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気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
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書庫関西の城郭

大和・近江・摂津・山城・播磨・紀伊の城郭です!
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備前丸(姫路城本丸)

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腹切丸へ寄り道したため、たどり着くまでに時間がかかりすぎたのが、備前丸(本丸)です。

天守閣を含める備前丸(本丸)の広さは、意外なほど狭く、邸宅跡ある広場はせいぜい小学校の敷地程度で、先日訪問した名古屋城本丸の半分程度でしょうか。
邸宅跡には今は何もなく、木立の下に備前丸池田輝政居館跡の木柱がある程度です。
山頂にあり日常の生活には不便ということもあって、池田家転封後に入城した本多忠政が、三の丸へ館を建て、そちらへ移ったみたいで、江戸時代は何もないただの広場のようになっていたみたいです。
もしこれで大火でもあって、天守閣が無くなっていたら、姫路城の本丸も金沢城本丸のように鬱蒼とした森になっていたかも?
これまでいろんな城跡を訪問しましたが、割と多く、江戸時代になると本丸が放棄され、藩政の中心は二の丸・三の丸へ移っていることがわかりました。

というわけで、何もない?広場なので、やっとこれから天守閣へ登ることにしますね。

写真は備前門と備前丸池田輝政居館跡木柱です。

腹切丸

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備前丸(本丸)を目前に、ふと目をそらすとあった穴倉のようなところが気になって下りていくと、そこは広いとはいえない郭があって、どんな場所かな?と郭の下まで下りきってみると、長屋のような櫓があり、その一部を見えるようにしてあり、よく見ると櫓の柱に『腹切丸』と書かれた表札?が!

入口でもらったパンプによると、

構造が切腹の場、検視役の席、首洗いの井戸に見えるところから腹切丸と呼ばれています。
ここは帯郭櫓いい、搦手を守る大切な場所です。


お〜〜!!、ここが有名な腹切丸だったわけだぁ〜♪
確かに姫路城のなかでは、その入口からも想像していたけど、何となく湿っぽいというか薄気味わるいというか・・・。

こういうところで、不祥事を起こした武士が切腹したのかと思うと、なんともいやな気持ちになりましたが、ホントのところは、本丸に近く場所として適当でないこと、普段は家臣の屋敷の一角が切腹の場として利用されていたので、この場所が切腹の場として使われたことは一度もないようです。

うんうんと思いながら、周りをみると、東南アジア系の観光客らしいおねーちゃん2人にボランティアのジーさんがついて、この場所について説明していて、たかがボランティアのジーさんと思い、大した語学力ではないだろうと耳を傾けてみると、このジーさんかなり流暢に英語を屈指し、おねーちゃん達を納得させていたのには驚きました。
さすがは、姫路城!とにかく、こういうところにも力が入っている事を実感!
果たして、同じ世界文化遺産の法隆寺や奈良市内の寺社では、どうなんだろうと思うと、少しばかり奈良は心もとないような気がしました。そんなボランティアガイドは見たことがないので・・・・あ〜!!

広さは大したことないので、郭を一周して、次はいよいよ備前丸(本丸)へ!

姫路城『ほの門』

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『にの門』をくぐり抜けると、そこがまた溜まり場みたいになっていて、その先に『ほの門』がありました。
この『ほの門』、写真の通り、極端に狭く、門をくぐり抜けるにも、身をかがめないとあたりそうで、くぐるだけなんですが、頭上が気になりました。
くぐり抜けると、いよいよ天守台の周囲へ!
しかし、そこは姫路城、縄張りの巧妙さで、簡単に本丸(備前丸)・天守閣へは、渡櫓に沿って歩き、さらに『への門』・『ちの門』・『備前門』を抜けないと進めない様な仕組みになっていました。
やっとのことで、『備前門』の前へ出てきたら、石垣の間に石段があって、そこを下っていく穴が・・・。
気になったので、穴倉へ向かうような石段を下りていきました。

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西の丸をでて、一路、天守閣を目指して、半分脱水症状?になりながら歩いていくと、よく観光案内やガイドブックに出てくるシーンをまた目にしました。
はの門です。
姫路城の場合、、菱の門をくぐり、天守閣へ向かうと至る所に門があり、個々の門には、『いろはにほへと・・・』になぞらえた名前が付けられています。
石段があって、その向こうには天守閣の最上階が見えるのですが、その石段は途中で左に折れ曲がり、『はの門』にあたり、安易に天守閣までたどり着けないように工夫されています。
僕も各地の城跡へ訪問しましたが、ここまで複雑な縄張りをしているところは初めてでした。
『はの門』をくぐり、また折れ曲がった坂道&石段を登ると、そこには、今度は『にの門』が!!
『にの門』は櫓門になっていて、またそれがくの字に曲がっていて、通り道も当然ながら曲がっているという複雑な建築で、門をでれば、その先にはまた『ほの門』と呼ばれる門と城壁にある鉄砲狭間から狙撃されることが容易になっていて、ここにも縄張りの巧妙さがありました。

それにしても、平山城だし、観光地だからと思って安易に考えていたら、管理事務所付きの警備員が各個所に配置され、水が飲めないという状況では天守閣までの登城は結構きついものが・・・・。

更に登城への道は続くのですが・・・・・あ〜♪

写真は『はの門』への石段&坂道、『はの門』、『ほの門』です。

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西の丸広場で、『暴れん坊将軍』の雰囲気に浸り、次に向かったのが石垣沿いに建つ渡櫓と化粧櫓です。

もともと西の丸は、築城者の池田輝政時代には余り整備はされていなかったらしく、その後に城主になった本多忠刻が千姫輿入れの際に本格的に整備し、現在の姫路城の威容が整ったのです。

まずは渡櫓の南端から入り、歩いていくもいつまで経っても櫓を中を仕切った部屋の中で、そんな雰囲気が終わり、2階へ登らせるようになっていくところあがってみると、そこにある非常口の表示には、100m←非常口→200mと!!
まだそんなにあんのかぁ〜と思いながら、更に足を進めると、今度は長く長く続く廊下に沿って十畳〜二十畳くらいの間仕切り部屋が続き、やっと終点にたどり着いた〜と感じたところが、化粧料10万石で建てられたという化粧櫓の中でした。
そこに、前述した千姫が侍女と貝合わせを行うシーンを模した人形があったわけです。

そこでチョット写真を撮って、やっと外へ!
余りに暑いので、持ってきた烏龍茶でも飲もうかと思ってたら、管理事務所付きの警備員が・・・!

ここ、世界文化遺産ということもあって、火気厳禁・飲食厳禁のため、いたる所に警備員を配置し、監視してました。
最近、文化財への落書きとかが多くなってきているので、これまでより監視を強化しているようです。

というわけで、飲むのを我慢していたら、西の丸広場にある売店に綺麗な外人のネ〜ちゃんが二人。
どうもよく姫路城へやってくる人らしく、何故か警備員とも親しく話してました。
そんなシーンの先にある売店の棚には、UCCコーヒーが?
飲食厳禁のはずなのに!!何でや?と思いながらも、予定より時間がオーバーしていることに気がつき、山伏のようになりながら、今回のメインともいえる天守閣を目指したのでした・・・。

写真は多分渡櫓から続く長局の廊下と女中部屋、天守閣最上階から眺めた西の丸の化粧櫓・長局・渡櫓です。

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