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JR市ヶ谷駅から九段まで、途中にそば屋で寄り道などもしながら、
だらだらとした坂道を登り、ようやく到着しました。
靖国神社 です
後で地図で確認すると、境内には、正面から入ったのではなくて、
南門という、どちらかといえば裏門から境内に入ってしまったようです。
入ってみると、神社らしく鬱蒼とした森があります。
そこに植えられている木々が、よくみると靖国神社に相応しい桜
さらに近づいてみると、それらの木々には札が付けられています。
分かりませんが、その連隊の帰還者により
植樹されたようです。
こちらは、大和型戦艦の武蔵の関係者・
遺族の方々が、ここに植樹
他にも、アチコチに派兵された連隊や艦艇のゆかりの方々が植樹された桜
しばらく歩くと左手に、
拝殿にたどり着きます。
二礼二拍手一礼
しかし、何と言うか、靖国神社というのは、何かを祈願するというのは、
ちょっとそぐわない感じがしますね。
少し下がって御神籤を引きます。
小吉?だった末吉?だったか?忘れてしまいましたが、内容はあまりよくないです。
わざわざ参拝しても、意味がなかった?
神頼みしても、全く効果がないのは何故でしょうか?
5月29日現在も、御利益はありません。
ないどころか、ロクな事がありませんが・・・・
それはそれで、本来の目的は参拝にはなかったのです。
今宵はこれくらいで・・・・
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史跡・寺社仏閣
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奈良県外の史跡・寺社仏閣の記事です。
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東京の新名所 東京スカイツリーを後に、都営浅草線の押上駅から地下鉄乗車です。 時計をみるとまだ9:30過ぎくらい?! 時間的には余裕がある〜♪ 当初の予定した訪問場所へ行く前に、ちょっと寄り道。 この場所からだと、遠くに東京スカイツリーが見えます。 ちょっと横丁みたいなところ歩いてみると、ありましたありました・・・ 今もなお、江戸の風情を残している、そんな感じです。 提灯は、圧迫感をひしひし感じるほどデカイです! 雷門をくぐりぬけ参道を歩くと、どこもかしこも観光客。 けれど、観光客同志の会話からは日本語が聞こえてきません。 ○×△□、☆●◇◎★@%$〜♪!! その大半が小汚いおっさん・おばはんです。 どうも中国人らしい? マナーは悪そう? この後、こんな中国人に、要所要所で出会います。 境内に入り、縁起を担いで煙を浴びますが、御神籤を引くと、 天気はいい割に、心には暗雲が漂います。 気を取り直して、本堂内でお賽銭入れて拝んでみます。 ご利益はあったのかどうか? 今のところ、その兆候は全くないです(泣) 本堂をでて、ケータイの時計をみると、思っていたより時間が経っていました。 ちょっと急ぎ足で、浅草界隈だけでも散策してみることに・・・ |
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宮川を渡り、ついに上越遠征での最後の訪問地に到着です。 1692年に金森氏が転封で飛騨高山を離れた後、 幕府は飛騨国一円を天領とし、その統治のために代官・郡代を 江戸から派遣し、行政・警察などを行うために設置された陣屋です。 現在では、郡代役所が残っているのは高山陣屋だけで貴重な存在です。 中に入ってみます。 玄関から右手に向うと、御役所と呼ばれる部屋に出ます。 この部屋で飛騨国一円の行政事務をしていたと思われます。 さらに進むと 湯呑所と呼ばれる炊事場あります。 現在で言う給湯室といったところでしょうが、 当時の役人は武士だったわけで、今のようにOLがたむろするような 華やかな場所ではなかったのでしょう。 近くには便所もあります。 奥に進むと 代官・郡代の執務室のような部屋があります。 さらに奥へいくと、用人部屋や台所などがあり、 かなりの役人がいたことが忍ばれます。 さらにウロウロすると御蔵と呼ばれる倉庫群へ〜♪ 米俵がうずたかく詰まれた当時の倉庫の様子や 天領だった頃の飛騨国の状況などなどが紹介されています。 特に米の保管のため、通風口などがあり、工夫されたつくりです。 さほど広い敷地ではないですが、見どころ満載の史跡でした。 |
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春日山神社から下りて、一旦駐車場まで戻ります。 この時点で正午が近いようで、テレビでは『アッコにおまかせ』が始まっています。 フロントガラスには日除け板を置いてなかったので、 車内はやたらと暑いです。 しかし今回の遠征もハードスケジュールなので、先を急ぎます。 クルマでは、数分どころか数十秒のところです。 謙信公の菩提所です。 拝観料を支払っから、山門をくぐります。 山門には、 仁王様?が門番をしていて、天井には 龍が描かれています。山門をくぐり、さらに進むと 池があって、蓮の花?が咲いています。 正面には本堂がありますが、こちらは近年の建築のようで文化的価値はなさそうです。 そこで左手をみると、 その先に謙信公の墓所と川中島合戦戦死者の供養塔があるようです。 登ってみます。 苔むした墓石がポツンと立っています。 派手派手しくもなく、その質素さが、いかにも謙信公らしい。 そこから少し離れたところに 川中島合戦戦死者供養塔があります。 こちらも時代を感じさせます。 双方にお参りをして、次は宝物殿です。 謙信公直筆の『第一義』の額があったり、書状や甲冑などが展示されていましたが、 写真撮影禁止だったのが残念〜♪ 境内も広くはないので、林泉寺拝観も終了〜! もう13時になるかどうかという時間になったので、
さあ昼食と思い、クルマをPから出発させたのですが・・・ |







