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気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
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書庫関西の城郭

大和・近江・摂津・山城・播磨・紀伊の城郭です!
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福知山城

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今月唯一の土曜日休みの8日、どこへ行ってみようかといろいろ候補をあげた中で、とりあえず海のある所へと思い、向かった日本海方面への第1経由地としたのが、福知山城でした。

奈良を9時ごろ出発し、第2阪奈・近畿道・中国道・若狭舞鶴道を経て到着したのが、10:30過ぎだったように思います。

小高い丘の上に、四層五階の古式望楼型の天守閣が二層小天守を連立した形で建っていました。

堀代わりとなっていた想像される川沿いにあるPにクルマを停め、早速登城!

本来は川に架かっている岩国の錦帯橋もどき?の橋を渡っていけるようなっていく経路のようですが、橋向こうに多聞櫓を模した佐藤太清記念美術館を建築中で、その経路から進めず、建築中の多聞櫓に連結している隅櫓の横を通り、その裏側に天守閣へ向かう坂道が!

この坂道、本丸までわずか200mもあるかないかという距離が、とにかくきつい!
もちろん、酷暑湿度過多ということもあるのですが、やはり基礎体力の低下が〜〜!!

やっとのことで、本丸に到着。
見上げるように天守閣を、向かいに移築された二の丸銅門番所を撮影、天守閣入口の方へ!

入口には派手派手しいゲートが!ゲートをくぐり中に入ると、下駄箱があるので、靴を脱いで、受付で入城券を買い、階上へ!
外観も内部もアチコチにふんだんに木材を使っているので、木造かと思ってたら、鉄筋コンクリート製。
かなり忠実に再現しているらしく、これなら鉄筋コンクリート製にしても上出来な復元といえます。
内部は、郷土資料館になっていて福知山の歴史(旧石器時代から近世まで)のいろんな発掘物・遺品・古文書(複製)の展示してありました。
特に力を入れているのは、福知山の基礎を築いた明智光秀と、江戸期の主要な藩主であった朽木氏のことでした。お馴染みの『明智光秀画像』(模写)や朽木家甲冑・藩主が描いた画軸などです。

展示を見終わって、天守閣の最上階へ登ると、開けた窓から涼しい風が〜〜〜!
西側だけが見えないようになっていましたが、開いてる窓からは城下である福知山の町並が放射状広がっているという感じでした。

涼しい風を感じながら、一息ついていたのですが、時計をみると11:30前くらいで、本来の目的地である舞鶴の某所へ急がなければと思い、あわてて福知山城を後にすることに・・・。

記念写真

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お菊井戸をみて、更に下り、世界文化遺産の指定範囲からでて、城郭北側の堀・城門跡などをみて、お土産を買うために三の丸大手門跡付近へ戻ってきた時に、どこかの大学のゼミ旅行の団体と思われる人たちが、よく観光地ある記念写真用の踏み台の上に並んで、記念撮影しているところを、大手門跡付近から撮影してみました。

奈良に住んでいると、こういった光景も特に珍しいものとは感じないのですが、他の場所に行ってみると『ここは観光地なんだぁ〜!』と。
よく考えると奈良も観光地なんですが、僕の中ではそれも日常のひとつなんだと、改めて実感した次第でした。

お菊井戸

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ついに姫路城天守閣から下り、下城する際に通ったのが、上山里にある『お菊井戸』です。

井戸の中からお菊の亡霊が「お皿が一枚……二枚……」「九枚……一枚足りない……」と恨めしげな声で語る、というのが、怪談やお化け屋敷などで登場するときのパターンである。

ウィキベディアより


有名な怪談話である『皿屋敷』で登場するお菊が投げ入れられたと言い伝えのある井戸です。

もっとも姫路で伝わる『播州皿屋敷』では、現在の姫路城の話ではなく、室町時代後期に地元の土豪である小寺氏が城主だった頃のことのようで、話そのものもずいぶん脚色されたものらしいです。

播州皿屋敷


お菊井戸姫路市の十二所神社に伝わる「播州皿屋敷実録」が原型とされる。

永正年間(つまり現在の姫路城が出来る前)、城主小寺則職の家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、これを青山家の下女お菊が密告。だが鉄山は一時主家乗っ取りに成功し、宝物の皿のうち一枚をわざと隠してお菊にその因縁を付け、責め殺したあげく古井戸に沈めた。その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。やがて小寺の家臣によって鉄山は討たれ、お菊は十二所神社に「お菊大明神」として祀られた。

ウィキベディアより


そういう言い伝えのある井戸ですが、取立てどうだというものではなく、そういう言い伝えのためか、派手に?保存されているような感じでした。

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姫路城天守閣(外観)

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目標の姫路城天守閣登閣を達し、そこから広がる姫路の町並を見て、いよいよ復路へ!

登閣時には周らなかった連立している小天守へ、そこには天守閣木組みの模型や姫路城全域のジオラマ模型などの展示がありました。
といっても、小天守とそれをつなぐ渡櫓だけなので、あっさりと出口にたどり着いてしまいました。

同じく国宝でも、松本城天守閣の登閣時と比べると、かなりすばやく見学でしました。
といっても、松本城訪問時はGW中、今回は6月の土曜日という違いがあることは考慮しなければいけませんが・・・。

ここで再び備前丸へ!
天守閣を見上げていくと、天守台の途中で石垣の色が灰色から肌色に変わっているのに気がつきました。
他の個所の石垣は、ほとんど灰色なのですが、天守台とその付近だけが、石垣の途中で石の色が変わっていました。
それが何故なのか、管理事務所でももらったパンフにも、帰宅してから検索した姫路城についてのHPにもそれらしい記事はなく、今もって自分の中では不明です(泣)

何かつっかえるものを抱きながら、復路を歩き出したのですが、そこには、怖〜い話のいわれの場所が!!

いちま〜い、に〜まい、さ〜んまい・・・・・。夜でなくてよかった・・・・・。

写真は、備前丸から見上げた写真と城郭東側の美術館方面からの写真です。
特に備前丸から見上げた写真では、石垣の色が途中で変わっているのがよくわかります。

姫路城天守閣

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さて、やっとのことで天守閣下までたどり着いたのですが、そこからも、まだこれでもか〜!!と言うほど、また門が続き、今度こそやっと天守閣内の下足場に到着。
いつながらというか、国宝級の建築物に入る時は、どこも同じですが、配布されたビニール袋へ入れ持ち歩かなければならないのが、片手にカメラを持つ身にはつらかった〜!!ですが、それもモノともせず、階上へ!

2階だったと思うのですが、そこには薄暗い大広間の一部を仕切り、酒井氏時代の品々がガラスケース内に展示されてましたが、あんまり興味がないので、一通りみて、更に上へ!

何階だったか忘れましたが、天守閣を支える『東大柱』『西大柱』が目前に現れました。さすがに直径1mということなので、大黒柱に相応しい柱だと「ほぉ〜」歓心してしまいました。

そしてやっと最上階へ。大きい天守閣だとは思うのですが、さすがに大阪城や名古屋城の天守閣最上階に比べると狭いのは否めません。その真ん中に『長壁神社』なる社がおさまっています。
なんかご利益があるのかと、賽銭をいれ参拝しました?が、今のところ御利益の兆候は何もないです(泣)

この後も続くのですが、ねむいのでまた・・・。

それから、東西南北に広がる眺めをみて
.

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