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3月10日【金】、久しぶりの平日休みで今日は京都文化博物館で開催されている『戦国時代展』の観賞に行ってきました。
開催趣旨
日本における戦国時代は、相次ぐ戦乱により秩序が大きく乱れた時代だとイメージされてきました。ところが近年では、この時代は、各地で対立・戦乱がおきながらも、列島規模で文化的・経済的な実りをもたらした時期だと考えられるようになっています。
室町幕府の政治権力がおとろえ、上杉謙信、武田信玄、毛利元就、織田信長など有力大名たちは領国の経営に力を入れるようになり、その結果、京都で成熟した文化が列島各地へともたらされ、新たな地域文化として再生産されたのでした。
本展では、合戦の様子や武将の姿を伝える歴史資料、列島の各地で生成された貴重な美術工芸品を一堂に展示し、多様な広がりを見せたこの時代とたくましく生きた人々の姿に迫ります。
京都文化博物館公式HPより
今回の目的は、数年前京都国立博物館へやって来た『洛外洛中図屏風 上杉本』の再度鑑賞です。
前回は、あまりの入館者の多さにまともに見れなかったので、ある意味リベンジでした。
9:40自宅を出発、西大寺で用事を済ませ、大和西大寺10:31発の『国際会館』行き急行で京都市営地下鉄烏丸御池へ〜♪
徒歩数分で到着。もともとは日本銀行京都支店だった場所にあり、その一部も博物館として利用されています。
会場は新館3F・4Fです。
まず4Fへ上がり、3Fへ降りて回るコースとなっています。
会場前の看板です。
会場内は撮影禁止なので写真はありません。
序章 −時代の転換−
「戦国時代」は、果たしてどのような時代であったのか。威勢に溢れる武具や甲冑(かっちゅう)、美麗を極める絵画の数々、あるいは戦災により焼かれ、破棄された数多くの遺物は、いずれも戦国人の声を我々に届けてくれる。本章から戦国時代への旅をはじめたい。
第1章 合戦 −静寂と喧騒−
戦国時代、武将たちはどのように戦っていたのか。 武器を交わすだけが戦場ではない。軍旗がはためく陣中には兵士の生活があった。また、戦闘の指揮には法螺貝(ほらがい)や陣鐘(じんかね)が用いられ、突き進む軍勢の雄叫(おたけ)びや地響きとともにさまざまな音が轟いていたであろう。戦場の静寂と喧騒を伝える、これらの戦道具は合戦のリアリティを今に伝えている。
第2章 群雄 −翔け抜けた人々−
武将のすがたは、残された肖像画やそのゆかりの品々に現れる。たとえ肖像画が伝わらない武将であっても、ゆかりの品々は雄弁に武将の個性を物語る。甲冑や武器はその代表であろう。それには外見だけではなく、武人としての理想や思考をも見出すことができる。また、文化的な嗜好を示す愛用品や芸術作品を残した武将も少なくない。そこには勇猛さだけではない、さまざまな武将像が浮かび上がってくる。
第3章 権威 −至宝への憧れ−
大乱を経て、列島各地にはさまざまな権力が生まれた。しかし、朝廷は依然として存在し、室町幕府も弱体化しながらも維持されていた。戦乱の世にあっても、京都で蓄積された美術品や長い時間をかけて整えられた制度・秩序は、なおも列島各地に影響を与えたのである。
▲国宝 洛中洛外図屏風 上杉本 狩野永徳筆 (山形・米沢市上杉博物館蔵)
【2月25日(土)〜3月12日(日)】
第4章 列島 −往来する人と物−
戦国時代のはじまりの頃は今につながる村や町が成立した時期でもあった。村人、町人、商人など、多くの人々が活躍し、列島を旅するようになった。さらに当時の交通は、列島の外へも通じていた。北方ではアイヌ社会との交流、西国では明や朝鮮などとの通交、さらに南方からは後の南蛮貿易につながる東南アジアとの交易も行われた。列島内外でやりとりされた文物は今も各所に伝わっている。
終章 −新たなる秩序−
将軍や大名らの思惑で多くの合戦が起こった戦国時代。その戦乱の背景で多くの人々はいったい何を望んでいたのだろうか。その一端は神仏に平安を願った心の中にあったのかもしれない。
『洛中洛外図屏風 上杉本』以外で注目したのは、戦国大名の肖像画、マイナーな大名の肖像画もあり、こんな顔だったのかと感心感心。
その中でもさらに注目したのは北条氏5代、初代の北条早雲(伊勢宗瑞)から北条氏直までの5人の肖像画が横並び。
2代氏綱・3代氏康までは初代早雲の面影がありますが、4代氏政ではその面影も薄くなり、5代氏直に至っては全く早雲の面影は感じられなくなっています。
直系と言えども100年も経てば、変わるものなのだと・・・。
そんな展示物に感心しながら、既にヘロヘロになった頃、やっとたどり着きました。
『洛中洛外図屏風 上杉本』
やっと見つけました。
将軍に謁見すべく輿に乗って、御所へ向かう上杉謙信公のお姿を!
前回は押し合い圧し合いで、まともに見れなかったのですが、今回は観覧者も少なくじっくりと見る事ができました。
前回同様、この輿に乗った人物が上杉謙信であるという解説がなされていないせいか、この部分への注目度は低かったです。あくまでも推定ということなので、仕方ないといえばそうなのですが・・・・
今回の展示では一押しなのに・・・
これを見て、その他も見ましたが、流石に今週は激務だったせいか、疲れ果ててしまい・・・、2Fの常設展を軽く見てから、博物館を後に。
帰りは京都駅でカツカレーを食べ、特急で帰路に。
思いの外、早く15時前に帰宅となりました。
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歴史一般




「戦国時代」を「A CENTURY of DREAMS」と呼ぶことに若干の違和感がありましたが、記事中の「京都文化博物館」の「開催趣旨」を拝見し若干納得しました。ご紹介、ありがとうございました。
2017/3/11(土) 午前 7:53
雑兵から大名まで、商人や農民に至るまで果てなき夢を追い続けた1世紀だったからでしょう。それを具現化したのは信長であり、秀吉であり、家康であったということなのでしょう。特に卑賎の身から成り上がって天下人となった秀吉は、そうした世紀を象徴する人物だったのではないかと思います。
2017/3/11(土) 午後 8:04