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気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
Yahoo!ブログも本日8月31日をもって実質的に終了となります。これまで弊ブログを御贔屓いただきありがとうございました

書庫史跡・寺社仏閣

奈良県外の史跡・寺社仏閣の記事です。
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春日山神社

千貫門跡からさらに下っていきます。

ここからは傾斜もゆるく、のんびりと歩いていけます。

しばらくすると

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春日山神社まで戻ってきました。

1901年 (明治34年)、童話作家・小川未明の父親である旧高田藩士小川澄晴により、
前島密らの援助を受けて創建された。
祭神は上杉謙信で、山形県米沢市の上杉神社より分霊された。
社殿は神明造である。境内にある宝物館には上杉謙信や小川未明に関する資料が展示され、
正月には初詣や二年参りなどの大勢の参拝客で賑わう。

明治末期にできた割と新しい神社です。

もちろん祭神が謙信公であるのは言うまでもありません。

この日も『天地人』の関係の観光客や春日山城へのトレッキング客の
中継点としてごった返しています。

僕も参拝してみました。

祈願してみましたが、どうなるやら?

参道を戻ります。すると左手に

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旧陸軍の大砲の残骸?が赤く塗られて展示?放置?されています。

隣には石碑があって、そこには『睦仁』の文字が確認できます。

日露戦争戦勝記念のモノかと思われます。

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その奥には、忠魂碑があり、こちらには田中義一の名前が?

陸軍大将男爵とあるので、総理大臣在任時のものではなく、
それ以前の現役時代に建てられたものみたいです。

こういうのをみると、やはり謙信公は『軍神』だったのかなと。

ということで、春日山神社より上の春日山城攻略は、苦難の末、終了です。

でもフラフラです。

売店横の自販機でまたお茶を購入〜♪

早速、ラッパ飲みしていると境内にコスプレ?の一団が・・・

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謙信公と上杉家家臣団ですが、謙信公は、どうみても武蔵坊弁慶です(笑)

これも神社側からのサービスの一環なのでしょう。
観光客との写真撮影に協力されています。

僕はさすがに並んで写真を撮ってもらう勇気はありませんでしたが・・・・

では、次はいよいよ謙信公の墓所へ〜♪

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豊後街道石畳

どんどん登っていく峠道の途中に、ちょっとクルマが停めれる事があったので、
位置確認のため停車しました。

クルマを停めると、その向こうには・・・・

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石畳の道が山麓へ向けて下っています。

何だと思い、近くの案内板をみたら・・・

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〜参勤交代の道〜  豊後街道

豊後街道(ぶんごかいどう)は、肥後国熊本(現在の熊本県熊本市)と豊後国鶴崎(現在の大分県大分市鶴崎)を結ぶ全長約124km(31里)の街道である。江戸時代に加藤清正によって拓かれ、熊本藩の参勤交代に用いられた。

肥後国熊本城の札の辻から、阿蘇、久住を経て、豊後国鶴崎に至る街道である。

加藤清正が天正16年(1588年)に初めて肥後国に入国した際に通った道とされ、後に清正によって拡張され肥後国と豊後国との間の主要な街道となった。江戸時代には、豊後国のうち豊後街道沿いの久住、野津原、鶴崎が熊本藩の飛び地となり、熊本藩の参勤交代は、豊後街道を通って陸路で九州を横断した後、鶴崎の港から海路で瀬戸内海を通って大坂に至り、東海道を江戸に向かっていた。これは、当時、大坂、江戸への最短経路であった。熊本から鶴崎までは4泊5日を要し、大津、内牧、久住、野津原の4つの宿場が整備された。後に、これらの間の坂梨、今市等にも宿場が設けられた。

文久4年(1864年)に四国艦隊下関砲撃事件調停の幕命を受け、江戸から長崎に向かった勝海舟、坂本龍馬等一行は、佐賀関に上陸した後、豊後街道を通って熊本経由で長崎に向かった。

豊後街道のうち、熊本市から菊池郡大津町に至る部分は大津街道、大津町から阿蘇郡阿蘇町二重峠に至る部分は清正公道(せいしょこどう)とも呼ばれる。また、大分側から見ると肥後国に向かう街道であることから、肥後街道(ひごかいどう)とも呼ばれる。さらに、豊後往還、肥後往還と呼ばれることもある。

経路は、現在の国道57号、熊本県道337号熊本菊陽線、熊本県道339号北外輪山大津線、熊本県道110号阿蘇一の宮線、国道442号等にほぼ沿っており、所々に石畳や杉並木などが残されている。

ウィキペディアより

清正公が整備した熊本城から豊後鶴崎までの街道の一部のようです。

それにしても、こんなところに石畳の道があるとは・・・

奈良でも柳生街道の一部に石畳がありますが、こことは違って森の中を通っています。

せっかくきたのだから、少し歩いてみます。

雨なので、石の上がツルツル!

これでは滑ってしまいます。

わが人生も、ここまで相当滑りまくっているのに、
ここへきてホントに滑って転んでいるわけにはいかないです。
滑るのはスキーだけで十分!!

雨も激しくなってきたので、クルマへ戻り、先を急ぎました。

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加藤神社

熊本城内も一通り見終わって、宿所の熊本ワシントプラザホテルへ〜♪

といっても、まずは三の丸駐車場まで戻らないといけません。

登城するときは、二の丸御門跡から二の丸広場、西大手門をくぐり本丸へ向いましたが、
下城するときは、違った道で戻ることに・・・

宇土櫓を囲む空堀沿いに歩き、北大手門跡をくぐりぬけて三の丸駐車場へ戻ることにしました。

空堀の先には、石造りの鳥居と蛇の目の幟が・・・・

加藤神社

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明治4年(1871年)の神仏分離令により、本妙寺から移されて、城内の宇土櫓前に創建された神社です。錦山神社が正式な名称ですが、ご祭神が加藤清正(かとうきよまさ)公であることから、
一般に加藤神社と呼ばれています。
明治7年(1874年)に熊本鎮台が城内に置かれたことから、城外に遷座しますが、
昭和37年(1962年)道路改修のため再び城内の現在地に遷宮しました。
清正に殉死した大木兼能、朝鮮人の金宦を合祀しています。
境内から見上げる大小天守、宇土櫓の眺めは絶景です。 

熊本城公式HPより

その名前の通り、御神体は清正公です。

さほど敷地が大きな神社ではありませんが、熊本県内では藤崎宮と並んで有名な神社のようです。

せっかくやってきたので、参拝します。

お賽銭をいれて、拍手をしてお参りします。

今となっては何を祈願したのか、全く覚えていません。

だからか、今のところ御利益らしいことは全くありません。

待ち人来たらず・縁談なし・財散ずる・事うまくいかず

全くそのままです。

参拝を終え、振り返ると・・・

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清正公生誕450年・没後400年が近いらしく、
それを記念して、大河ドラマの主役とすべく、
署名活動を行っているらしい。

これまで信長・秀吉・家康を軸にする大河では、脇役に甘んじなければならなかった清正公ですが、
ここ数年の大河では、これまでの大河では脇役であったか、それにすら含まれなかった人物が、
主役になっていたりして、これで清正公も主役として大河が成立するのではないかと。

早速、署名しました。

『龍馬伝』の次はと、思わずにはいられなかったです。

そして、いよいよ熊本城とはお別れです〜♪

長い長い一日が小雨の中、暮れようとしていました。

伊賀流 忍者博物館

今日も朝は買い物とチビを中山さんへ連れて行ってはみたものの、
12時前には片付いて、午後はフリー〜♪

久しぶりに午後が完全にフリー!!

少し遠出を〜♪

いろいろ考えたけど、今回選んだのは伊賀上野城。

以前も訪問したけど、その時は天守閣に登閣しなかったので、
今回はそれが目的。

時間もあるし、のんびりと行こうと往路は国道163号線を利用して伊賀上野へ!!

何度か走ったことある道なので、ドライブとしては退屈で・・・

奈良を出発して1時間、山間地を抜けると広い平野が広がり、
その真ん中にある小高い丘の上に三層の天守閣が見えてくると、
そこは伊賀市内。

163から離れ、しばらく細い道を走ると伊賀上野城の南側に!

そこまで行くと伊賀上野城はすぐで、Pにクルマを停め、
コンビニで買った弁当を食べて、いざ出陣!!

丘の上にある天守閣を目指して歩いていくと、

忍者博物館というのがあるらしい?

以前訪問したときは、全く気がつかなかった。

今回はせっかくだし、そちらへも行ってみることに

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くのいちさんが、表で待っています。

博物館は、忍者屋敷と忍者体験館と忍者伝承館で構成されています。

しばらくすると他の観光客と一緒に屋敷内へ案内されます。

入ると屋敷内の仕掛けのどんでん返しや仕掛け戸'''などの紹介をしてくれました。

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他にも屋根裏へ逃げる仕掛けや外へ逃げる地下道なども・・・

そして、屋敷をでて次は体験館へ行くと、お馴染みの忍者アイテムの展示。

水くも・手裏剣・まきびし・忍者衣装

解説など読むと、忍者衣装は実は黒ではなくて紺色であること。

黒は、暗いところではかえって目立つらしい?とのことで、
紺色なのだと、目からウロコでした。

次は伝承館へ〜!

薬の調合をしている蝋人形?かと思えば、実際は火薬?のようで・・

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その隣には忍者衣装

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館内の真ん中には忍者屋敷のジオラマ

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そして五色米

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一般に「五色米」というと古代米を指しますが、忍者が使っていた五色米は色づけした米です。
これを一定の法則に従って巻くことで、仲間に情報を伝達することが出来るのです。
五色米を使って伝達できる情報は、あらかじめ取り決めておいたものだけですが
必要な情報を仲間だけに確実に伝えることが出来るという利点を持っています。

こういった伝達手段も持っていたようです。

忍者のことはあまり知らなかったので、結構勉強になりました。

そして次は天守閣へのはずでしたが・・・・

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秋山兄弟生誕地

時間は既に14時、松山城二之丸史跡庭園を後にして再び県庁前の大通りへ〜♪

県庁前の大通りには、何故か引っ切り無しに行き来する路面電車。

2台連続で走ってきたり、これで採算とれてるんかなと余計な心配もしながら、
ロープウェイ乗り場の手前にあるあの場所へ

路地裏のようなところに存在するあの場所は、案内標識がないとわからない。

そんな路地裏に入り込み、ぐるぐる回っているとやっと到着。

小さなお寺みたいな感じなのだけど、それが何やら変に新しい?

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秋山兄弟生誕地


そう、ここが秋山兄弟の生誕の地らしい。

ところで、秋山兄弟って・・・誰だ?と思う人、結構多いと思います。

この兄弟、司馬遼太郎が『坂の上の雲』を執筆しなかったら、
その存在すら歴史の彼方に押しやられていたかもしれない。
今は司馬氏のおかげ?か、郷土の英雄らしい。

さて、では秋山兄弟とはどんな人たちで何をしたのか?

まずは兄の秋山好古は、

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松山城下(現松山市)出身。幼名は信三郎。
日露戦争では、世界最強といわれたコサック騎兵を相手に奮戦し、奉天会戦などで勝利に導き、
さらに味方の3倍の騎兵団を破るなどの騎兵運用をした。
これは、先に著した『本邦騎兵用法論』を実戦に臨んで完成させたものとされ、
「わが国騎兵の父」と仰がれる。陸軍大将退役後、北予中学校(現松山北高等学校)校長として
後進の育成に尽くした。海軍中将になった秋山真之は実弟である。

日本陸軍の騎兵の父ともいわれる人物で、また教育総監や北予中学校の校長を務めるなど、
どちらかといえば教育者としての側面が強い陸軍軍人であったようです。
特に予備役に退いた後、相当格落ちの中学校校長に就任したことは、
今なら統幕議長が退職後、田舎の高校の校長になったようなもので、
世間を驚かせたみたいです。
それも彼自身の希望でもあったので、積極的に松山の教育の発展に寄与したらしい。


そして、弟の秋山真之は、

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1868年、旧松山藩士、秋山久敬(ひさたか)の五男として愛媛県松山市歩行町に出生。
幼名、淳五郎(じゅんごろう)。
親友、正岡子規の上京に刺激され、愛媛県第一中学(現在の松山東高校)を中学5年にて中退、
明治16年(1883年)に将来の太政大臣を目指すために上京、しかし秋山家の経済的苦境から
文学の道をあきらめ海軍兵学校に入学、そして海軍軍人となる。
日露戦争では連合艦隊司令長官東郷平八郎の下で作戦参謀となり、「旅順口閉塞」「七段構え」など
ロシアのバルチック艦隊迎撃作戦を立案し、日本海海戦の勝利に貢献、日露戦争における
日本の政略上の勝利を決定付けた。 

もともとは文官を目指していたようだけど、無償で学べる海軍兵学校へ〜!
海軍軍人として、特に日露戦争ではその頭脳をフルに動かし日本海海戦を勝利に導いた〜
でも、日露戦争で精根尽き果てたのか、その後はあまりパッとした活躍はしなかったようで・・
50歳で亡くなってしまいました。


兄弟どちらも軍人であるけれども、性格は全く違う。
けれど『坂の上の雲』を目指す志は同じだった様に思います。

彼らの頑張りが、明治という短期間で日本を飛躍的に発展させたのだと。

しかし、坂の上にたどり着いてしまった日本は、その後坂道を駆け足で下るようなことに・・・・


本題からそれてしました。


早速生家の中へ、ホントにこじんまりした家で

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秋山家の内部です

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その中に、そこで撮影したと思われる集合写真。

秋山兄弟が写っていると思われますが、よくわかりません。

写真を見ても、建物にそれほど奥行きがあるようにも見えません。

そんな秋山兄弟が生まれたのが、この路地裏の小さな家。

彼らの後年の活躍を思うと、チグハグな感じもするけど。

どん底から這い上がってきた人たちが、明治日本を支えたんだとも。

今更ですが、彼らの努力が今の日本の基礎となっているんだなぁ〜と。

次は少し街中から離れてみました。

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