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気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
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11月14日【月】、今日は何故か休みに割り当てられていたので、一昨日の『ブラタモリ 大坂城 真田丸スペシャル』、昨日の『真田丸』・第45回「完封」の復習も兼ねて、大阪へ行ってきました。

往路は贅沢?に鶴橋まで大阪難波まで回送ついでの『伊勢志摩ライナー』に乗車。

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席に着くと窓のそとには・・・


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4番ホームに『しまかぜ』4号車の乗車位置案内が何故か?

果たして大和西大寺駅から京都駅まで、わざわざ『しまかぜ』に乗車する人がいるのかどうか・・・・

さて乗車してみると鶴橋まで30分弱、汎用型特急車両に比べるとシートピッチも広かったので足も延ばせて、快適な乗車ができました。


鶴橋で近鉄から大阪環状線に乗り換え、次の駅である玉造駅で下車。


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真田丸の最前線?ともいえる駅なので、気合が入っています。

ここからは進路を西に商店街や住宅地を抜け、まずは三光神社。

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月曜日ということもあり、観光客もまばらで閑散としています。

三光神社を経て、いよいよ真田丸跡を目指します。

まずは真田丸跡の北西角へ

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大阪明星学園の敷地の北西角にもあたります。
石垣の部分が段差があります。

少し戻って心眼寺前へ〜♪

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左へ若干曲がりながら登る坂道を歩いていくと、以前の訪問の時にはなかった?石碑があります。

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ふと学校の校舎を見上げると、


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真田丸跡を強調するように真田丸と真田信繁(幸村)と大坂城が描かれた壁画が掲げられています。

大阪明星学園はキリスト教系の学校なので、らしくない印象もしますが、生徒には、そういう場所で学んでいるという誇りがあるのかもしれません。

学校の南側に回り込み、西へ〜♪

この辺りは全く遺構がありません。徹底した破壊がされたというのは番組での解説のとおり。


そしてここからは、真田信繁終焉の地へ〜♪

上町筋から谷町筋と歩き、そしてあべのハルカスを目前にしたところで、上町台地の西側の縁を下ります。

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天神坂と呼ばれる坂道です。そこを下りきったあたりに・・・


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安居神社、ここが真田信繁(幸村)終焉の地と言われている場所です。


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住宅地と他の寺社との間にあるこじんまりした神社です。

もうちょっと広いところか思っていましたが、高台にあり間口はどこも狭いので、軽自動車も入らないそんなところにあります。

そして、それは境内の隅っこにありました。

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こちらの銅像は、三光神社の勇ましい姿のそれとは違い、戦に疲れ果て休息している姿です。

ここで彼は最期を迎えるのですが、その時の思いはいかなるものだったのか・・・・

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そしてここでもありました六文銭を模した五円玉6枚と、なぜかクルミが二つ(笑)

彼も父・昌幸同様にクルミを手にして戦略を練っていたのでしょうか?

本当に小さな神社なので、見て回るのもあっという間。

そしてこの後たどり着いたのは・・・・


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冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田信繁が本陣をおいた茶臼山です。

小高い丘で、南側には池があり、本陣をおくには最適な場所です。

この場所でどんな思いをもって彼は徳川軍に立ち向かおうとしたのか、それはわかるようでわからなかったです。

これで真田丸と真田信繁終焉の地を巡る散歩は終わりです。

ここからは・・・

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写真のような場所を巡りながら、近鉄大阪難波駅から帰路に。

帰宅は思ったよりも早く13時過ぎだったのでした。

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