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気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
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書庫東海・北陸の城郭

越前・加賀・伊勢の城郭です。以後、尾張・三河・美濃の城郭も掲載予定。駿河・遠江の城郭もアップしました!
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二の丸東御門・巽櫓、天守台発掘工事現場を経て、最後にたどり着いたのは・・・・

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坤櫓(ひつじさるやぐら)です。

駿府城二の丸の南西角にある二層三階建ての櫓です。

元々の櫓は、安政元年(1854年)の地震で倒壊してしまったので、それを復元したものです。

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櫓内は三階ですが、櫓の構造を”見せる”ためスケルトン化しているので、2階3階には上がれません。

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神君家康公の甲冑レプリカがあります。

とにかく静岡はどこもかしこも徳川一色です。彼ゆかりの地ではありますが、生誕地ではないんですがね・・・その辺は秀吉ゆかりの地である大阪もそうなんですが・・・

まあ1階だけしか見れないので、あっという間です。

いよいよ戻りますが、二の丸堀の向こう側から撮影したかったので、西門から城外にでて堀沿いに歩きます。

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観光用のボンネットバスが通り過ぎていきます。

お客さんは殆ど乗ってませんでしたが、大丈夫かな?

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二の丸堀沿いから撮影してみました。なかなかいい感じです。

典型的な徳川氏の城郭にある建築スタイルです。

角を曲がると・・・

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何故かカップルが坤櫓を背景に記念撮影?

話している言葉を聞くに、どうも韓国人らしい?

果たして、何故ここに?

来るべきところを間違っているような気になりましたが、いよいよ静岡を離れないといけないので、急いでPへ向かったのでした。
二の丸東御門・巽櫓を再訪して次に向かったのは・・・・

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駿府城跡天守台発掘調査現場

明治時代、陸軍の駐屯地となった時、本丸が切り崩されて整地されていたので、これまでよくわからなかった天守台の調査を復元工事を含めて行っています。

城内を歩いてみると、駿府城はさほど広いわけではないようです。ベースとなっているのが、戦国時代の今川氏居館なので・・・
感覚的には、駿府城の本丸・二の丸を合わせた面積が二条城本丸・二の丸と同じくらいでしょうか?

早速現場に入っていきます。

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図面で見る限り、本丸の西北に天守台があったようで見えているのは天守台の下部と本丸堀の一部です。

本丸堀の堀幅もさほどありません。防御を重視したモノではなく、あくまで天下人としての隠居城の威厳を示したものであったようです。


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そして現場事務所にある展示コーナーへ

天守閣に葺かれていた瓦のようです。

この後、以前はなかったあの櫓を見に行きました。








久能山東照宮から日本平のPへ戻り、いよいよ静岡から離れるときが来ました。

と言っても、この時点で11:00頃。

復路はわけあって、高速を新東名の新静岡インターからのるので、何とかどこ通って行けないものかと思い、クルマを走らせることに・・・

日本平を下り、まずは国道1号線へ〜♪さすが日本のメインルートですから、道も立派です。

しばらく西を向いて走り、途中で右折して市街地の方へ〜♪

静岡鉄道の踏切を渡ると見えてきました。


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※写真は駐車後に西側から撮影

静岡県警本部庁舎です。さながら現在の”天守閣”のようです。

街中をアチコチまわり、ようやくコインパーキングを見つけて駐車し、徒歩で向かいます。

三の丸の静岡県庁舎と県警庁舎の脇を通り抜け、再びやってきました。


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駿府城公園です。以前も紹介しましたが、二の丸東御門と巽櫓が、現在の駿府城の正門?になります。

さすがに天下人の居城だけのことはあり、立派な門構えです。

ここは内部が展示コーナーになっていますので、改めて入ってみました。

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入口にはまだ健在でした神君家康公の蝋人形。

ほぼ実物大です。晩年は褌も自分で締められないほどに肥えていたらしいですが、蝋人形は意外とスリムです。

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内部には駿府城の模型や地場産業の商品、そして・・・・


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得体のしれない謎の像?が・・・

謎の像以外は、変更はなかったような気がします。

今回はこれが目的ではありませんので、サラッと流して次へ〜♪

鳥羽城跡

『しまかぜ』を鳥羽駅で下車して、この後、今度はJRを利用して帰路につくことになるのですが、その列車に乗車するまでにおおよそ45分程度の待ち時間。

と言っても鳥羽駅前にはこれというものは何もなく、ただ駅で時間待ちするのもどうか思い、駅前の観光案内板を見たら、数百m先に鳥羽城跡があることが判明。

少し見て何とか戻ってこれそうな気がしたので、行ってきました。

かなりアバウトな観光案内版の地図だけ参考にしていったので、往き当たりばったりになってしまい・・・

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当時の石垣が残っている堀跡です。

この写真の手前にある小高い丘に城跡があります。


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3Dアートを体験しようという看板が!!
何となく掛かれた船の絵が飛び出してるように見えなくもない?


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看板の横の階段を登ると、城跡っぽく復元した石垣が目の前に現れます。

さらにそれを登ると広場になっていて、そこからは・・・

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鳥羽湾が一望できます。

流石、海賊大名・九鬼氏がこの場所に居城を選んだだけの事はあります。

当時は湾内に軍船が多く停泊していたのでしょう。

しかし、本丸はその広場からさらに上にあったようですが、もう時間が・・・

慌てて駅に戻ったのでした。

長篠城跡

4月9日【土】、土日休みと言う事もあり、時間的に余裕ができたので、レヴォーグの試運転を兼ねて、久しぶりに城跡・古戦場跡巡りに行ってきました。

名阪国道・東名阪・伊勢湾岸道・新東名を経てたどり着いたのは・・・・

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奥三河にある長篠城跡。

今から約440年前の1575年にあった織田・徳川連合軍と武田軍が激突した長篠合戦の舞台の一つです。

徳川にとっては、領地である三河と遠江を分断されないようにするには絶対守らなければならない場所であり、反対に武田にとっては、ここを分断することで徳川の弱体化と、代替わりして家臣団との関係の改善と強化を図らなければならない武田勝頼にとっては、絶対落とさなければならない場所で、そこへある意図を思って徳川との同盟のもと、織田信長が参戦するという構図で行われた合戦でした。
本来なら徳川VS武田なのでしょうが、実際は織田VS武田の戦いでした。
それを実感させたのは、この長篠城跡でもこの後訪問した古戦場跡でもなかったのでしたが・・・(笑)

さて長篠城跡ですが、今は本丸跡に土塁と空堀が残る程度で他はほぼ宅地や田畑となり、その本丸跡にもJR飯田線が横切り、当時の面影を感じるのは難しいかもしれません。

僅かに残る本丸跡の土塁と空堀が↓の写真です。

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その本丸跡を横切ってJR飯田線が敷設されています。


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何故かここを通過するときは、やたら警笛を鳴らしながら、けたたましく走り去っていきました。

本丸跡は、上記の通り分断されているのでこじんまりしたもので、散策するにも時間はかかりませんでした。

本丸内探索前に隣接した場所にある史跡保存館へも行ったのですが、そこにはこんなものが・・・


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長篠合戦で名をはせた鳥居強右衛門の磔の銘板が・・・

これよく見ると・・・毛か?玉袋か?がはみ出していました(笑)




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