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緊張しながら、その動きをかたずをのんでみていた台風18号は、あっさりと関西を避け通り抜けてきました。関西はこれといった被害はないようです。
そんな台風が来る直前の9月6日(日)、雨降りの合間の曇り空の中、例の如く休日の遠征散歩?に行ってきました。
今回はいつもと違い、まずは南下して、その後は東へ〜♪幼少期と高校〜社会人1年目まで過ごした地を巡りました。
まずは南下し唐招提寺まで。
早朝・日曜日ということもあり、車の往来もなく静かな門前です。
その門前を通り過ぎたところにあるお土産物屋の裏手に・・・
何故か案山子?
秋に本格的に入るので、その準備でしょうか?
さらに歩きます。
秋篠川沿いを南下し、薬師寺前の東西に抜ける道にたどり着くと左手に曲がります。ここからしばらくは現在の通勤経路を歩きます。
県道9号線を横切り、東へ向かいます。
途中歩いていくと、田んぼと道の間に用水路があって、そこには・・・
そこにはザリガニがいました。小石を投げて当てると万歳してピースサイン
長らくザリガニなど見たことがなかったですが、おちょくってやると面白いです。
さらに歩くと、そこは・・・
弊ブログでもたまに登場する奈良県立奈良朱雀高校前に出ます。
この日は休みということもあり、正門は閉まっています。
またまた登場するのが、
セブンイレブン奈良柏木町店です。
最近はかなりお世話になっています。
ここでペットボトルのお茶を買い、さらに東へ〜♪
いつもここで左手に曲がるのですが、今回はさらに東へ〜♬ゴーゴーEASTです!!
柏木町の交差点を抜け、大和路線の踏切を渡り、その先の集落の中を抜け、たどり着いたのは・・・・
南都七大寺のひとつ、大安寺です。
その昔は、相当大規模で大伽藍・七重塔をもつ寺院だったのですが、時代の流れとともに衰微し、現在はこじんまりしたお寺になってしまいました。
今回は時間がないのと開門していなかったので、境内には入りませんでした。
その代わりにこの場所から約150Mほど南にある七重塔の跡に行ってみました。
その昔は、それが東西に対になって建っていたらしいのですが、今はこんな感じ。
こちらは東塔跡。
鬱蒼と茂ったこんもりしたところが西塔跡だそうです。
今はその面影を想像するのも難しいです。
歩いてみると、大安寺がかなりの規模であった事はわかります。
今もその威容を誇る東大寺・興福寺・法隆寺といった他の寺院とは何が違ったのでしょうかね?
寺院としては運に恵まれていない、そんな感じがします。
その次に向かったのは、集落の中にある・・・
奈良市立大安寺幼稚園、僕はここの卒園生です。
もう40年近く前の事になりますが・・・・
僕が在園していた頃の園舎は既になく、新しい園舎も小さくなっています。
当時の事を思えば、かなり園児数も減っているのでしょう。
けれどこの幼稚園は僕が通っていた小学校の校区とは違う場所にあります。
もともと奈良県民ではなかった両親はこのあたりの事情を知らず、どうも自宅から近いというだけでこの幼稚園に入園させてしまったようです。
だから、このころ住んでいた団地からこの幼稚園に通っていたのは僕を含めて4人だけ。他の子どもは、校区内の遠い幼稚園に通っていたみたいです。
このあたりは、それ以外は殆どゆかりもないので、さらっと流して次へ〜♪
そしてそこにあったのは・・・・
ローソン大安寺店
僕が知っている限りでは、奈良市内?いや奈良県内では最古のローソンです。
僕が小学生の頃にオープンしてから、一度も閉鎖されることもなく、35年くらい前から存在しています。
当時、こんな店ができてメカラウロコ状態でしたので・・・
そしていよいよ幼少期の思い出の地へ〜♪
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散歩
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詳細
2014年9月より開始。
当初の目的である健康増進に役に立っているのか?
当初の目的である健康増進に役に立っているのか?
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8月23日(日)、16日に引き続きまたまた越境散歩してきました。
前回は奈良市・生駒市の越境ですが、今回は・・・
5:40自宅出発。まずはいつもの如く菅原神社に参拝し、その後、西大寺駅へ〜♪
西大寺駅西側の”開かずの踏切”上で西大寺駅方向と難波・京都方向を撮影。
まだ6時前の電車の本数が少ないからこそできる撮影。
それにしても複雑すぎる線路。これは鉄道模型レイアウトで再現するのは至難の業でしょうね。
さて踏切を渡り、西大寺駅北口から奈良ファミリーの裏手を通り抜け、秋篠川を越え、ここからは山陵町内の集落を抜けていきます。
迷路のような集落を適当に歩いていくと、
墳丘の規模は全長96m・後円部径60m・前方部幅45m・墳丘の高さ10m、墳丘周囲の濠は一部つくられず、その濠も何故か空濠だったようです。
あんまり時間がないので、ちょっと見ただけで退散。
集落を抜けると、先日の歌姫街道散歩の帰路にあった軍人墓地前に・・・・
そこからまっすぐ東へ、歌姫街道へ出ると北上〜♪
先日訪問した歌姫神社からは散歩では前人未到の・・・
通称”外環”こと『ならやま大通り』を潜り抜け、高の原の住宅地を縦断し、ついにたどり着きました。
今回は市境よりさらにランクの高い?府県境です。
そしてこんな石碑も!
1919年(大正8年)に奈良県が設置した府県境の石碑です。
100年近く前に設置された割には、かなり新しい感じがしますが、奈良県庁と郡山町(当時)への距離はkmではなく、尺貫法で表示されています。
クルマでここを通る事はたまにありますが、こんなモノがあるとは知りませんでした。
歌姫街道は相当昔から往来があった事を示す証人?ですな。
やっと府県境をこえ、京奈和道の下をくぐり、今度は東へ〜♪
途中木津の体育館手前から川沿いに歩き、今度は木津の旧市街地へ〜♪
総墓五輪塔
鎌倉時代、正応5年(1292年)の建立された、高さ3.6m、花崗岩製の五輪塔です。
惣墓とは、一般大衆のあいだに個人墓が普及していなかった時代の葬礼儀式の一形態で、いわゆる共同墓地という意味をもっており、主に大和・山城地方に分布しています。 水輪にキリーク(梵字)が彫刻され、地輪東面に正応五年の造立銘、北面に永仁四年(1296年)、南面に永禄五年(1563年)の追刻銘がみられます。風輪と空輪は若干過大で後補でしょうか。建立年代の判る五輪塔として貴重なもので国重要文化財となっています。 要するにお墓のようです。
そしてしばらく歩くと国道24号線へ〜♪
国道を渡り、交差点の角に何気なくあったパン屋さんに何か場違いなモノが・・・
パン・オ・セーグル
この交差点、何度も通り過ぎた事、右折・左折したことあるのに今まで全く気づきませんでした。
それは・・・・
何故か店内にEF66 49号機のカットモデル?が鎮座しています。 それとホンモノと思われる『あかつき』のヘッドマークが掲げられおり・・・
なんだなんと思い撮影しました。
ちなみにこのあたりでは有名なパン屋さんだそうで、近くに住む元同僚Tさん曰く、カットモデルを設置するときは国道24号線が一時通行止めになったとか?
唖然しながら、パン屋さんの奥の方にある住宅地の一角にある今回の散歩の実質的な目的地、Tさん宅へ到着。
早朝からの突然ガバチョに唖然としながらも、快く出迎えてくれ、1時間ほど談笑(笑)
この後、近くの木津駅へ〜♪
ここからJR奈良駅まで電車に乗車、JR奈良駅から三条大路5丁目までバスに乗車して、残りを徒歩で帰宅。
おおよそ15000歩程度の越境散歩でした。
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引き続き越境散歩のお話です。
砂茶屋からは富雄川沿いに北上します。川沿いなので、そんなに高低差もない緩やかな道を歩いていきます。
どこか下流で堰き止められているのか、水の流れがありません。
そのためか、水が澱んでしまい暑さもあってか、少し臭うような気がしました。
さらに歩くと一部がバイパス道路になっており、そこには・・・
コメダ珈琲店がありました。
スタバとは違い、落ち着いてコーヒーを楽しめる、そんな感じのお店です。
最近は行ってませんが、ここ以外のコメダに以前は良くいきましたね。
さらに歩くと今度は、
すき家です。どうも店員を集められないようで、24時間営業してない感じ。
この立地で24時間営業はどう考えても厳しいでしょうし、ワンオペともなればなおさらバイトを募集しても来ないでしょうね。
ここから先、目前に阪奈道路の高架が見えてきます。
このまま北上すれば、富雄駅は目前ですが、それも面白くないので、川を渡り、阪奈道路沿いに住宅地を歩いてみました。
しかし、これは失敗でした。
帝塚山大学の手前までダラダラした坂道が続くのです。
そして、その帝塚山大学東側の交差点からはまた・・・
4年も通っていたからわかっているはずなのですが、ちょっとなめてました。
体力が全く追いついてこない。暑さも増してきてヘロヘロ。
坂を登りきったところが、大学の正門(当時はこちらが通用門)。
その少し先に椚峠、そこが奈良市・生駒市の市境になっています。
ここからはひたすら下り。
ホントに”峠を越えた”感がしましたね。
そしてたどり着いたのが・・・
近鉄生駒線 菜畑駅
ここから久々に生駒線に乗車、生駒〜西大寺〜尼ヶ辻と電車を乗り継ぎ帰宅。
距離はおおよそ10km、歩数12489歩でした。
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今回は8月16日の散歩の話です。
この日の散歩はまたまた日曜日ということもあり、時間的余裕もあったので長距離散歩となりました。
今回の散歩コースは、当初はまず自宅近くを東西にはしる国道308号線に沿って西へ、富雄川を交差する砂茶屋と呼ばれるところから川沿いに北上し、富雄駅を終点としたものでしたが、例の如く途中で気が変わって終点は全く違うところになりました。
5:40自宅を出発。
警邏する近所のネコ”ショウタ”との挨拶から。
国道308号線へでて西へ向かいます。
ここ最近は一時の暑さも峠を越えたのか、この時間はもう涼しいです。
数百メートル歩いたところにある垂仁天皇陵の陪塚横にある家にこんな看板が・・・
”腹話術研究所”だそうです。Mrs.X曰く、この研究所の方々が、マンションのクリスマス会にやって来て腹話術を披露してくれたそうです。
さらに西へ向かうと県総合医療センター北西のへんてこな交差点にたどり着きます。
ここの交差点の信号は非常にわかりづらいドライバー泣かせです。
今回はそれもお構いなしに進みます。
このあたりからアップダウンが激しくなります。
交互通行しなければならない狭隘な道。ここをバスが行き来します。
この狭隘な道を抜けしばらく歩くと、ウネウネしながら下る坂道になります。
逆にこの坂道をクルマで登る時は、ウネウネしているので前からクルマが来ているのかどうか直前までわかりにくく、バスと対向するときは結構怖いです。
坂道を下りきるとここからはしばらく平坦な道です。
第二阪奈道路の下をくぐり、また狭隘な道を抜け、東坂の交差点を過ぎると、
赤膚焼の窯元があります。他にこの周囲にも窯元が何軒かあるようです。
自宅からも非常に近いところにあるのですが、実は赤膚焼がどういうモノであるのか全く知りません
信楽焼・有田焼・九谷焼・瀬戸焼などに比べると全国的には有名ではないようですね。
ここを越えさらに西へ歩くと、我が家にとっては毎度おなじみの・・・
スーパーセンター オークワ 富雄中町店へたどり着きます。
ここは第二阪奈南側に競合するイオンタウン富雄南店があるためか、いつ行っても割と閑散としています。
ただここはレトルトカレーの種類が充実しているのでよく買い物へ行きます。
近隣では、ここでしか”ゴーゴーカレー”は販売していません。貴重な店ですが、こんな状態だと早晩閉店するかも?
そしてやっと今回の中継点である・・・
砂茶屋に到着。
その昔は、この周辺に茶屋があったのでしょう。
ここから先、国道308号線は矢田丘陵を、さらに生駒山の南側にある暗峠を越え大阪へ抜けていきます。
今回はそんなことしたら散歩ではなく行軍?になるので、進路を富雄川沿いに北へ向け、さらに歩いて行ったのですが・・・・・
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7月25日(土)です。今日はブログ開設からちょうど満10年目、11年目に突入した日です。
このブログがこんなに続くとは思っても見ませんでしたが、時の流れとともに取り扱うネタもずいぶん変わったなと思う日々です。
さてさて本題ですが、今日は奈良市の北の果てともいえる歌姫神社まで行ってきました。
まずは菅原神社での参拝から始まるのですが、行ってみると境内で近所のおじいさん・おばあさんが集まってのラジオ体操の真っ最中。
神社の方から気にせず中に入って参拝してくださいと言われましたが、ラジオ体操の輪の中をくぐるわけにもいかず、末席よりラジオ体操に途中参加させてもらいました。
途中参加だったので、数分だけでしたが、久しぶりのラジオ体操でした。
参拝後、今日は北上して、まずは大和西大寺駅を目指します。
それにしても7月ともなると、6:30ぐらいでも日差しがきついです。
西大寺の門前を通り過ぎ、
大和西大寺駅西側の地下連絡通路を潜り抜け、
大和西大寺駅北口へ〜
ここから東を向いてひたすら歩きます。
奈良ファミリー前をぬけ、秋篠川を渡りしばらく歩くと
真ん中に祠がある二条町の交差点にたどり着きます。
何故か取り壊しも移転もされないこの祠。変な事をすると何か祟りでもあるんでしょうか?
さらに歩くと右手に大極殿が見えてきます。
そのちょっと手前に水面がミドリミドリした池がありました。
池の水の酸素が欠乏しているのか、鯉が口をパクパクさせています。
大極殿の裏側を通り抜けるとき、部活の練習か試合でもあるのでしょうか、自転車に乗った高校生とすれ違います。
今更ながら、全く高校生くらいの年代の人達とは縁遠くなったなと。
しばらくすると、ここからが今日のメインに入ります。
ちょうど平城宮跡の北端にあるのが・・・
佐紀駐在所です。
管轄は奈良署の様で、駐在所と名乗りながら普段は誰も駐在していない無人駐在所です。
しかし、ここは平城宮跡の北の果て。駐在所の南側、ご覧のとおりの原っぱ。
北側はこれから向かう歌姫神社への道中に宅地や工場などがある辺鄙な場所。
果たして、ここに駐在所は必要なのかと思うのですが・・・
この駐在所から北上する道が歌姫街道を言われ京奈県境を越える道の一つとなっています。
その歌姫街道を少し歩き、右手に少しそれたところにあるのが、
平安時代初期の天皇であった平城(へいぜい)天皇の陵墓です。
もともとは前方後円墳だったようですが、平城京造営時の区画整理で前方部は破壊され、円墳となっています。
と言う事は、平城天皇が亡くなってから造営された陵墓ではなく、古代の誰かわかりませんが有力者の墳墓だったものの様で、本当に平城天皇陵と言えるのかどうかわかりません。
とにかくこの辺の陵墓と言われているモノは、実のところ被葬者がわかりません。
結構いい加減です。
とりあえず写真を撮って退散。また歌姫街道へ戻ります。
何故か最近、ローソンや窯焼きピザ店などがオープンし、若干垢抜けた道になりつつあります。
そして、歌姫街道の起点に何故駐在所があったのかという理由(あくまで噂ですが)は・・・
これです。
その昔、奈良県下で最大の勢力を誇った山口組傘下の暴力団であった倉本総業の事務所があったのがここ。
駐在所は、数百メートルしか離れていません。
その監視所として設置されたのが佐紀駐在所であったのではないかと言われています。
当時の倉本総業は分裂し、その勢力の一部が奈良市内の別の場所に名前も変えて存在しているようです。
そしてこの前にも何故か祠があり、
道の真ん中に離れ小島のよう存在しています。
そんなところを通り抜けと右手に・・・
西大寺駅前からの路線バスの終点である歌姫町バス停に到着。
バスは1時間に1本程度。昼間の数時間は全く運行がありません。
その昔は、もう少し大きなバスで運行されていましたが、今はマイクロバスに変更されていました。
このバス停からさらに進むと道は極端に細くなり、やっとたどり着いたのが・・・
添御県坐神社【そうのみあがたにいますじんじゃ】(歌姫神社)です。
祭神・速須佐之男命は皇祖・天照大神の弟神、櫛稲田姫命は、須佐之男命によって八岐大蛇の難をのがれ、命の妃となった姫神。武乳速命は添の御縣の地の祖神です。 延喜式の祈年祭の祝詞によると、御縣の神は代々天皇の御膳に献上したと記されています。また祭神・櫛稲田姫の神名は「奇(く)し稲田」が原義でその神格は農の神であります。 当神社は、大和平野中央を貫く古代の下つ道の北端に位置します。そして、大和から歌姫超えで諸国へ旅をする際に、国境に鎮座する手向けの神として尊崇されていました。万葉集に左大臣・長屋王の詠んだつぎの歌があります。 佐保すぎて 享楽の手向けに 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとぞ この歌は、大和と山城の国境 の神、添御縣坐神社を拝し、旅の安全を祈念したものと考えられます。 当神社は、格のある式内社・御縣社の一つとしてだけでなく、農の神、旅の神として崇敬されてきました。江戸時代には、「牛頭天皇社」「八王子社」として除災・治病の神としても信仰されてきました。 −神社の案内板より− いわれも何もわからないまま参拝だけして退散。
本来ならここからさらに北上してみたかったのですが、今回は見送りました。
今度は少し南下し、歌姫町のバス停のちょっと先を右手に曲がり、西へ〜♪
住宅や田畑・空き地が点在するところを歩いていきます。
朽ち果てた空家の前に、年代もののクルマが・・・これは何ですかね?ソアラですかね?
さらに歩いていくと墓地が右手にあったのですが、その間口には他の墓と異質なものを感じました。
旧陸海軍将兵の墓地が・・・しかし、その遺族の方々も最近はお参りには来られないのか花入れにさされた花は枯れ、蜘蛛の巣が張り、お供えもなく・・・
もうその遺族の方々も、その存在を知らないのかもしれません。
その墓地を通る抜けしばらくと平城駅前。
ここからはまた南下し、奈良ファミリー裏側から大和西大寺駅北口へ〜♪
電車に乗って尼ヶ辻駅まで。そこから徒歩で帰宅。
距離にして8.8km、11219歩の散歩でした。
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