|
兼六園も探索し終わり、日も傾きかけてきたので、金沢駅へ戻ることに
真弓坂口から兼六園からでて、金沢城の石垣沿いに歩いてみることにしました。
お堀通りの横断歩道を渡ると、
右手には、先ほど、この上から見下ろしてました。辰巳櫓跡を見上げます。
左手には、辰巳櫓台から見下ろしていた鯉喉櫓台といもり堀です。
以前訪問した時にはありませんでした。
鯉喉櫓台は、辛うじて埋められて残っていた石垣の上に、上部の石垣を積み上げ復元したようです。
この櫓台ですが、櫓台にしてはかなり大きいです。
三層くらい天守なら十分建ちそうな大きさですが、この櫓台の上に、櫓を建てたことはなかったようです。
それでは何のためにわざわざ造ったのかは不明です。
この後、鯉喉櫓台に続くいもり堀にそって歩きます。
いもり堀も途切れ、官庁街の裏手のほうにまで来ると
尾山神社の裏手にたどり着きました。
本来ならば、表から入るのか筋でしょうが、時間も迫ってきていることもあり、
また表に回る道も良く分からないので、裏から入ります。
分けの分からない銅像
全く意味不明です
しばらく歩くと開けた場所にでると
当家?先祖の騎乗姿の銅像、
当家?の先祖が被っていたとされる兜です。
金色です。
その向かい側には、
お松の方之像があります。
ここでふと思う事はありましたが、ここでは何も書きません。
拝殿にあがり、とりあえず参拝。
先祖?に報告というところでしょうか?
参拝を終え振り返ると、日はさらに傾き、薄暗くなってきています。
スマホの時計をみると、帰りのサンダーバード42号の金沢発まで後1時間半ほど。
金沢駅まで戻る時間と、お土産や駅弁を買う時間を考えるとあまり時間がない
と言うことで、少し急ぐことに・・・・
しかし、わざわざ急いだ意味はなくなるような大どんでん返しがあるとは・・・・この時想像してなかったのでした。
|
史跡・寺社仏閣
-
詳細
奈良県外の史跡・寺社仏閣の記事です。
コメント(10)
|
首相官邸を離れ、読み方の分からない何とか坂を下っていくと左手に見えてきたのが、
国会議事堂
俗に永田町に言われる界隈の中心にある建物です。
この界隈は、明治維新以来、日本の中心として日本そのものをリードしてきたのです。
そして、今もこれからも日本をリードするであろう場所。
その象徴なのが、国会議事堂なのだろうと。
しかし、この日はGW中ということもあり、また既に日が暮れようとしていて閑散していました。
正面に向います。
正面から見ると、ますます日本政治の良くも悪くも象徴なのだと・・・
正面からの国会議事堂を撮影して、ふと振り返ると
権力を勝ち取るには、はいつくばってでもこの坂道を駆け上がらないといけないものなのだと。
そうしなかれば、真の意味での権力者にはなれないのでしょう。
特に平成になって以来、日本の政治を見ていると何となく権力者になって、
自らこの坂道から転がり落ちている人が多すぎます。
それが、今の沈滞感の漂う日本
こうして振り返ってみると、大学を卒業して以来、何か得たものはあったのか
それが具体的には分からない
ここへ来てみて感じたのは、日本の将来への不安だけ。
これからの日本を予感されるように日はさらに傾いたのを感じ、
ブラタモリの旅も終わりに近づいたのだと。
そして、いよいよ東京を離れるために、まずは官庁街にある地下鉄
|
|
日もさらに傾き、夕方の日差しの中、桜田門からさらに足を進めてむかったのが、
首相官邸
当時は、といっても2ヶ月弱前のこと。
今はなんと言うのか知りませんが、この日は、まだそこは鳩小屋
向う途中、道筋の左手には国土交通省・外務省・財務省といった主要官庁が立ち並んでいて、
それを見上げると、まさにここは日本の中心なのだと、今更ながら感じたりもしたのでした。
ホント、田舎モノです(笑)
それにしても、このあたり地図で見るだけではよく分かりませんが、こうした官庁街が
少しばかり高台にあるようで、ずっと上り坂〜
市ヶ谷駅からここまで一部分をのぞいて、殆んど歩きっぱなしだったので、
相当きつかったです。
そしてやっと首相官邸の敷地近くにたどり着くと
これ以外にも敷地周辺の要所には、警官
GW最中では、官庁街は人影もまばらでしたが、首相官邸だけあって、
その警備ぶりは、物々しい感じでした。
さらに敷地沿いに歩くと
『総理大臣官邸の沿革』ということで、案内板が掲示されています。
江戸時代は、小大名の屋敷地だったみたいです。
さらに進むと、
柵の向こうに首相官邸が見えます。
訪問当時は、鳩小屋だったので鳩がここに住み、執務をしていたのでしょう。
今は、イラ菅がイライラ
首相官邸は物々しい警備がされていて、正門付近は相当数の警官が配備されていました。
これでは、近寄りすぎたらテロリスト
↑
この坂道を下り、あの場所を目指したのでした。
さて、この坂道は何という坂道なのでしょうか?
|
|
江戸城天守台・松の廊下跡・富士見櫓
ふとケータイの時計をみたら、16時になろうとしていました。
帰りの新幹線
東京に滞在できる時間は、約3時間となり、これまで以上にペースをあげていかなければなりません。
とりあえず、大手門の方へ向います。
本丸から大手門へ向う道は、緩やかな下り坂になっています。
こうしてみると、江戸城本丸は、ちょっとした小高い丘の上にあることがわかります。
これを逆に歩いてきていたら、結構きつかったかも?
下りきったところに大手門があります。
さすがに江戸城
大きくて非常に立派な城門です。
外様筆頭の当家や御三家・伊達家や島津家などの当主が、この城門をくぐり参勤したのでしょう。
内堀は深くはないようですが、その幅はかなりのものです。
時間がありませんので急ぎます。
ホントに時間がないので、1区間だけですが地下鉄
千代田線
次の二重橋前駅で下車します。
息を切らせて地下道を駆け上がると、皇居外苑前にでました。
ふと皇居外苑の堀沿いを見ると、そこは現在丸の内のビジネス街
その中で、どこかで見たようなレトロなビルが・・・・
レトロな外観なので、明らかに隣接のビルとは違い、異彩を放っています。
このビル、戦後すぐ連合国軍最高司令官総司令部ことGHQが設置された旧第一生命館です。
本社屋である東京・日比谷の「第一生命館」は、昭和13年(1938)に渡辺仁・松本与作の共同設計で建設されました。
終戦後、昭和20年(1945)に連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収されました。マッカーサー総司令官は東京に進駐した当日に、都内を車で視察し、複数あった候補の中からこのビルを選んだといわれています。第一生命館では、現在でもマッカーサー総司令官室が保存されています。 平成7年(1995)に「第一生命館」は、隣接する「農林中央金庫有楽町ビル」と一体化させた上で中間に高層階部分を増築し、「DNタワー21(第一・農中ビル)」として改装されました。その為フロアの高さが異なり、低層部分=本館の8階部分のS階が新館の6階と繋がってます。外装は花崗岩を主とし、装飾を排したシンプルなモチーフの力強いデザインでまとめられています。 DNタワー21は戦前最後の現存する大規模建築として、東京都選定歴史的建造物に選定されています。 千代田区観光協会HPより
あのダグラス・マッカーサー元帥が、日本占領のための拠点として陣取ったビルです。
皇居を見下ろす位置にあり、GHQがその威信を示すには最適の場所です。
当時は、周辺焼け野原で、この建物はずいぶん目立ったのではないかと想像できます。
このビルの執務室からマッカーサーは、どんな思いで周囲を眺め、
日本をどんな方向へもっていこうと考えたのでしょうかね?
そして、現在の日本は、マッカーサーの描いたそれに近づいたのか?
それとも、相当遠ざかっているのか?
今生きてると、自分なりには、何かマッカーサーの描いた日本とは、
だんだんかけ離れているのではと思うのです。
最近は、あまりにもいろんな事が立て続きに発生し、数多くの束縛が日本を締め付け、
息苦しい生きにくい世の中になってはいないのかと。
社会主義・共産主義といったモノとは何か違う暗雲のようなモノが
日本全体を覆っている、そんな感覚がし続けているように思います。
ふとそんな悲観的な思いが横切ったのでした・・・・
|





