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気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
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書庫安土城

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安土城天主閣跡

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ついに、今回の安土訪問のクライマックスともいえる天主閣跡へ!

既に、何回もここまで登ってきているので、特に感慨などないつもりだったのだが、
本丸御殿跡の前にある天主閣跡へ続く石段を登りきり、その天主閣の礎石のある
穴蔵部分から四方を見渡すと、以前はなかった天主台の縁へ上がるための木製階段が!!

トコトコとそれを登ると、琵琶湖方面の北側が木々が伐採されている。

そう、今までは木々が邪魔でよく琵琶湖方面が見えなかったのだが、
今回から見晴らしよくなって、手前に田園が、遠くに琵琶湖と霞む比良山系が見えたりして・・・。

その昔は、安土山は琵琶湖に面した半島のような感じだったらしいので、
信長は、僕らが眺める位置よりもさらに高い位置から、
間近にせまる琵琶湖と遠くの比叡山から連なる比良山系を眺めていたのだろう。

さて、この天主閣跡北面の木々の伐採、それにともなう眺め、ちょっと意外。

これこそが、500円の効果の第一段なのか、これからも追っていこうと思ったりも・・・・。

本丸御殿跡

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寄り道して見た信長公本廟を後にして、いよいよ本丸へ。

天主閣跡にある天主台の石垣を左手に歩いていくと、

本丸御殿跡


この場所には、当時、内裏あった清涼殿を模した構造の御殿が建てられていたらしい。

大手道といい、この本丸御殿といい、安土城は信長の意図が見え隠れする
そんな造りのようで・・・。

そんな本丸御殿跡だけど、以前訪問時は杉の木立がアチコチにあり、
薄暗い場所だったのが、今回は、何本かの杉を切り倒し、
少しばかり明るい感じに。

でも、そんなに広いわけでもなく、それはある意味、山城の限界を示しているような?

もし、信長がもっと長命であったなら、次には平城を築城しただろうと。

そして、いよいよ天主閣跡へ〜!

織田信長公本廟

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整備され歩きやすくなった登城路をさらに進むと、やっと黒金門跡に!

ここにきて、やっと城郭らしい枡形虎口に出会う。
でもやはり近代城郭の初期段階での築城なので、
大阪城や名古屋城などに比べれば、小さなもの。
石垣も崩落してためか低くて、当時どんな感じだったのか、
想像力の欠如?した、僕では全く分からず。

さらに黒金門跡を過ぎると二の丸に。
この二の丸に信長の側近であった長谷川秀一邸跡に、4つの供養塔が・・・。
誰のかと思ってパンフをみると、

織田信雄四代供養塔


えっ〜♪何で、ここに?


迂闊だった〜!
もう何回も訪問しているのに、今まで素通りしていたのいで気がつかなかった〜!

何故、織田信雄の供養塔がここにあるのか?
彼こそ信長の次男でありながら、本能寺の変後に安土城に放火したと言われる人物。
そういった人物の供養塔が何故あるのか?
信長の息子だからか?でも信長の息子は、信忠、信孝のほかにも何人かいるわけで・・・。

全くの謎?

薄気味わるかったので、写真を撮らず。

さらに足を進めると、ちょっとした高台に、

織田信長公本廟


本廟には入れないようになっているが、宮内庁管轄の古墳などとは、
雰囲気も違う。
亀甲積された石段の上に供養塔みたいなのが建立されていて、
こちらも薄暗い中、不気味な雰囲気もしたけど、こっちは撮影。

解説を要約すると
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は、天正11年2月(1583年)に信長ゆかりの烏帽子・垂直・
太刀などの遺品を二の丸跡に埋葬して、その場所を本廟とした。6月には織田家一族や
織田家家臣団を集め、盛大な一周忌法要を営んだらしい。

それにしても、どちらも杉の木立に囲まれ、薄気味悪い。
どうせ植林した杉なのだから切り倒して、すっきりさせたらいいのにと思いつつ、
いよいよ本丸跡・天主閣跡へ!!

写真は初夏に訪問した時の黒金門跡、信長公本廟は今回訪問時の撮影

黒金門跡へ

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大手道を登っていき、伝織田信忠邸跡にたどり着くと、

此処は二百十五段目


天主閣跡迄あと百九十段です


頑張って頂上まで行って見ましょう



と言う木にくくりつけた案内板。

石段の数だけで言えば、中間地点を少し過ぎたあたり。

天主閣跡まではまだまだあるわけで、さらに歩いていく。

ここから、黒金門跡までまた直線的な石段が続く。
でも歩いてみると、以前よりも歩きやすい?
石段の間を均してあるような?
もうブログ開設以前から含めても、5回目くらいの訪問なのだが、
今回ほど歩きやすいことはなかった。
草がボウボウだったのに、それも刈り取られているようで、
ボチボチではあるけど、史跡保存の整備というよりも、
観光のための整備が行われているような?

そして、やっと黒金門跡に到着。

ここからが、安土城跡の中枢部といえる場所。

さらに先を目指して歩くと、鬱蒼とした林の中に・・・・・。

大手道を登る

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受付の券売機で拝観券を買い、それをシリアル入りのパンフと交換し、
いよいよ大手道を歩いていくと、左手には『伝羽柴秀吉邸跡』、
右手には、以前にも紹介した『伝○×△◇(当家先祖?)邸跡』、
その上には、『伝徳川家康邸』などが建ち並ぶ?大手道を歩いていると、

ケータイが〜♪

『セーラー服と機関銃』(長澤まさみ)の着メロが〜♪♯♭


愛した男たちを思い出にかえて〜!いつの日にか僕のことを思い出すがいい〜♪


職場のおばちゃん社員から、

○△君のパソコン立ち上げたけど、パスワードが分からない!教えて!


えっ〜♪?

この職場のデスクにあるパソコン、IEには昼休み即アクセスできるように、
このブログのトップページが『お気に入り』に登録されている〜!

あまり触らせたくなかったが、何か業務で使うらしい?
しかたなく、パスワードを教えて電話を切った・・・。
気にはなったがしかたない、とりあえず変な連絡がないのを祈り?ながら、
さらに登る。

歩いていくと、思ったより歩きやすい。

よくみると、石段の段差が大きいところには、
段差を小さくするため、目立ちにくい新しい石段を随所に入れ込んである。

これは確かに歩きやすい!!

それと大手道の石段と石段の間も限りなく平坦に均してあるような?

前回よりも、歩きやすくなっていたのはたしか!
それと、受付前には杖なんかもおいてあり、
歩きなれない人には、さらに便利になったかも?

でも、500円の拝観料の効果はこの程度なのかと思いつつ歩いていると、
大手道が九十九折に、総見寺三重塔方面と道が分かれる織田信忠邸跡前に。

さらにさらに登っていくことに・・・・。

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