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目玉の本丸御殿を後に、熊本城訪問のクライマックスです。 本丸御殿が公開されてから、天守閣の方は少しばかり陰が薄れましたが、 この天守閣が、鶴屋前の路面電車の走る道から見えると、今も昔も 熊本にやって来た〜♪と。 入口には蛇の目の加藤家家紋と九曜紋の細川家家紋をあしらった垂れ幕が・・・ 入ってみます。 そこには、一口城主の札に囲まれた中に銅像が? 誰?前に来たときにはなかったけど・・・ 谷村計介(たにむらけいすけ)は西南戦争で籠城中に鎮台司令官谷干城の命を受け、 城を抜け出し何度も敵に捕まりながらも逃げ出し、官軍本隊に籠城軍の窮状を伝えた 宮崎県出身の陸軍伍長で、後に自ら進んで田原坂戦に加わり戦死しました。 この話は戦前の修身の教科書に載り、広く国民に親しまれました。 戦前は今の行幸橋際に銅像がありましたが、大戦中に金属供出で撤去されてしまいました。 現在の銅像はそれを惜しんだ熊本ライオンズクラブから、平成10年に熊本市に寄贈されたものです。 現在は天守閣の入口で皆様をお待ちしています 熊本城公式HP 僕が以前訪問したときは、まだ昭和だった・・・当然なかったわけで・・・ 階段があるので登ります。 熊本城全体の模型があります。そして、 天守閣の木組み模型があります。 まずは加藤家時代の資料や展示品が・・・ 本来ならば、多分ここにあったであろうあれは・・・ いろいろ資料や展示品を見たけど、ない!! 清正公が朝鮮出兵のおりに退治したという虎の頭蓋骨 以前はあったと思うんだけど・・・ 仕方ないので、上にあがって細川家時代や西南戦争時の資料や展示品を見学。 これはあんまり関心がなかった・・・ 最上階へ〜♪ 西側には宇土櫓が 南東?には、鶴屋が見えます。 ここからの眺めは大そうなものです。 清正公や細川家時代は、城下町の向こうに畑や田んぼなんかも見えたのでしょうが、 今は福岡・北九州に次いでの九州第3の都市、政令市入りを目指しているだけあって、 ひたすら街が、はるか遠くまで広がっています。 奈良なんかは、規模が全く違います。 田舎に遊びに来たというよりも、僕のほうが田舎から街に遊びに来たという感じです。 これで、今回の目的の大半を達成?しました。 15時間かけてきた甲斐があったと。 時計をみると16:30。 もう熊本城も閉園の時間が迫っていますし、それにホテルのチェックインの時間が・・・ とりあえず城外へでればいいと思い、天守閣からおり、売店でファイルケースとタオルを買い、 三の丸駐車場を目指したのですが、またまた寄り道を・・・・ |
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2009年05月17日
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