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2月16日【土】です。
父が昨年11月に亡くなり、おおよそ100日が経過したので、百か日法要を菩提寺である長弓寺円生院さんで執り行いました。
まずは、お寺の裏手にあるお墓で墓参りをしてから、11時前から法要開始。
約30分程度お経を読んでもらい、その後にちょっとした説法をお聞かせいただいて終了。 住職曰く、百か日は「遺族が悲しみから泣くのを卒業する」との意味がとのこと。
また故人が、ここまでいろんな仏様のもとで修業し、また新たなステージで修業をする区切りでもあるようです。
これまで全く縁のなかった宗教について、少しづつながら関心を持つ契機になったかなと思った1日でした。
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大納言様 おはよう御座います。 早いものですね。
百か日・・・泣くのを卒業ですか・・・。
仏様が居ますと毎日、手を合わせるのが日常になりますよね。 内のばぁさん(明治23年生)毎日、炊きたてのご飯を備えて・・・「大難は小難・・・小難はどうぞ
助けて下さいませ」と拝んでおりました。
私は小学校1年〜3年の間に毎日聞いた記憶です。
[ 河内の鉄チャン ]
2019/2/17(日) 午前 8:13
加賀守さん、おはよー(^-^)
百か日ですか…はやいものです。
仏教には あまり詳しくはないけれど、御説法には なぜか納得してしまいます。
悲しさや痛みが 救われるような気がして納得したりします。
2019/2/17(日) 午前 8:58
> 河内の鉄チャンさん
ここらで区切りはつけないといけないのかなというところですよね。泣いたところで父が戻ってくるわけでもないですし。
我が家も祖母が生きていたころ、仏間で何やら手のひらを裏表返しながら呪文のようなものを唱えていましたが・・・あれは何だったのか?ちなみに祖母は天理教の信者でした。
2019/2/17(日) 午後 7:46
> けいちゃんさん
父が亡くなり約100日、あっという間です。
父が存命の頃は、いなくなったらどうにもこうにも不安だと思ってましたが、いざ現実となるとなる様になるのかなと変な自信?だけはついてきたような気がします。
御説法については、百か日の由来だけでなく、それをからめた内容もあるのですが、ネタ元はどこなのか、そちらの方が気になります。
ちょっとずつではありますが、父がいない世の中が平常になりつつあるのは、少し寂しくも感じるところでもありますが・・・・
2019/2/17(日) 午後 7:51
> 投稿13:04さん
それは存じ上げませんでした。
神仏習合のためか、境内に神社があるのは知っていましたが、そこには一度もお参りしたことはありません。
境内のどこかでお会いすることもあるかもしれませんが、気が付かないでしょうね、多分。
2019/2/18(月) 午後 9:00
家族の死は辛いものですがいつかな乗り越えなければならないんですね。
ナイス
[ 鳳山 ]
2019/2/22(金) 午後 9:49
> 鳳山さん
生きていれば、いつか必ず来るものです。
それを乗り越えて生きていかなければなりません。
それは辛く悲しいモノではあるのですがね。
2019/2/22(金) 午後 10:47