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今日は5時前起床。また寝てしまうとギリギリまで寝てしまうので、気持ちを引き締めるうえでも散歩に行ってきました。
自宅を5時過ぎ出発。まだ夜明け前ということもあり、真っ暗な中をいつもの定番コースです。
菅原神社に立ち寄る前に、その裏手にある菅原公園へ〜♪
夜明け前の空に明けの明星です。
もうすっかり天高いところにあるので、撮影が難しくなってきています。
その後、菅原神社で参拝し、今度は喜光寺前の歩道橋上から。
世はかなり明けつつある空に光り輝いています。
サークルKで読売新聞を買い、今度は垂仁天皇陵北側から。
もう星は見えなくなり、夜明け
今週はドタバタだったので、ここらで落ち着いて週末を迎えたいですが、この週末は土日とも仕事。月曜日が代休なだけマシかなと。
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散歩
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詳細
2014年9月より開始。
当初の目的である健康増進に役に立っているのか?
当初の目的である健康増進に役に立っているのか?
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9月20日(日)、シルバーウィークの2日目です。
と言っても僕には関係なく、昨日・今日は休みですが、明日以降3日間は休日出勤です。
休みなので、本来ならば長距離散歩に行くのですが、昼前より大阪へ出ていくので今日は定番コースに垂仁天皇陵を巡る程度の3.5kmを散歩してきました。
暑くもなく寒くもなく、また快晴で、散歩には最適な気候です。
菅原神社で参拝し、サークルKで新聞を購入してから、垂仁天皇陵を目指します。
実家近くの集落、垂仁天皇陵の南側の住宅地を抜け、橿原線沿いから北上。
ここ数年は休耕田だった田んぼにも今年は稲が植えられています。
色も緑から黄金色に変わりつつあり、稲刈りも近い感じです。
そして今年は、その田んぼに派手な案山子が立っています。
派手すぎて効果があるのかどうかは疑問ですが、遊び心満載です。
さらに進み濠沿いを見ると、
鷺が孤独に佇んでいたのですが、近づくと飛んでいき・・・
そこからはそのまま帰宅。歩数4426歩でした。
今日は昼前から日本橋へ、その後は怒涛の3時間半を京セラドームで過ごすことに・・・
日本橋はともかく、京セラドームでの熱狂について行けるかどうか・・・
ステージに立つあの方たちは、僕とあまり変わらない年齢なのですがね(笑)
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前回からの続きです。
小学1年生から5年生最終まで通った済美小学校にたどり着きました。
前述のとおり、校舎は建て替えられ、当時の面影はすっかりなくなりましたが、どこかにまだ残ってはいないかと校庭沿いを歩いていくと・・・・
ありましたありました。以前は、どこの小学校にもあったあの像が・・・
二宮金次郎(尊徳)像です。
江戸中期に薪を背負いながら勉学に励むという非常に偉い方で、明治に入ってからは、彼の功績が政府の教育政策の一環に取り込まれ、その波及のため、あちこちの小学校にこのような像が立てられたようです。
それにしても、この像が残っているとは思いませんでした。
設置場所こそ、校舎の建て替えで移動していますが、やはり小学校には、この像は必要だとつくづく感じました。
二宮金次郎像を見つけたあたりから、雨が降り出してきたので、このあたりから急ぎ足でさらに北上していきます。
次にたどり着いたのは・・・・
三条町にある藤和奈良ハイタウン。
このマンションの9Fの一番端っこの部屋に高校2年〜社会人1年目までのおよそ7年ほど住んでいました。
東向きのなかなか見晴らしの良い部屋で、若草山の山焼きを見るには最高のロケーションでした。
結婚するとき、ここも新居の候補の一つでしたが、流石に東向きの部屋に空きはなく、断念しました。
築35年くらいのはずですが、手入れもよく今も人気のマンションのようです。
そしてやっとこれで終わりかと思い、近くのJR奈良駅からバスで帰路につこうとしたら、バスが目前を走っていくではないですか!!
バス停へ行き、次のバスを確かめるとかなりの時間があるので、これなら近鉄で帰る方が早いと思い、三条通を東へ〜♪
やすらぎの道にたどり着くとそこからは北上。
しばらく歩くと・・・
そこには大学4回生の頃バイトしていたローソン林小路店跡が!
今は美容室のようです。外観には辛うじて当時の面影が残ります。
ここから数分歩いて、ようやくこの日の散歩の実質的な終点である・・・
近鉄奈良駅に到着。
西大寺経由で帰宅して、おおよそ12km、15216歩でした。
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先日の散歩の話の続きです。
奈良市内最古のローソンを横目にしてたどりついたのは・・・
UR都市機構 桂木団地
生誕から幼少期を経て小学5年生最終まで12年近く住んでいた団地です。
その昔、この地に桂木寺?という寺院があったらしいのですが、その跡地に建てられたため桂木団地と呼ばれるようになったみたいです。
団地の完成は1967年と築50年近くなりますが、改修工事を行い、今も現役です。
当時、僕は18号館(18号棟ではなく18号館と呼ばれていた)に住んでいました。
規模としてはさほど大きな団地ではありません。
2号館から始まり18号館までのこじんまりした団地です。
案内図には1号館がありますが、集会所で住居設備はありません。
そして18号館の真ん中の階段の4Fに住んでいました。
写真の真ん中に公園の街灯の照明部分の左側が、当時住んでいた部屋です。
2LDKの非常狭い部屋でした。
部屋へ上がる階段の間口は、こんな感じで非常に狭いです。
間口の横には、当時は利用してたダストシュートのゴミ受け場があります。
今は利用されていない?様で、生ごみの悪臭はしませんでした。
当時は結構これが臭かったのですが・・・
久しぶりに訪れると、なんと何もかもサイズが小さいのかと・・・
あの時は気にもしていなかったのですが、窮屈感が漂います。
特に僕よりも大柄な父にとっては、かなり窮屈ではなかったのではないかと今更ながら思います。
そんな思い出の地で感慨に浸っていましたが、だんだん雲行きが怪しくなってきたので、不本意ながら急ぐことに・・・
ここからは、当時通っていた小学校への通学路に沿って歩いていきます。
桂木団地北東の出入り口から外に出ると、当時は近鉄百貨店の物流センターであった場所にマンションが・・・
一瞬、雷鳥?かと思いましたが、多分ただの鳩でしょう。
ここからは、ウネウネ曲がりながらも北上。
桜井線の踏切を越え、市内循環バスの往来する歩道橋前までたどり着いた時、その変容に驚きです・・・・
僕が前の会社にいた頃、初めて赴任したのがこの場所にあったGSでした。
今はその面影もなく、セブンイレブンに。隣は材木屋さんの材木置き場だったような気がしますが、そこもドラックストアに様変わり。
時代の流れを感じます。
歩道橋を渡り、さらに北上、三叉路を左手に曲がってすぐのところに・・・
奈良市立済美小学校にたどり着きます。
ここが小学1年生〜5年生最終まで通っていた小学校です。
創立は明治6年と奈良でも有数の伝統校です。
在学当時の本館校舎は既に建て替えられ、当時の面影は見受けられませんでした。
しかし、当時の面影はどこかにないのかと校庭沿い歩いていくとありました、昔はどこの小学校にでもあったあの像が・・・・
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