の姿を現在に伝る貴重な遺構で、1953(昭和28)年に国の史跡に指定されています。
武道の稽古や大会に使われている剣術所・槍術所をはじめ、江戸時代の面影をそのままに質実な空気漂う敷地内は、映画や時代劇のロケにもしばしば利用されています。 真田宝物館HPより
幕末に開校したかなり近代的な学校です。
座学を行う場所だけでなく、各種武術を習得するための道場もありました。
ここに机を並べて藩士子弟が学問に明け暮れたのでしょう。
時おり藩主もやって来て講義を受けた事もあるようです。
道場ではいろんな武術の練習が行われていたようです。
たまたまのぞいた槍術所では・・・
居合抜き?の練習をされていました。
松代藩がいろんな事に関して、他藩に先んじて取り組んでいたことが良くわかりました。
これで松代を後にして、今度はある最高地点を目指します。
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史跡・寺社仏閣






真田邸は夕方だったので観覧時間が終わっていて邸内を見ることが出来ませんでした。
あぁーやっぱり見たかったです(泣)
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2016/9/12(月) 午前 11:38
以前訪問した時は、改修工事中で見る事ができませんでしたので、今回は運が良かったです。
2016/9/12(月) 午後 0:31