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安土考古博物館・信長の館などの見学?を終え、 次に向かったのが、東海道本線を越えたところにある安土城跡です。 このブログを開設してからは、3回目の訪問。 先日、名古屋城・関ヶ原古戦場からの帰路に立ち寄った時は、 秋から拝観料?を徴収するとの案内が出ていたのですが、 秋になって、ホントのところ、どうなったのかはまだ知りませんでした。 クルマを駐車場に停め、大手道の方へ! 大手門跡は、未だに復元工事中で、日曜日であったこの日も工事会社のおじさんが、 一人黙々と仕事をしていました。 そんな復元中の大手門跡をすり抜けると、 柵がしてあって、その横に掘立小屋が・・・。 やはり・・・・有料化してしまったかぁ〜♪ 券売機が設置してあり、 でも この差は一体なんだ? 拝観券を買うと、隣の窓口で腰の低い受付のおばちゃんが、 総見寺発行のパンフをくれました。 ひっくり返してみると何故かシリアルナンバー入り? このシリアルナンバー通りだと、有料化開始後の拝観者?としては、 122××人目らしい。 じゃあ、この500円で何が変わったのか、確かめるため大手道を歩き始めたのですが、
そこでケータイが〜♪♯♭ |
安土城
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詳細
『安土城』については、しばらく休止します。
コメント(16)
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天主部分をみて、その後に見たのが 丁寧に作られた紙細工のよる信長や斉藤道三の人形です。 ここで展示されていたのは、 父・織田信秀の葬儀の場面、舅の斉藤道三との会見のシーン。 どちらも若き日の信長です。 どちらも、後年の信長に多大な影響を与えた人物と関係しています。 父・織田信秀は、下克上で這い上がって尾張半国を支配した人物。 彼が農業重視ではなく商業重視の政治傾向が強いのと、 権威利用という面では将軍ではなく天皇を利用したのは、 父・信秀の影響が大きいと・・・。 信秀は、町とか水運の利用に力を入れたり、 天皇の即位式に献金したりと、 後年の信長の政策の先駆者とも言えるのでは? それと舅・斉藤道三も一度の会見だけで 『あのたわけの門前に馬をつなぐことになるであろう』と言い、 信長の実力も即見抜き、また自らの死の直前には、 信長に対して美濃一国の譲り状をしたためるなど、 道三の信長の気に入りようが、分かるようなエピソードもありますよね。 さて、この続きはあるのかと思えば、 今のところ、ここまでのようです。 ※訂正です 誤 天皇の即位式 正 禁裏修繕費(4千貫文を献上) |
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安土考古博物館をでて、隣接する『信長の館』へ! みなさんも、ご存知かどうか知らないが、 ここには1992年にスペインのセビリア万博で展示された 安土城天主の最上部の五階・六階部分の復元されたものが、 移築されている。 とにかく入れば、まず朱塗りの柱の5階部分が〜! その内部は、柱・襖・天井とあらゆるところが まばゆい限りに黄金で埋め尽くされたような世界! 襖には、信長らしからぬ?仏教の世界観にによる理想郷を表現! 写真の通り、とにかくまぶしい! さらに6階部分を見るため階段を登っていくと、 またそこもまぶしい回廊部分で、金箔が貼りまくられていて、 目がチカチカしてくる。 階段を登りきると、そこがテラスのようになっていて、 そのむこうに6階部分の中を見れるようにしてある。 ここは、柱は漆塗りの黒だが、それ以外はまた黄金色。 まぶしい、けど5階部分のまぶしさとはちがい、 何となくずっしりとしたというか、重厚な感じとでもいうか・・・。 信長らしい、造りかなと。 あまりのまぶしさに、目がおかしくなってきたので、 さっさと階下へ〜♪ 周囲の展示物を見てまわる事に・・・・。 前回にはまともに見てなかったモノもあったので、 ちょっと嬉しいというか、感心するものもあった・・・。 それはまた・・・。
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駅前にある城郭資料館をでて、目指したのが、 前述のとおり、先日訪問した岐阜市歴史博物館にあった全国各地の博物館が発行している パンフの棚に、この特別展のモノがありいってみようと思い続け、 本来は先週の予定だったのが、正倉院展訪問のため、18日に。 クルマを駐車し、博物館内へ〜! ここへ訪問するのは昨年秋の特別展『蒲生氏郷』以来1年ぶり。 特にどうといって変わっていないのだが、この週末は、 ということで無料のはずだったのが、 の但し書き。 已む無く、券販売所でチケットを購入。 隣の『信長の館』も再訪したかったので、 特別展との共通券だと1060円?!高いとは思ったけど、仕方ない。 まずは常設展から。 こちらは、この日は無料。 あまり興味のない弥生時代・古墳時代の展示から見ていく、 展示してあるのは、去年と変わってないようだけど、 模様替えしたらしく、位置が変わっているような? 人形の横にあった柴犬の剥製が無くなっている? 犬好きとしては、ちょっと寂しい。 次に戦国時代・安土桃山時代の展示へ。 こちらは、中世の土塁の城塞のつくりの説明とか、 信長のことについてで、さすが安土らしい。 そして、やっと特別展へ〜! まずはレプリカなのだけど、 教科書や日本史図説なんかに掲載されている江戸城天守閣が描かれているあれ。 二つに分かれていて、一対は川越やどこだったの城・城下が、 もう一対に江戸城とその城下が描かれている。 他にも、 などなど。 その近くにあったケース内に飾られたひとつの古図面 聚楽第をかんこんだ大名屋敷の配置図のようなもので、 その中に、細川越中守と蒲生侍従の屋敷の間に・・・。 お〜、さすが秀吉の信任が厚かった?ためか、聚楽第からはかなり近い場所。 ちょっと関心したところで、次へ。 全国各地の城跡で発掘された瓦を展示。 まずは安土城跡から発掘された瓦、この中では古い部類に入るのに、 しっかりと金箔残ってる。 次に大坂城の瓦。 こちらは、綺麗に金箔が貼りついているものもあるけど、 剥がれているものも。 解説をみてから、もう一度見ると、 安土城のそれと比べると造りが雑。 解説には、生産性を重視して貼り付けの工程を省略していると。 そう、良く見ると、安土城のそれは、瓦の凹面に金箔を貼り付けてあるのに、 大坂城のそれは、凸面に貼り付けてある。 確かに凸面に貼り付けるほうが作業はしやすいし、生産性も高まる、 しかし解説の通り、作業が雑になるのは・・・・。 さらに見ていくと、こういった金箔瓦が使われたのは、信長の安土城、 秀吉の大坂城・伏見城・聚楽第だけではなく、甥・秀次の居城だった 八幡山城・清洲城、義弟の浅野長政の居城である甲府城にも! 他には、信州の上田城・小諸城にも使われた模様。 こういった瓦を使った城郭を築城し、築城させ、関東に転封させた 徳川家康へのデモンストレーション?の意味もあったらしい。 よく考えると、瓦だけとってもいろんな政治性を秘めていることが分かった。 でもちょっとした展示室だったので、いたのは30分くらいだったか、 『信長の館』へも行かないといけなかったので、すっと博物館からでたら、 |




