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気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
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書庫関西の城郭

大和・近江・摂津・山城・播磨・紀伊の城郭です!
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姫路城西の丸

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中村大佐顕彰碑のところから坂道を上がっていくと、そこが西の丸でした。
御殿が建ち並んでいただろう西の丸築城時とは違い、今はその敷地は庭園風に整備されていました。
敷地の真ん中あたりに立ってみると、東側には連立式の天守閣がそびえたっていました。

しかし、この風景、どこか見たような?
そうそう、『上様』『じい』の呼び声がどこかから聞こえてきそうな?
テレ朝系で放送していた『暴れん坊将軍』の一シーン!!
徳川吉宗役の松平健や側用人役のじいが、天守閣をバックにして、事あるごとに会話しているシーン!!
今更ながら、こういうところで撮影してたんだぁ〜と変な実感をしてしまいました。

けれども、この場所でその昔、藩主と家老たちが談笑する時もあったのかと思うと、あながち、あのテレビでの一シーンも全くのウソではないのかな?と。

そんな風景をみて、石垣沿いに建っている渡櫓や化粧櫓の内部が見学できるみたいなので、そちらも訪問してみましたが・・・・。

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姫路城菱の門

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今回訪問したのは旧播磨国の拠点であった姫路城です。

前述した大手門跡を抜けると、そこは三の丸跡で藩庁跡・藩主邸跡は広場になっており、
近所の親子らしき人達がボール投げをして遊んでました。
そんな感じだし、特に礎石が残っているというわけでもないので、広場に沿って歩いていくと、正面登閣口があり、そこで入場券を買い、いよいよ世界文化遺産へ!!

その最初に現れるのが菱の門です。
世界文化遺産としての姫路城の大手門的役割を果たしているようです。
城門をくぐると右手に三国堀あり、その向こうに天守閣が見えるという構図なので、僕を含め撮影している人が結構しましたねぇ〜♪
左手には、姫路城を明治維新後の廃城の嵐から救った陸軍の中村大佐の顕彰碑が!
この中村大佐が、当時の陸軍軍政の実力者であった山縣有朋に名古屋城と姫路城の保存上申を行うように申し出た事によって、解体から免れたという話があるようです。

そうこうしているうちに、昼過ぎになっているのに気がついて、まずは中村大佐顕彰碑のところから、南側へ登っていく道を歩き西の丸へと・・・。

写真は菱の門と中村大佐顕彰碑です。

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某大城郭の大手門跡

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昨日訪問した某大城郭の大手門跡です。

この城郭ですが、もともとは羽柴(豊臣)秀吉の中国攻略の拠点として築城されたものが基本となっていますが、関ヶ原後に西国将軍と称された大名が52万石で入部し、改築されたのが現在の姿の原型となっています。
その後、この大名の子孫が隣国へ転封となり、某譜代大名が入部した時に完成。以後、城主もしばしば交代がありましたが、譜代大名酒井氏の時に幕末・明治維新を迎えました。
明治維新後の廃城の嵐にも、某陸軍大佐の活躍により、天守閣他の櫓・城門などが保存されることになりました。

そんな大城郭の大手門跡ですが、今は高麗門らしいものがある程度で、櫓門跡の石垣も撤去されているみたいで、ちょっと寂しかったです。
高麗門の前の堀には、橋を架ける工事をしています。
高麗門をくぐると、そこには広大な三の丸広場が!!
その向こうには、天守閣・櫓・城門が!!これぞ、世界遺産と呼ばれるのも頷けます!!

永慶寺山門

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本丸・天守台を見て、少し離れたところにある大納言塚を目指して歩いていくと、パトカーが停まっていて、婦警さんらしき人が郡山高校の西端にある松蔭門跡向かい側に駐車してあるオデッセイに何か黄色い用紙を貼ると、そそくさと立ち去って行きました。
周囲を見渡すと、駐車禁止の標識が!!!ジャリジャリ追手門前駐車場に停めておいて良かったと、ふと思ってしまいました。

そんなことは、どうでもよくて、松蔭門跡を左手にまがり郡山高校に沿って更に歩くと、左手に郡山高校のグラウンドが、右手に永慶寺というお寺が!!
山門があって、その横に案内板があり、よく見ると、その山門は、郡山城南御門の移築と伝えられているモノで、郡山城の建築物は、明治初期の廃城のときに全て破却されたかと思っていたのですが、残っていたとは驚きでした。

これまで何度か訪問しているのに、今まで気がつかなかったとは・・・・。迂闊でした・・。

そんなことを思いながら、更に足を進めて大納言塚を目指したのですが、途中で道がわからなくなり、またもや断念。同じ道を引き返し、クルマの停めてある追手門前ジャリジャリ駐車場へ戻ったのでした・・・。

大和郡山城の天守台

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追手門前で撮影してから、柳沢文庫の前を通り、本丸に入り、柳沢神社神殿の裏手にある天守台へ!

先日は、お城まつりのため、天守台上には柵などがないため、立ち入り禁止となっていたのですが、
この日は、単なる初夏の日曜日ということで、いつもどおり天守台に登ってみました。
野面積の天守台の東側には、台上へ登る階段があるのですが、これも自然石を利用しているため、
段の間隔が不規則で、とにかく登りづらい。こんな階段を、ほんとに当時の人は着物を着て登っていたんかな?と・・・。
天守台上に登りきると、真ん中に良くはわからないけど、明治時代に建立されたと思われる石碑が・・。
なんやら漢字ばかり書いてあり、それも擦れていて内容すらよくわからないものでした。
早速四方の写真を撮ってみよう見渡してみると、南は木々に隠れた神社本殿、西は高校統廃合で廃校となった城内高校の敷地が、北も城内高校の校舎と最近できた散策路、東には、さっき撮影した追手門と東隅櫓、遠くに若草山・春日山・高円山が見え、眺めとしては、この東側は良かったのでパチリと・・・。
これが天守閣の最上階からだと、どんな眺めなのかと思うと・・・・。
そんなことを思いながらも、やはりこういう場所は暑くなるのが早いのか、退散して、
天守台に埋め込まれている『逆さ地蔵』を見て、天守台を一周して、次の目標大納言塚を目指したのですが・・・。あ〜〜!!

大和郡山城の詳細については、大和郡山城ばーすあい を参照願います。

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