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8月15日(水)、今日は終戦記念日です。
そのためか、先ほどまでNHKスペシャル『ノモンハン 責任なき戦い』を見ていました。
あの司馬遼太郎が小説化することをためらったあの”ノモンハン事件”について、新しい資料やインタビュー・AIを屈指したカラー映像で紹介されるというので、結構見入っていましたが、如何せん、1時間13分では短すぎでした。
インタビューに関しては、肝心の人物にはどうもできなかったのか、出せなかったのか?
ただ見て思ったことは、反省すべき人は全く反省していないし、その息子と言う方も出ておられましたが、親の行動がいかに多大な影響を与えたか、またそれによってどういう結果になったのかと言うことを何ら検証も反省もされていないように見えました。蛙の子は蛙と言う事なのでしょうか?
もう一つ、組織の中では『声がでかい』奴ほど偉いということです。
そして、そういう奴は”責任”をとらないという事。
意外と身近にありそうな事が、どこにでも転がっていて、そういう前例があったとしても振り返られることがない。
改めて思うに歴史と言うものは勉強しても、結局、何ら生かしきれてないのではないかと、歴史を勉強した者にとっては寂しさと言うか悔しさを感じざるを得ないと思ったのですが、皆さん、如何でしょうか?
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歴史一般
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時代を問わず、歴史一般について語ります。
最近は歴史からもめっきり遠ざかってしまっています。
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3月10日【金】、久しぶりの平日休みで今日は京都文化博物館で開催されている『戦国時代展』の観賞に行ってきました。
開催趣旨
日本における戦国時代は、相次ぐ戦乱により秩序が大きく乱れた時代だとイメージされてきました。ところが近年では、この時代は、各地で対立・戦乱がおきながらも、列島規模で文化的・経済的な実りをもたらした時期だと考えられるようになっています。
室町幕府の政治権力がおとろえ、上杉謙信、武田信玄、毛利元就、織田信長など有力大名たちは領国の経営に力を入れるようになり、その結果、京都で成熟した文化が列島各地へともたらされ、新たな地域文化として再生産されたのでした。
本展では、合戦の様子や武将の姿を伝える歴史資料、列島の各地で生成された貴重な美術工芸品を一堂に展示し、多様な広がりを見せたこの時代とたくましく生きた人々の姿に迫ります。
京都文化博物館公式HPより
今回の目的は、数年前京都国立博物館へやって来た『洛外洛中図屏風 上杉本』の再度鑑賞です。
前回は、あまりの入館者の多さにまともに見れなかったので、ある意味リベンジでした。
9:40自宅を出発、西大寺で用事を済ませ、大和西大寺10:31発の『国際会館』行き急行で京都市営地下鉄烏丸御池へ〜♪
徒歩数分で到着。もともとは日本銀行京都支店だった場所にあり、その一部も博物館として利用されています。
会場は新館3F・4Fです。
まず4Fへ上がり、3Fへ降りて回るコースとなっています。
会場前の看板です。
会場内は撮影禁止なので写真はありません。
序章 −時代の転換−
「戦国時代」は、果たしてどのような時代であったのか。威勢に溢れる武具や甲冑(かっちゅう)、美麗を極める絵画の数々、あるいは戦災により焼かれ、破棄された数多くの遺物は、いずれも戦国人の声を我々に届けてくれる。本章から戦国時代への旅をはじめたい。
第1章 合戦 −静寂と喧騒−
戦国時代、武将たちはどのように戦っていたのか。 武器を交わすだけが戦場ではない。軍旗がはためく陣中には兵士の生活があった。また、戦闘の指揮には法螺貝(ほらがい)や陣鐘(じんかね)が用いられ、突き進む軍勢の雄叫(おたけ)びや地響きとともにさまざまな音が轟いていたであろう。戦場の静寂と喧騒を伝える、これらの戦道具は合戦のリアリティを今に伝えている。
第2章 群雄 −翔け抜けた人々−
武将のすがたは、残された肖像画やそのゆかりの品々に現れる。たとえ肖像画が伝わらない武将であっても、ゆかりの品々は雄弁に武将の個性を物語る。甲冑や武器はその代表であろう。それには外見だけではなく、武人としての理想や思考をも見出すことができる。また、文化的な嗜好を示す愛用品や芸術作品を残した武将も少なくない。そこには勇猛さだけではない、さまざまな武将像が浮かび上がってくる。
第3章 権威 −至宝への憧れ−
大乱を経て、列島各地にはさまざまな権力が生まれた。しかし、朝廷は依然として存在し、室町幕府も弱体化しながらも維持されていた。戦乱の世にあっても、京都で蓄積された美術品や長い時間をかけて整えられた制度・秩序は、なおも列島各地に影響を与えたのである。
▲国宝 洛中洛外図屏風 上杉本 狩野永徳筆 (山形・米沢市上杉博物館蔵)
【2月25日(土)〜3月12日(日)】
第4章 列島 −往来する人と物−
戦国時代のはじまりの頃は今につながる村や町が成立した時期でもあった。村人、町人、商人など、多くの人々が活躍し、列島を旅するようになった。さらに当時の交通は、列島の外へも通じていた。北方ではアイヌ社会との交流、西国では明や朝鮮などとの通交、さらに南方からは後の南蛮貿易につながる東南アジアとの交易も行われた。列島内外でやりとりされた文物は今も各所に伝わっている。
終章 −新たなる秩序−
将軍や大名らの思惑で多くの合戦が起こった戦国時代。その戦乱の背景で多くの人々はいったい何を望んでいたのだろうか。その一端は神仏に平安を願った心の中にあったのかもしれない。
『洛中洛外図屏風 上杉本』以外で注目したのは、戦国大名の肖像画、マイナーな大名の肖像画もあり、こんな顔だったのかと感心感心。
その中でもさらに注目したのは北条氏5代、初代の北条早雲(伊勢宗瑞)から北条氏直までの5人の肖像画が横並び。
2代氏綱・3代氏康までは初代早雲の面影がありますが、4代氏政ではその面影も薄くなり、5代氏直に至っては全く早雲の面影は感じられなくなっています。
直系と言えども100年も経てば、変わるものなのだと・・・。
そんな展示物に感心しながら、既にヘロヘロになった頃、やっとたどり着きました。
『洛中洛外図屏風 上杉本』
やっと見つけました。
将軍に謁見すべく輿に乗って、御所へ向かう上杉謙信公のお姿を!
前回は押し合い圧し合いで、まともに見れなかったのですが、今回は観覧者も少なくじっくりと見る事ができました。
前回同様、この輿に乗った人物が上杉謙信であるという解説がなされていないせいか、この部分への注目度は低かったです。あくまでも推定ということなので、仕方ないといえばそうなのですが・・・・
今回の展示では一押しなのに・・・
これを見て、その他も見ましたが、流石に今週は激務だったせいか、疲れ果ててしまい・・・、2Fの常設展を軽く見てから、博物館を後に。
帰りは京都駅でカツカレーを食べ、特急で帰路に。
思いの外、早く15時前に帰宅となりました。
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今日はこの3連休唯一の休み。休みが今日だけなので、遠いところへも行けず、まして台風の影響で終日雨模様が予想されたので、近場で、それも何とかクルマで行けるところはないかと探してみたら・・・
ありました。
昨日9月17日より大阪歴史博物館で開催されている特別展『真田丸』。
元々これは東京や信州上田で開催されていたものが、大河ドラマのクライマックスを控えて大阪へやって来ました。
これ、当初は夏の真田丸ツアーで信州上田開催中に見るつもりをしていましたが、現地に行くと、とてもそんな余裕はなく・・・
大阪では11月6日まであるのですが、あまり悠長な事を言っていると逃してしまいそうなので、早速行くことに!
9時過ぎに奈良を出発、阪奈道路で山越えして、阪神高速の下をひたすら走り、10:30頃に法円坂にある大阪歴史博物館に到着。
ここはNHK大阪放送局と同じ場所にあるので・・・
入口前の広場には、こんな垂幕が・・・
我らが『井上あさひ』アナウンサーは、相変わらずお美しいです。
京都に来られて、東京にいた時よりものびのびとされているような・・・
それはそうと早速博物館へ〜♪
雨模様ということもあり、この時点では思ったほどのお客さんはいませんでした。
チケットを買い、いざ6Fの会場へ〜♪
ここでもそんなに押し合いへし合いと言った事はなく、案内音声ガイドを借りて、じっくりと鑑賞しました。
いろんな古文書や刀剣・甲冑・工芸品・肖像画など真田ゆかりの品々が展示されていました。
そんな中で目当てにしていたのが『某条書案(前欠)』で、大坂夏の陣後、上洛していた薩摩の島津家久が国元へあてて書いた書状です。
右から6行〜7行目に書かれている『真田日本一の兵、いにしえよりの物語ニも之無し』の一文はあまりにも有名で、これを目当てにしていたら、これは会期後半からの展示らしく、今日はパネルでの写しの展示のみ〜
他にも相当貴重な逸品ぞろいで、その場で見ただけではとても理解できないものばかり。
じっくり見るにしても、やはり疲れたので、今回は大枚をはたいて図録を買いました。
ボリューム感のある図録は2200円、これまでいろんな特別展にも行きましたが、これは思ったよりも安かったです。
会場を後にして、1Fへ降りるとチケット販売所は長蛇の列。
大河ドラマの影響、恐るべしです。
これもその昔から、今回の主役真田信繁がヒーローとして語り継がれてきた人物だからこそでもあるのでしょう。
来年の大河ドラマは、井伊直虎というマイナーな人物、そして戦国の動乱の面白い時期からは少し早い時代の話になるので、その影響はいかほどになるのか?
ちょっと心配なところはありますが、期待もしたいですね。
それはそううと今日の『真田丸』、兄・信幸役の大泉さんの演技が光りますね。
来週はいよいよ草刈さん演じる真田昌幸の最期、あまりにも早すぎるような気もしますが、その後の展開を考えると仕方ないのかな?
誰かが死ぬと○○ロスと言われる真田丸、またネットで大いに話題になる事間違いないでしょう。
もう一回、特別展『真田丸』を見にいきたいと思いつつ、大阪歴史博物館を後にしたのでした。
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さらに特別な『特別なトワイライトエクスプレス』を大阪駅で撮影後に向かったのは、大丸心斎橋店です。
ここの14Fで今日20日まで開催していた『真田幸村の至宝展』を見に行ってきました。
御堂筋線で心斎橋まで行き、駅と直結した大丸に入り、EVで14Fへ〜(^^♪
到着するとやはり平日ということもあり、流石の『真田丸』ブームはあらず。
入口前には・・・
大河ドラマ『真田丸』で堺さんが着用している甲冑のレプリカが展示されていました。
展示室に入ると真田幸村や同時代に生きた関係する人物(徳川家康・伊達政宗・豊臣秀頼)の甲冑、それと真田家の紹介がされており、その奥に今回、真田信繁(幸村)の次男が興した仙台真田家の展示品が飾られていましたが、甲冑やら旗・刀・采配などが数点だけ。
かなり貴重な品々だとは思いますが、思ったよりも出展数が少なかったのは残念でした。
その中でも名を引いたのは、真田昌幸・真田信繁の肖像画でした。
どちらも掛け軸に描かれており、昌幸は少し派手めな衣装を着ていますが、信繁は非常に地味な服装で好対照でした。
もう少しじっくりと見るつもりできましたが、20分くらいで退散。
難波まで歩き、いつも総菜屋さんでおかずを買って帰宅。
予定よりも1時間早い帰宅だったのでした。
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