ここから本文です
気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
Yahoo!ブログも本日8月31日をもって実質的に終了となります。これまで弊ブログを御贔屓いただきありがとうございました

書庫東海・北陸の城郭

越前・加賀・伊勢の城郭です。以後、尾張・三河・美濃の城郭も掲載予定。駿河・遠江の城郭もアップしました!
記事検索
検索

丸岡城天守閣

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

朝日両國親善萬歳の石碑をみて、ようやくたどり着いたのが、

丸岡城天守閣


小高い丘の上に三層の天守閣だけが残っています。

その昔、織田信長が越前を平定し、
そこに筆頭家老の柴田勝家を任せたところから、
ある意味、丸岡城の歴史が始まるといっていいでしょう。
北の庄城を本拠とした勝家が、その北の守りとしての役割を担って
築城させたのが丸岡城でした。
それは越前北部にあったため、当時は本願寺領だった加賀を睨んだものだったと思えます。
その後、柴田氏が秀吉の天下統一の過程で滅ぶと、城主は入れ替わり立ち代わりし、
明治維新を有馬氏の居城として迎えたのです。
しかし、明治以後、丸岡城の外郭は、ほとんど取り壊され、
天守閣と本丸の石垣がわずかに残るだけとなってしまいました。
それも、1948年の福井地震で天守閣は倒壊。
倒壊した古材を用い、1955年に再建されたのです。

丸岡城天守閣は、福井地震で倒壊するまで築城当時の威容を誇っていたことです。
実は国宝級(国宝であったこともあるんだけど)の重要文化財なのです。
調べてみると国宝級の姫路・松本・彦根・犬山の諸城の天守閣よりも古いようです。
その造りも天守初期型の望楼型で、通し柱が無く、屋根瓦も石瓦を使うという特殊なものでした。

中に入ってみると、さすがに古式的な柱など組み方、
上階へ上がるにも限りなく垂直に近い階段。
上に登って四方を眺めると東側には白山に連なる山々、西側から北側にかけては遠くに日本海、
南側には福井市街が・・・。
少しばかりの城主気分に浸り、またまた限りなく垂直に近い階段を
垂れ下がっている綱を握りながら恐る恐る降りていったのでした。

天守閣を出て次にどこへ行こうかということは、決めてなかったので、
観光案内板などみると、丸岡藩関係の史跡があることが分かり、そちらへ・・・。
でも天気はさらに怪しくなってくるのでした。

開くトラックバック(3)

加納城跡

イメージ 1

岐阜公園を後に、一路岐阜羽島インターを目指しクルマを走らせると、
カーナビの画面の隅っこに、

加納城跡

加納城(かのうじょう)は、岐阜県岐阜市加納丸の内にあった平城。国指定史跡。

文安2年(1445年)に土岐氏の家宰の斉藤利永によって築城されたものがあるが、
これは天文7年(1538年)に廃城となっている。
その後慶長6年(1601年)に岐阜城が破却され、その代わりとして築城された。
建材は岐阜城のものが用いられ、岐阜城天守を二の丸御三階櫓として利用したと伝えられる。
加納城は加納藩の藩主の居城となる。慶長8年(1603年)に奥平信昌が入った後、奥平氏の居城となった。

寛永9年(1632年)に奥平氏が嫡子がいない為に改易されると大久保忠興が入城、一時的に城主となる。その後の寛永16年(1639年)に戸田光重が入城、三代に渡って加納城主を務めるが、移封され、
宝永8年(1711年)に安藤信友の居城となった。
さらに時代が下って宝暦5年(1755年)に永井信陳が加納藩主となり、
明治に至るまで永井氏の居城となった。

明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、破却された。
現在では加納公園に石垣、堀跡がわずかに残るのみである。
昭和58年(1983年)10月28日、国の史跡に指定された。

何とか暗くなってきたものの、写真くらいはと思い、
少し道を外れて加納城跡へ。

今は、住宅地の真ん中にその城跡が!
表通りからは分かりにくい位置。
カーナビがなければ、たどり着くことも難しかったかも?

加納城は、廃城になった岐阜城からの移築建築が多く、
二の丸の御三階櫓も岐阜城天守閣の移築だったらしい。

到着すると、さらに暗くなってきていて、城門跡までいくと、
公園化している城跡は既に閉園で門が閉まっていて、城内には入れず。

已む無く、外側から石垣の写真だけを。

訪問したようで、未訪のような、そんな気持ちのまま、再びクルマを走らせ奈良へ。

高速代節約のため、一般道で使うと思った以上に時間が・・・。

帰宅したのは21時過ぎだった・・・・。

岐阜市立歴史博物館

イメージ 1

イメージ 2

金華山山頂の岐阜城天守閣、山麓の織田信長居館跡、明治時代に自由民権運動の旗手として活躍し、岐阜での講演後に暴漢に襲われ『板垣死すとも自由は死せず』の名言?で有名な板垣退助銅像をみて、やっとたどり着いたのが、

岐阜市歴史博物館


入館してみると、1階が特別展示室、2階が常設展示室となっていて、
時間もないし、特別展が地元出身の画家の作品展で、それをみるとなると、
異様に入館料が跳ね上がるので、常設展のみの見学に。

2階へ上がると、どこの歴史博物館や郷土博物館でもだいたい同じで、
原始時代から始まるご当地の紹介。
特に岐阜の場合、その脚光があたるのは斉藤道三・織田信長が支配していた
戦国時代から安土桃山時代の展示がメイン!

『天下鳥瞰絵巻』と称する岐阜城を中心とした美濃の国のジオラマとか、
甲冑・刀剣などの展示、他にも古文書とかもあったような?

その中に、写真撮影が許可された『楽市立体絵巻』と名づけられた一角が

信長時代の岐阜の楽市の一部を原寸大で再現したものらしい。
魚屋とか呉服屋、紙屋などが再現されていて、魚屋の中には信長の食事も!
豪華といえば、豪華なのだが、江戸時代のそれと比べるとまだ質素な感じ。

さらに足を進めると、江戸時代以降の岐阜の歴史が。
江戸時代は、美濃には幕府の政策上の観点から、一国を統治する大名を置かず、
幕府の天領、隣国の尾張藩領、譜代大名領、旗本領が入り乱れる感じと
なっていたことが判明。

江戸幕府は、天下を臨む位置にある岐阜城の存在を嫌い、これを廃城。
代わりに麓の少し離れたところにある加納に、加納城を築城し、そこに譜代大名を配置。
岐阜の町も、尾張藩領と加納藩領に分割するなど、美濃が一国でまとまらないように
巧みに色分けした様子。

そのためか、岐阜は世の中から忘れ去られたようになったみたい。

その後、明治・大正・昭和と、地方都市一般的にある時代の流れを展示。

ダラダラと見ているうちに、ついに出口。

博物館から出ると、まだ山頂の天守閣は見えるけど、
さらに薄暗く・・・。

いよいよ岐阜ともお別れ、足早にPに向かい、
クルマをまずは名神の岐阜羽島インターへ走らせたのだった・・・。ですが・・・。

織田信長居館跡

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

ロープウェイ山麓駅から、小走りに歴史博物館へと進むと、
そこにあったのは、

『山内一豊と千代の婚礼の地』


の石碑。

石碑には、

長良川と一豊を愛した伴侶の鑑 千代を讃える


石碑は千代が使用したとされる?鑑が復元され、貼り付けられていた。

しかし、石碑は新しく、隣にある立札には、例の金十両で名馬を買った話が紹介もされていて、
いかにも大河ドラマ便乗といった雰囲気が・・・・。

とりあえず、撮っておけと思い、数枚パチリ。

さらに進むと、冠木門が!
でも冠木門の前には、なんやら変な仮設物が?
最近まで菊の展示会をしていたため、菊の陳列棚も残っていたので、
それであったもしれない。

冠木門をくぐると、そこには大きな虎口?
さらに進むと、

織田信長居館跡


の石碑がポツンと立っている。

でも見渡すと、信長の居館跡にしては狭い?感じ。

さらに進んでいくと、奥に誰かの銅像の立った広い場所が!
どうもここが千畳敷跡らしい。
でもどう考えても、千畳分の畳が敷き詰められるほどの広さは無いのでは?

よく分からなかったので、来た道を戻る。

上から臨むような位置から虎口が確認できる場所があったので、
そこから撮影。
石垣を利用した城郭の虎口としては、まだ初期段階の造りの様な?
石垣も残っている部分だけ見てみも、その上に高く積まれていたのか???

そうこうしている内に、日の傾きが・・・・。

駆け足での見学となってしまい、よくわからず仕舞。
かなり残念。

とりあえずは歴史博物館に入館しなければと思い、また急ぎ足を進めるのだが・・・。

そこでヒゲのおじさん登場で、また寄り道。

ロープウェイ故障?

イメージ 1

天守閣を出て、少し下ったところにある岐阜城資料館をのぞいてみる。

天守閣内では、展示しきれなかった武具とか和楽器なんかが展示されていた。
あまり興味がない?ので、受付においてあった『天下布武』の朱印と
永楽通宝の馬印を何かの裏紙に押して、資料館から出た。

山麓に市立歴史博物館があったことを思い出し、あわててロープウェイの山頂駅へ向かう。

ものの5分程度で山頂駅付近までたどり着いたが、何故か行列?

駅横にある売店店長らしき人物が出てきて、

ただいまロープウェイは、電気系統のトラブルにより運行を停止しております〜♪


はぁ〜?


3回から4回程度の試運転を行います。それで異常が確認されなければ、運行を再開するとのこと?

このとき、既に15:30。

山麓の博物館に入館するとなると、16:30までには入館しないといけない。

ここで、

このまま待つべきか?それとも登山道を駆け下るか?


しかし初訪問の金華山、登山道を駆け下るにしても、どれくらいの時間がかかるのか?

周囲で話をしている人の話を聞くと、登山道は駐車場からは、かなり離れた場所に通じているらしい。

ということは、歴史博物館からは遠いのかも知れない?

これでは安易に登山道を駆け下りることは・・・・。

というわけで、一か八かロープウェイの運行を待つことに。

山頂駅の機械室から索道を動かす音が・・・。

1回ロープウェイの箱が登ってきて下りた。
もう一回、登ってきてまた降りた。

その時だったか、例の店長が出てきて、

運行上、支障が無いことが確認されましたので、運行を再開いたします!!


16:00前。

ロープウェイは定時運行からピストン運行に変わり、10分くらいで箱に乗れた。

400mに少し足りない程度の山なので、山麓駅までアッと言う間。

山麓駅をでると、足早に歴史博物館のほうに向かったのだったが・・・・。

ブログバナー

大納言兼加賀守
大納言兼加賀守
男性 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事