|
3月11日(日)です。
昨日10日(土)のことになりますが、昨年6月に敢行した『衝撃の北紀行』で訪れた稚内でロケ現場に遭遇した映画『北の桜守』をイオンモール大和郡山内のシネマサンシャイン大和郡山で鑑賞してきました。 主演は”最後の映画女優”と言っていい吉永小百合さんと”倍返し”の半沢直樹役や大河ドラマ”真田丸”で真田信繁(幸村)役を好演した堺雅人さんです。 あらすじ 北へ北へ失われた記憶に向かって二人は歩き続けた1945年、南樺太に一輪の桜が咲いた。やっと咲いたその花は、江蓮てつたち家族にとって希望の花のはずだった・・・。その年の8月、ソ連軍の侵攻が起こる。てつは息子二人と共に樺太を脱出。決死の思いで北海道の網走へと辿り着く。そんな満身創痍の親子を待っていたのは想像を絶する過酷な生活だった。意識を失うほどの厳しい寒さと飢餓、その中を親子は懸命に生き抜くのだった。1971年、成長した次男の修二郎は米国で成功し、日本初のホットドックストアの日本社長として帰国。15年ぶりに網走を訪れた。そこには長男の姿はなく、一人、夫を待ち続けながら慎ましい生活を送る年老いたてつの姿があった・・・。修二郎はてつを札幌へと連れ帰り、面倒をみる決意をする。息子夫婦と暮らし始めたてつだったが、薪を使い米を炊き、近所から苦情を受けたり、金を払わず八百屋から葱を持ち去ろうとするなど、徐々に不可解な行動が目立つようになる。年老いたてつは、戦禍によるPTSDの後遺症に陥っていた。そして、てつ自身もその変化を自覚していく・・・。 そんなある日、てつが突然、姿を消す。立派になった修二郎に迷惑をかけたくないと思い、一人、網走に戻ろうとしたのだ。だが、網走の住宅はすでに取り壊されていた。帰る場所を失ったてつ。てつのために一緒に寄り添いたいと思う修二郎。二人は、北海道の大地を巡る過去への道行を始める。その旅は、親子の抱える禁断の記憶の扉を開けてしまうのだった。 ストーリーは、これまであまり語られることのなかった終戦直前の樺太の悲惨な状況から戦後の混乱期を生き抜いた母子の様子を道北・道東を巡る旅をしながら、失った過去を手繰り寄せていくというものでした。 そのストーリーもさることながら、気になるのは、あの日、僕らがみたロケ現場が映画ではどんな風に映像化されているのか? まずはホテル近くの北防波堤ドームでの撮影 エキストラの人たちも大勢参加し、半日かけて撮影していたシーンは、数分もあったかどうか? この撮影のため、どこからか借りてきたオート三輪は出てきませんでした。 つぎは、駅前に謎の仮設トイレがあった抜海駅は・・・ 石北本線の白滝駅として登場 ちょうど駅舎の引き戸の上(吉永さんの立っているところの上)に”抜海駅”の駅名板が本来はあったのですが、撮影用に取り外されています。 ”白滝”と書かれた縦書きの駅名板も本来は”抜海駅”ですが、撮影用に取り換えられています。 その外にもガラスに貼られていた”JR”のステッカーは剥がされ、ホームの駅名板も撮影用に変更されています。 あとホームのベンチに座る吉永さんの背景には、なぜか利尻富士が見えます。 そして最後は・・・ 稚内空港近くの声問海岸です。 この日の撮影は、映画で見る限り堺さんと篠原さんの佇むシーンだったのでは? とにかく6月の奈良では考えられないすごい寒い天気でしたから。 スタッフさんもこんな感じでした。 とにかく寒い。これが6月かという感じでしたので。 その外にも道北・道東の素晴らしい風景も見入ってしまいました。 衝撃のフィナーレとともに、またあの”北の大地”を目指したいと強く思い、映画館を後にしたのでした。 |

>
- エンターテインメント
>
- 映画
>
- 邦画





