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霧雨の別府湾SAを出発。 時間はまだ12:30を少し過ぎたところ。 出船時間は18:50なので、全然余裕〜♪ もし豊後竹田城跡へいけなかったら、ここへと思って確認しておいたところへ〜! 大分市内の市街地にある豊後府内城跡です。 大分道を大分ICで下りて、一般道を走って、別府湾SAから30分くらいで到着。 周囲には県庁・市役所があると思えば、一方では雑然とした住宅地があるといった 中途半端な場所にありました。 何でこんなところにあるのかと思えるコイン駐車場にクルマを停め、早速探索です。 江戸期の城。大分市荷揚(にあげ)町にあり、明治以降の地名で大分城ともよばれる。別称を荷揚城、白雉(はくち)城ともいう。1597年(慶長2)豊後臼杵(ぶんごうすき)から転じた福原直高(なおたか)によって築かれ、1601年竹中重利(しげとし)により増築された。竹中氏は1634年(寛永11)改易、かわって日根野吉明(ひねのよしあきら)が入ったが、これも除封され、1658年(万治1)松平(大給(おぎゅう))忠昭(ただあき)が2万2000石で入り、10代相継いで幕末に至った。現在、人質西角櫓(ひとじちにしすみやぐら)と宗門櫓が現存し、大手門が復原された。 Yahoo!百科事典より 用水路のような?堀を越え、入城します。 内堀の向こうに二層櫓が見え、堀には犬走があります。 特に犬走は熊本城にはなかったはず・・・どちらかと言えば藤堂高虎流の築城か? 熊本城の後に、ここだとかなり物足りない感じ。 さらに歩いていくと猫が 猫の分際で威嚇してきます。気の強そうな猫です。 少し歩くと 廊下橋にたどり着きます。 でも復元でこれは何となく寂しい。 本丸へ入ります。 天守台に登ってみます。 築城当時は四層の天守閣があったらしいですが、よくある話で1743年に火事で焼けてしまい、 その後は再建されることはないまま、現在に至ったようです。 2万石程度の小大名では、城持ちというのも分不相応なので、天守閣が再建されなかったのも仕方ないです。 天守台からの眺めです。 平城ですから、周囲が市街地化すると眺めは最悪です。 熊本城とは、全く比較になりません。 その昔は、堀の向こう側に海が広がり、船着場などもあったようですから、 雰囲気もずいぶん違ったのでしょう。 天守台からおりると・・・ 某戦国大名の胸像が・・・でも、この人、府内城とは関係ないはずなんですが・・・ 本丸内の御殿があったところも殺風景、何もありません砂利の駐車場。 城門があったのでくぐってみました。 堀端を歩いて駐車場へ戻ります。 向かいは大分県庁?なので、わりときれいにしてあります。 そして、ちょっとした公園にでると、こんな注意書きが・・・ マナーは守らないといけないですね(笑) |
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2009年05月26日
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