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昨日28日GW初日、休みだったので、以前から気になっていた復元工事の完了した大和郡山城 天守台へ現地調査に行ってきました。
9:00過ぎに自宅を出発、今回は近鉄橿原線・秋篠川沿いを徒歩で向かいました。
10:00過ぎに到着。
今回は追手門をくぐらず、隅櫓の横から柳沢文庫の方へ歩き、その裏手から本丸へ〜
柳沢文庫の西側で極楽橋復元に向けての整備工事を行っていますが、立て看板を見る限りでは、どうも予算がついていないようで、橋とその向こうにある城門が復元されるのかどうかは、かなり微妙です。
本丸へはわきにある土橋を伝って行きます。
今回調査する天守台は、柳沢神社の裏手にあります。
天守台周辺は舗装され、歩きやすくなっており、天守台上は展望用のテラスが設置されていいます。
場所を変えて撮影。
何か全く変わってしまったような感じ。
登ってみました。
天気が良かったので眺めは抜群でした。
天守台に合わせて内堀の石垣も修復したようですが、堀底の土砂の浚渫は行われなかったようです。
詳細な眺めについては下記のYouTube動画を参照願います。
郡山城天守台展望施設紹介(大和郡山市公式HPより)
復元は非常にいい感じですが、何かとってつけた感もしました。
次は近日オープンする?新しいお城?を目指し大和郡山城を後にしたのでした。
(某所の現地調査は業務上の都合により5月以降に行います)
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関西の城郭
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詳細
大和・近江・摂津・山城・播磨・紀伊の城郭です!
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真田丸跡・NHK大阪放送局を経て、やっとたどり着いたのは大阪城。
少しばかり休憩をとった後でしたが、かなり歩きこんでいたので足にきてました。
しかし、ここでも道半ば、さらに先に進みます。
今回は大手門から入城です。
それにしても、外国人が多い。欧米人ではなく、アジア人。そして聞こえてくるのはただただやかましい言葉と所かまわず自撮り棒で撮影する遠慮のない人たち。
そんな中を歩き、大手門の桝形に入った時、異様な一行が・・・
某国の若き偉大なる首領様?将軍様?がやって来ます。それも何人も。
どこぞのキム一族みたない奴らです。
ふてぶてしい顔に、あの腹ですよ。まさかキム一族がやって来たのかと疑いました・・・(笑)
それはそれで、今回は大阪城にやって来たのは大手門の北側にある”千貫櫓”の一般公開がされているのをニュースで知ったため。
城内に入りチケットを購入、まずは同じく一般公開されているくぐってきた大手門多門櫓から見学です。
多門櫓としては、かなり大きなものとなると思います。
長い廊下が続き、その奥にかなり広いスペースが確保されています。
外を見れば桝形の中が一望です。ここから敵の様子を確認し狭間から鉄砲で銃撃できるように設計されていたようです。
他は取り立てて何もないので、多門櫓から出て西の丸へ〜(^^♪
大阪城千貫櫓です。
櫓の名前は、まだ大坂城が築城される以前、この地に石山本願寺があった頃に執拗に攻め立てていた織田信長が、ちょうどこの位置にあった櫓の攻略に難儀し、「あの櫓を落とした者には千貫文の銭を与えても惜しくない」と話した事に由来するそうです。
中に入ってみます。
櫓はもともと倉庫であり、防衛上の拠点であったため、御殿などと違い至ってシンプルで飾り気はありません。狭間や石落しが設置され防衛上必要な工夫がされています。
そんな櫓なので一人だけ、櫓を守る鉄砲足軽さんがいらっしゃいました。
見学にやって来た歴女?に砲術指導されていました。
僕もこの後、砲術指導をしてもらい・・・
堀の向こうにいる敵兵を狙撃
鉄砲足軽さんに構えがよいと言われ、次の戦では『よろしく頼む』などと言われ・・・(笑)
『よろしく頼む』と言われても、次の戦はあるのかどうか?
この後、何気立ち寄ったところで意外な体験をするのですが・・・
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真田丸跡を後にして、まずは大阪城を目指します。
北へ向かう道は真田丸跡北側は急に低くなり、それが200mくらい続き、長堀通の先にある大阪女学院の手前までまた急な上り坂になります。
写真ではわかりにくいのですが、上り坂の舗装面が茶色に塗装されています。
この部分が東西に極端に低くなっています。
このあたりの町名は、
空堀町と言い、この周辺東西一帯が大坂城総構の空堀だったようです。
かなり幅の広い空堀です。
これまで真田丸は総構に隣接した半月状の馬出のような出丸と考えられていましたが、そうではなく、大阪城外に孤立した要塞に近いモノのようです。(※歴史秘話ヒストリアの受け売りですが・・・)
確かに200mも空堀で隔てられているとなると、大阪城内から物資・兵力の移動もままならなかったと想像されます。
そこから考えられるのは、真田丸は大阪城の弱点を補強した出丸ではなく、敵である徳川軍をひきつけるための”囮”だったのではないかと。
実際、真田丸での攻防戦では当家をはじめ越前松平家・井伊家なども惨敗を喫していることからも、それが裏付けられます。
それにしても、この幅の広い空堀の存在から、いかに大坂城が巨大城郭であったかを証明できるのではないかなと。
さてここから大阪城へ歩いていくのですが、入城する前に某所へ寄り道することに・・・
そこには、えっこんなところでと驚くことが・・・・
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1月10日(日)、世間的には今年最初の3連休の中日ではありますが、僕は全く関係なく、明日は出勤です。
当初、今日は本来全く別の用事があったのですが、諸事情でそれは中止となってしまい、予定がなくなったので、この連休中にOBPで開催されている鉄道博2016へ行くことにしました。
しかし、今日はあの話題の”大河ドラマ”の初回放送日ということもあり、ついで程度であの場所へ行ってみました。
西大寺経由で鶴橋にて下車し、向かったのは・・・・
三光神社という小さい神社です。
今日は流石に皆考えることは同じようで境内はもとより、その周辺もごった返していまして、その理由は・・・
今日10日から放送される大河ドラマ『真田丸』の主人公、真田信繁(幸村)之像があり、またここには伝説の・・・
大阪城へ通じていると言われる『真田の抜け穴』跡があり、この前は記念撮影する人たちで混雑していました。
このあたり、以前も紹介しましたが宰相山公園の一角で、小高い丘になっていて、神社の裏手の西側には陸軍墓地が広がっています。
これまではこのあたりが真田丸と言われていたようですが、最近の調査では、それよりもさらに西側の明星学園高校を中心としたエリアが真田丸の中核部分であると判明したとの事だったので、三光神社を後にして行ってみました。陸軍墓地を横切り、路地裏を抜けた部分に出るとそこは西側が垂直に切り立った崖になっており、それが左手に回り込んで、崖そのものが険しくなっています。
※写真は崖に沿った道を下りきってから振り返って撮影したモノ。
その道を下りきったところが十字路になっており、
そこは明星学園高校の敷地の北東角に当たります。
写真右斜に伸びる道は、真田丸の北側にある小さな郭とを仕切る堀だったようです。
反対に左斜めに通じる道は、もともと寺町であったこの近辺を南北に通じる道だったようで、その道の左手に小さな寺が3軒あり、一番手前のお寺の心眼寺には・・・
そして境内には・・・
没後400年を記念して、最近建立されたお墓がありました。
今日はまだ大河ドラマも放送前でしたが、やって来る人が絶えない感じでした。
じっくりと探索すると、真田丸が浮かび上がってくる、そんな気がしたのでした。
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