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気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
Yahoo!ブログも本日8月31日をもって実質的に終了となります。これまで弊ブログを御贔屓いただきありがとうございました

書庫東海・北陸の城郭

越前・加賀・伊勢の城郭です。以後、尾張・三河・美濃の城郭も掲載予定。駿河・遠江の城郭もアップしました!
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岐阜城天守閣

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ロープウェイの山頂駅をでると、そこは大手門跡?から続く登山道。

そこには、秀吉が初めて千成瓢箪を立てたという天狗岩まで徒歩3分の看板。

早速歩いてみる。

冠木門である一の門をくぐり歩く。

登山道にしては平坦な道のりが続く。
途中に案内板があり、この平坦な部分が馬場であったと。
しかしどう考えても、この場所が馬場というのは???という感じ。
大体、こんなところまで馬の乗り入れをしていたとは考えにくいが、

あの人物なら、騎乗したまま、ここまで登ってきたに違いない


と思えないでもない。

さらに歩くと、二の門が。
ここも冠木門。
あんまりにも簡素なので、ウソでも良いから?高麗門でも良いのではと思った。

その手前に、若き日の秀吉が初めて千成瓢箪を立てたという天狗岩が、
少し登山道からそれた場所にある御堂の横に
お堂前まで行くと、気が無ければ、かなり見晴らしが良いに違いないと。
もしこの場所に千成瓢箪が高々と掲げられたら、攻城軍の将兵には相当目立ったと思われる。

少しそれた御堂から、本道である登山道へ戻り、さらに登る。

ちょっとしたスペースに

千代が愛した一豊とぎふ長良川


のノボリがパタパタと、たなびいていて・・・。

無理やり大河ドラマと結びつけた感じ?

でも、ここからの構図が良く、数枚撮影。

さらに進む。

やっと天守閣に到着。
入口で入場券を買い、入ってみると、それほど広くは無い空間。
ここでもまた甲冑・刀剣の類の展示。
階段を登ると、そこで紹介した

織田信長公 (木像)


が、お出迎え!

周囲を見渡すと、そのほかの信長肖像画、斉藤道三・明智光秀などの肖像画も!
もちろん、レプリカ。

そして、やっと最上階へ!

早速、回廊へでてみると!!

濃尾平野が一望!! ここから天下布武の号令が発せられたのかぁ〜!


と感慨深い。
山麓をみると、すごく下。

足がすくむ!?


あちこちの天守閣に登ったけど、恐怖感とその眺めに圧倒されたのは初めて!

やはり名城の誉れはある!


でも岐阜城は、江戸初期にその存在が危険視されて廃城。
天守閣や櫓は、近所の加納城へ移築されたらしい。

そうやって、信長気分に浸っていると、またもや時間が・・・。

でもこの後、決断を迫られる時が来るとは・・・・。

天下布武の城へ

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犬山城を後に、急ぎ次の目標である

『天下布武』の城


へ向かったのだった。

カーナビの設定を合わせると、約18km。

クルマを走らせるも、何故か近づいているような気がしない。
とんでもない裏道など指示し、やっとのことで東海北陸道の岐阜各務原インターの近くにでるも、
その城は、あの山頂には見えてこない。

そうこうしているうちに、岐阜の市街地へ。
つい最近まで営業していた名鉄の路面電車の線路が、道路上にあらわれる。
架線や架線柱などは既に撤去されているが、何故か線路だけは道路上に残ったまま。
舗装のし直しでもしない限り、線路は撤去されそうにはない模様。
ただただ、線路だけが残る路面電車の軌道が何か物悲しい。

さらにカーナビに従い、進んでいくとやっと到着。

岐阜公園


でもPは満車で入れず。

ここまで来て、そのまま引き返すわけにも行かず、
あちこち探すと、金華山を貫くトンネルが通じる道路の向こう側に
岐阜公園の離れのPが!
やっとのことで、公園へ!
ケータイの時計を見れば14:30くらいだったか、
市立歴史博物館へも入館するとなると、遅くても16時過ぎくらいには、
金華山から下山しなければならない。

というわけで、早速ロープウェイへ!
かわいいガイドの女の子の案内もそこそこに、
ロープウェイは山頂駅に!
ここからの眺めだけでも、足が・・・・。

でもそれにもめげず、そこから『天下布武』のために歩き出したのだった・・・・。

写真は天下布武朱印(複製)、馬印にも使われた永楽通宝(複製)、
今回初めて使った望遠レンズで撮影したモノです!

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犬山城を後に、次の目的地である天下布武の城へ〜!

しかし、以前ガイドブックでみた木曽川対岸からの写真をと思い、
一旦クルマを木曽川対岸へ走らせる。

木曽川にかかる橋を渡っていて、左岸をみると、

え〜♪ ここから撮っていたんだ〜!


しかし、そこは橋の上、クルマを停めることなどできず、
やむなく、橋を渡り左折し、川沿いに走る。

天守閣に登ったとき、対岸のある場所にちょっとしたスペースがあったのを思い出した。

川岸と道路の間には、家やビルが建っていて、ホントにそんなスペースがあったかなと
思っていたら、右手にイタリアンレストランがある向かい側が、その駐車場になっていた。

天守閣から見えたスペースは、その駐車場みたいだった。

早速クルマを降りると、カメラを提げて、さらに川沿いへ。

間違いない!天守閣から確認できた場所だ!!


5枚ほど撮影。われながら上出来?

でも今回、初めて持ち出した望遠レンズを使ってみればと、
後々思ったのだが、ここでは使わず仕舞い。

時間は既に13:30。
先を急がないとヤバい時間になったので、その場を急ぎ後にしたのだった。

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犬山城

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10月14日(土)、土日連休となったので、何処か行ってみようと!

候補として挙がったのが、濃尾地域の未訪問の場所。

といってみても、今までこの地域で訪問したのは、
名古屋城、苗木城跡、関ヶ原古戦場の三つだけなので、
それ以外でと思い、まずは彦根城・松本城・姫路城と訪問し、
残すところ一つとなった国宝である

犬山城

別名を白帝城といい、三国志の劉備が臨終を迎えたことで有名な白帝城にちなみ、
荻生徂徠が命名したと伝えられる。
白帝城が長江沿いにあるように、犬山城も木曽川沿いにあることがその別名の由来である。

織田信康によって、天文6年(1537年)現在の位置に天守が造営され、
豊臣時代には石川備前守が城主となったが、関ヶ原の戦いで西軍に属したことによって没落した。
元和3年(1617年)に成瀬正成が城主になり、唐破風が増築される。 
以後徳川時代を通じて成瀬家9代の居城となった。

明治の廃藩置県で廃城となったが、明治24年(1891年)の濃尾地震で天守の一部や櫓・城門などがこわれたため、
明治28年(1895年)に城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡された。

日本で唯一の個人所有の城であったが、平成16年(2004年)4月から財団法人「犬山城白帝文庫」に移管されている。

戦国時代の天守が現存しており、昭和10年(1935年)に国宝保存法に基づき当時の国宝(旧国宝)に指定、昭和27年(1952年)には文化財保護法に基づき、あらためて国宝(新国宝)に指定されている。

また廃藩置県の際、地元の寺院等に払い下げられた門・櫓が現存する。

へ、まずは訪問してみることに。

奈良を8:15に出発、名阪国道・東名阪・名古屋高速小牧線・国道41号線を経由し、
11:30ごろ到着。
途中で眠いので多めに休憩したことと、何故か多い交通量のため、予定から1時間近く遅れ。

早速、デジカメをさげて登城。
そんなに大きな城でもないので、あっという間に本丸に。

本丸門の前にある受付で入場券を買い、本丸内にはいると、
何かこじんまりした敷地。
本丸敷地には、くぐり抜けてきた本丸門と倉庫化した櫓、御土産屋とトイレ、
そして国宝の天守閣以外はめぼしい建物もなく・・・。
団体客の記念写真用の脚立?があり、やはり国宝の天守閣があるだけあって、
観光客も多そう?
でも僕が訪問した時間には、団体客も見当たらず・・・。
他に見てまわるところもなく、天守閣へ!

やはり国宝なので、土足厳禁!


靴を袋に入れ、急勾配の階段を登っていく。

いつものことながら、甲冑・刀剣・屏風などが展示されているもあまり興味がなく、
さらに階上に!

最上階まで登りきると、そこは赤絨毯が敷かれた高欄の間。
四方には、回廊と高欄あり、そこからの眺めは・・・・!
南は濃尾平野が一望!と言いたいけど、霞んでいてよく見えない。
近くの小牧山もよくわからず。

北側には眼下に木曽川が流れ、それが天然の濠となっている。
今は所々に堰があって流れは緩やかだが、その昔はかなり急流だったのではないかと。
ということなら城の北側から攻めるのは容易なことではなかったに違いない。
そのためか、城の南側に郭が集中している。
総構えもあったみたいだけど、絵図面でみると何か心もとない。

それと犬山城は国宝と言うこともあり、数多くの皇族が訪問されているようで、
今上天皇・皇后陛下(当時は皇太子)、皇太子殿下、秋篠宮殿下の訪問時の写真が
掲げられている。

でもやっぱり、国宝と言えど姫路城・彦根城・松本城には、その規模で遠く及ばないため、
あっというまに見物を終了。
城外の文化資料館とからくり展示館を見て、いよいよ次の『天下布武』の城へ向かったのであったぁ〜♪

写真は本丸内から撮影の天守閣、天守閣内部、天守閣からの木曽川の眺め

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小浜城跡

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今回のメインであった舞鶴の海軍記念館・自衛隊桟橋での見学を終え、ついに帰路に〜!
といっても、時間はまだ14時過ぎ。

福知山に寄った事で予定より時間的にオーバーしていましたが、ここで小浜に行かないと次はいつになるか分からないので、最後の訪問地として小浜城跡へ〜!
敦賀へ向かう国道を東に走り、途中から若狭舞鶴道へ上がり、20分くらいで終点の小浜西に到着。
といっても、小浜西からは市街地までまだかなり距離がありそうで、昼食を食べていなかったので、再び出た国道沿いのコンビニでオニギリとパンを購入、軽く食べてから出発。

カーナビの設定をしていなかったので、市街地に入ってから道に迷い、海岸沿いで目的地設定をして、10分ほど走って、やっと到着。

小浜城跡

小浜城は、南北河川とそれを利用した外堀で囲まれ、西は小浜湾に面し、東は湿地により防御するという自然地形を巧みに利用した全国でも珍しい水城であります。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦に伴う大津籠城で功績のあった京極高次が、若狭一国の城主として入部してから築城が開始されました。
高次は、家臣の安養寺三郎左衛門と赤尾伊豆守に命じて縄張りを行い、領民に蘇洞門石を運ばせて基礎を築き完成しました。
京極氏が進めた築城は、江戸城の普請役などでなかなか進まず、天守台や石垣等が築かれたのみでした。
その後、寛永11年(1634) 川越から小浜へ入部した酒井忠勝が、翌年10月に天守台を普請し、中井正純の指揮の下で三重の天守閣の棟上げを行い、同13年10月に完成しました。築城に要した期間は、京極氏が着工して以来、実に45年の歳月を要しました。 
城郭内部の建物は、正保〜慶安年中(1644〜51)に相次いで建築され、寛文2年(1662)の大地震によって多くの石垣が破損しますが、廃城までこれを維持し、堀の浚渫以外の大規模な城郭修理はしませんでした。 
完成した小浜城は、外堀南北130間、東西157間、本丸・二の丸・三の丸・西の丸・北の丸をもち、多門櫓5、櫓25を数え、完成した天守閣は、高さ9間3尺5寸、1層目7間8間、2層目5間6間、3層目3 間4 間でありました。 
しかし、明治4年(1871)の廃藩置県により、小浜県庁が城内に設置される工事中、二の丸櫓からの出火により、旧跡の大部分を焼失。天守を除く大半を焼失し、実質的な機能を終えました。 
明治5年には、城内通行のため本丸東側石垣が破壊され、同6年には廃城令をうけて、翌年に天守閣が解体され、同8年には酒井忠勝を祭神とする小浜神社が創建されて現在に至ります。昭和年代まで残存した東側の外郭石垣も、度重なる風水害により流出し、往時の姿が感じられるのは本丸の石垣のみであります。 昭和31年には福井県の指定文化財史跡として指定され、県民の貴重な財産として保存されることとなりました。 

小浜城天守閣復元整備計画HPより

城跡なので、街中なのかと思っていたら、川の中州にある住宅地の真ん中で、こんなところに城跡があるかぁ〜?と思うところに、こじんまりとした小浜神社という神社の境内となっていました。
神社の境内には神主さんの自宅もあり、何か人の家に勝手に進入する感じで・・・・。
駐車場は、参拝者以外の駐車厳禁の掲示があるので、とりあえず10円を賽銭箱にいれ参拝。
ご利益があるかどうかは、かなり疑問ですが・・・。
この神社、小浜城主だった酒井忠勝を祀っていました。

参拝後、境内のすみにある天守台へ。
その昔は天守閣があがっていたが、三層程度のだったので、天守台もそれほど大きいわけでもなく、誰が来るというわけでもないので、天守台上は草ボウボウ〜♪
天守台の端に立ってみると、足元にはいきなり民家が密集して堀なんかもなく、城跡にしては妙な圧迫感が・・・。
事前に見ていた小浜城天守閣復元整備計画のホームページにある復元想像図のように整備するは、ちょっと不可能とちゃうんと・・・。

天守台をおり、その後天守台につづく本丸石垣を撮影。
既に整備計画が進行しているのか、石垣の色が妙にきれいで、どうも積み直しがされているよう。
数枚撮影して、今回の福知山・舞鶴・小浜への訪問が全て終了。

あ〜、それにしてもしんどかったと思い、いよいよ帰路へ。
でも、実はこの帰路の方がはるかにきつく、小浜城跡を出発して、一旦国道へ。
国道沿いのGSで帰りに必要な3000円分のハイオクを給油するも、それがたった20L程度、要するに1L当り¥150くらいなのです。白馬並みの高価格にビックリというか、やはり田舎だからと思うも已む無しとも。
帰りは周山街道を経て京都市内へ出るつもりだったので、『周山街道へ出るにはどうしたいい』とGSの店員さんに聞くと、『周山街道???』と、知らないらしく、たまたまあった持ち合わせの高速道路用の地域地図を見せて説明すると、『ああ〜、この道ですか?それなら少し敦賀方面へ走ると橋があるので、それを渡ると右に曲がって堤防沿いを走ってみてください』と。
どうも、この辺りではその道(国道162号線)を周山街道とは呼ばないらしく、単なる京都市内へ出る山道という認識のようで。

GSを出ると、さっそく教えてもらった案内に従い、橋を渡って右に曲がると、堤防沿いの道が続き、他に走るクルマも少なく、快適に快送!
しかし、そんな道もだんだん川沿いから離れだし、いよいよ山道へ。
あっちへうねり、こっちへうねりと、どこまで続くかと思う山道が〜!
やっとのことで 京都市右京区 の標識が出てくるも、どこが右京区やねん〜と言うほどの山中が更に続き、今度は北区へ、それもまた山間の集落が続き、北区らしくもなく・・・・。
やっとのことで高雄へ出るも、そこからまたまたウネウネした道が続き、遂に嵯峨野端っこの住宅地へ出た時は、既に18:30になろうとしていました。

そこから京都市内を抜け、1号線から京奈和道を経由して奈良の自宅に到着したのは、20:00前だったかな?
何とか『功名が辻』は見れたので・・・。

それにしても、久しぶりにきつい行程でのブログネタ取材の旅でした〜!

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