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気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
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書庫歴史一般

時代を問わず、歴史一般について語ります。

最近は歴史からもめっきり遠ざかってしまっています。
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徳川秀忠

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徳川秀忠

(天正7年7月7日(1579年7月30日) - 寛永9年1月24日(1632年3月14日)将軍在職1605年 - 1623年)

どなたかのブログで、この人物の評価についてのコメントがあったので、ちょっと調べてみました。

ある程度は知っていたけど、世間的には家康の息子でありながらも評価は低い〜♪

その原因が関ヶ原の戦いにおける遅参にあるのだけど、彼にとっては初陣でもあり、
いきなり38000もの兵力を指揮して、知将 真田昌幸に対抗するのには無理があった。

また、大阪の陣では、このときの失態を挽回しようと強行軍で進軍し、
兵が疲弊させてしまったりと、軍事面ではどう考えても家康には及ばない。

しかし、彼がその実力を発揮するのは、家康の死後。

大名統制の徹底で、親藩・譜代・外様を問わず改易・減封と
御三家(尾張・紀伊・水戸)の創設。
朝廷へは娘・和子の入内させることで引き締めをはかり。
紫衣事件をきっかけに寺社統制も強化。
貿易場所を平戸・長崎に限定し、鎖国政策への布石もうっている。

こういった施策は、次代の家光のものだと一般的には思われているようだけど、
実は秀忠の政策であり、家光がそれをさらに強化・修正したもので、
家光の功績は、実は秀忠の行った施策が土台となっていることを知って欲しいと。

彼の評価がもっとわかりやすい形の資料などあればと。

とりとめもない話でした。

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今日は休み。といっても明日は仕事。何となく力の入らない休みです。

もともと通院のため休みとしていたのだけど、
診察・治療の時間は1時間あまり。

と言うわけで、朝一の診察・診療を終え向かったのが
三条通にあるシネマデプト友楽

YAHOOで『蒼き狼』の特集をしていたので、
つい観に行きたくなった。

昔の友楽会館跡にある立体駐車場へクルマを停め、
館内へ駆け込むと、既に今後の公開予告が既に始まっていた。
館内を見渡すと、今日が公開日というのに座席は1/4も埋まっていたかどうか・・・

予告編はまずはシルベスタ・スタローンが、またロッキーを製作したらしい?ところから。
もう還暦?に近かったはずだけど、予告編での姿にはそんな雰囲気は微塵も感じられない。
まあ40代のパワフルなオッサンと言った感じ。
今の僕の状態は、それから遥かに遠いと感じざるを得ない。

話がそれてしまった。

ロッキーの予告以外に何本かの予告編があり、いよいよ始まった。

この映画、松竹映画らしい。
あの角川春樹氏が製作総指揮しているのだけど、角川映画ではないらしい?

それはそれで、映画は始まる。

モンゴルでは部族間の闘争が激化し、戦いに敗れれば女たちを奪われる。
モンゴル部族ボルジギン氏族の長イェスゲイ・バートルの妻ホエルンも、
イェスゲイがメルキト部族の男から略奪した妻だった。
1162年6月、そのホエルンが男子を出産する。テムジン、後のチンギス・ハーンの誕生である。

14歳になったテムジンは、オンギラト部族族長デイ・セチェンの娘ボルテとひと目で恋に落ち、婚約。
ボルテの幼なじみジャムカとは、モンゴルを戦いのない豊かな国にまとめたいと将来の夢を語り合い、
生涯の友情を守る“按達(アンダ)の誓い”を交す。

1183年、父の死、新しい族長からの迫害、家族の結束を壊す義理の弟の抹殺……
過酷な少年時代を生き抜いたテムジンは、優れた指導者に成長していた。
離れ離れになっていたボルテとも再会し、2人はめでたく結ばれるが、
その2年後、母ホエルンの元夫であるメルキト部族のイェケ・チレドがテムジンの集落を襲撃。
ボルテを奪って復讐を遂げた。10カ月後、テムジンは再びボルテを奪い返すが、
その時、彼女は妊娠し臨月を迎えていた……。

ボルテが生んだ、自分の子かどうかわからない息子ジュチ(“よそ者”の意)との
関係に悩みながらも、勢力を年々拡大していくテムジン。
ある時、メルキトの残党と遭遇したテムジンは、兵士のひとりが女だと気付き命を助ける。
テムジンは、クランと名乗る女の勇気を買い部下に取り立て、
クランは戦利品ではなく人として扱ってくれるテムジンに惹かれる。
同じ崇高な魂を持つ2人は、強く深く愛し合うようになっていく――。

やがてジャムカの裏切りにより大決戦が始まり、苦戦を強いられたテムジンだが、
相手の油断した隙をつき攻勢に出てジャムカの軍を打ち破る。
敗れたジャムカは、テムジンに「その手で殺してくれ」と頼む。
テムジンは胸の張り裂けるような思いで、友の最後の願いを叶えるのだった。

1206年4月16日、小高い丘の上に大天幕が張られ、白いフェルトの絨毯が敷き詰められ、
外国からの賓客、1000人を超える親衛隊、丘の下を埋め尽くす諸部族の人々が見守るなか、
テムジンの即位式が開かれる。シャーマンの教祖ケクチュの神託を受け、
ついにモンゴルの王“チンギス・ハーン”が誕生した。

即位したチンギスは、モンゴル部族2代目族長を殺した永遠の宿敵・金国を討つことを決意。
息子ジュチとともに金国へ向かおうとするが、ジュチはその命令に従わない。
チンギスは、ジュチが謀反を起こしたと激怒する。

苛烈な戦いを知り、孤独に苦しみ、そこからモンゴルを背負う男に這い上がってほしい──
そんな思いを込めてジュチに過酷な任務を与えてきたチンギス。
今やっと親子で金国を討とうという時に、自分を裏切るとは──
チンギスはジュチのいる北方へ向かった。

輝く栄光を手にし、さらなる夢に向かうチンギス・ハーンは今、ひとりの父に帰ろうとしていた。
果たして、父の願いは息子に届くのか──?


YAHOO映画より

日本の戦国時代にもにた過酷な状況下で、テムジンは成長していく。

妻を奪われたり、友や息子との確執、暗殺の危機などいろいろ起こる中、
遂にモンゴルを統一、モンゴル王として即位する。

チンギス・ハーンの誕生


ついに宿敵・金国征伐のために挙兵するが、北方に派遣していた息子に謀反の疑いが・・・。
しかし、チンギス自ら北方へ向かい確認すると、毒矢にやられた息子は瀕死の重傷。
程なくその息子もなくなってしまう。

その悲しみを乗り越え、金国の討伐へ〜

とにかく、その規模はすごい〜!

ロケには、モンゴル政府関係はもとよりモンゴル軍の協力もあり、
戦闘シーンは、日本の戦国物より激しい!
軍団は、歩兵が混じっていなくて全て騎馬兵!
騎乗で槍を振り回すのではなく、
短弓でそれも反り返って、後方の敵を射たり、
大太刀でかかって来る敵兵をバッサリ!
その数もすごいから、大迫力!!

即位式のシーンでは、エキストラに27000人も集めたらしい!
その迫力は、CGなどでは表現できない!

それと反町君以下の出演者も、モンゴル服が似合っている。

その中で特に気になったのが、女兵士役のAraという女優さん。
買ってきたパンフをみると、彼女は韓国人で女子高生。
韓国ではかなりの活躍もしているらしい。
日本語の発音もあまり気にならない。
今後、韓国だけでなく日本をはじめアジアで活躍していくのだろうと期待。

映画は思ったより早く終わった感じ。

久しぶりに何か楽しんだと思えるひと時だった〜♪

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久しぶりに歴史の話。

先日放送のあったNHKスペシャルの

大化改新 隠された真相


最近の発掘調査の結果に、本当は今までの定説ではない真実が・・・・

甘樫丘やその麓で発掘されている蘇我氏の邸宅跡から発掘結果は、
今までは蘇我氏がその権勢を利用して天皇家の地位を脅かしていたという定説を覆し、
ホントは、宮殿を囲むように外敵と考えられていた唐・新羅からの
防衛の最終ラインではなかったのではないかと。

確かに飛鳥の宮殿を囲むように位置する甘樫丘・飛鳥寺・石舞台古墳といった
蘇我氏関係の遺跡の位置関係がそれを物語るような?

それは見方によっては、これまでどおり天皇家を威圧するようにも?

しかし、権勢が大きくなる危惧した中大兄皇子や中臣鎌足などは、
それだけでなく対唐・新羅との関係を重視した蘇我氏の外交政策にも
反対していた節が・・・。
彼らはどちらかといえば百済重視の方針。
でも情報も把握していた蘇我氏のほうが、結局は正しかったというのは
相当後になってわかることで・・・。

バラバラな文章になってしまった〜!

結論を言えば、大化の改新とは実のところ保守派である中大兄皇子や中臣鎌足たちによる

退化の改新


だったのではと思える。

確かに645年以後、白村江の戦で敗北するまで、これと言った外交施策もなく、
内政面でも公地公民制の促進がされていたかといえば、そんな感じもないし。

そう考えると、この事件の意味は何だったのだろう?
誰が得したのか?
日本史上では、本能寺の変と並ぶ真相のよくわからない事件ではと思うんですが・・・。

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異動でバタバタしていて、読みきっていなかった文芸春秋の2月号に掲載されていた

検証 栗林中将 衝撃の最期

ノイローゼ、部下による斬殺説の真相

この記事を書いたのは、『散るぞ悲しき』の著者である梯久美子氏。

しかし、これまで栗林中将の最期についてはよくわからなかった。
当然ながら、硫黄島からの生還者が少なすぎることにより、
最期の突撃に加わった者がいないことにもよる。

けれども、栗林中将の最期については、陣頭指揮による戦死ではなく、
米軍に投降しようとして、それに反対した部下に斬殺されたという説が・・・。
この説については、硫黄島守備隊の参謀だった堀江氏の証言らしい。

何でまたこんな説が?と思うのだが・・・。

まず梯氏がたどり着いたのが、『SAPIO』という雑誌の10月25日号に掲載された

栗林中将の『死の真相』異聞

とのタイトルの記事。

ここにあるのが、前述の参謀堀江氏の証言。
しかし、これ以後に続く堀江氏の証言と言うのは、伝聞であるのがほとんど。
その伝聞の出所である栗林中将の副官であった小元少佐は、これを否定している。
大体、小元少佐は、米軍上陸前に大本営出張のため東京へ行ったため、
硫黄島へ戻ることができなかったので、彼自身が栗林中将が斬殺されたなんて見ていないわけだし。
小元氏も、司令部の通信係の軍曹が残した書簡を元に発言しているに過ぎない。
またこの軍曹も実は栗林中将の直率して出撃するのは見たけれど、その最期までは・・・・。
しかし、この軍曹の残した書簡には、気落ちしたとかノイローゼ気味だったとかいうことは、
表されていない。

ここで、栗林中将斬殺説は否定されたいえるのだが、
何故か斬殺説は一人歩きするように現在まで語り続けられることに。

それは、再び堀江氏が陸自学校で講演したことによる。

栗林中将が迷い込んだ米兵の案内で参謀長・参謀3名で米軍司令部へ赴いた時、
参謀が栗林中将を切倒し、参謀長と刺し違えるという内容。

この話の出所は米軍参謀本部からの通信
今回の説では、斬殺された場所も司令部壕から米軍司令部に変わっている。
でもこういったことを許すような隙が米軍側にあったとも考えられない。
また陸自学校の関係者が、出所の米軍文書も見せて欲しいと求めると
堀江氏は断っている。

そこで梯氏は次の2点をどうだったか、確認している。

1.米軍の通信から・・・米軍戦史との整合性はあるのか?

2.参謀からの緊急電話・・・電話が使えたのか?


1.には米軍戦史に栗林中将投降の記述はない。
2.堀江氏がいた小笠原父島と硫黄島は無線電信しかなかった。

それに、米軍上陸から約2週間たった3月7日に発している戦訓電報の内容から、
栗林中将がノイローゼ気味で指揮統率ができなかったと言うのは考えられない。
ましてや直接の上司でもない蓮沼侍従武官長宛というのも栗林中将の発案であったに違いない。

続きはまた加筆します。

吉崎御坊

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小雨の丸岡藩砲台跡の駐車場に停めた車中で、
どこか史跡はないかと探してみたら、
10kmくらい先の福井・石川県境にある

吉崎御坊


を見つけだしました。

少し来た道を戻ることになるけど、時間にして20分くらいで行けそうなので、
行ってみることに。

田んぼの真ん中を通る農道?、北潟湖沿いの県道?を通り抜け、
たどり着いたのが、写真の吉崎寺こと吉崎御坊?

え〜?これが吉崎御坊?


あまりの俗世的な、風情もへったくれもない本堂・宝物館。
隣にある蓮如上人記念館の方が、まだ御坊のそれらしい。

本堂・宝物館前には、弟子?に背負われた蓮如上人の銅像が門番のように立っていて・・・。

それにしても、なにやら怪しい宝物館。

この怪しさに引かれて、ついつい入ってしまいました。

展示室は、せいぜい二十畳あるかどうかの小さなもの。でも入館料は、

500円!!(怒)


高い!!高すぎ!

あの大和ミュージアムで500円、広島の平和資料館に至っては50円なのに・・・。

展示品を見たら、僕にはよくわからない掛け軸とか古文書とか。
保存状態もいいとは決して思えないし・・・。

ここの展示品の顔ともう言うべき嫁おどし肉付面は、
床面の一部を踏むと現れるというお化け屋敷的な展示?

そんなもんだから、10分くらいで終了。

いろんな博物館とか資料館なんか見に行ったことあるけど、
ここほどのところは無かったですねぇ〜♪

本堂にも上がってみようかと思ったけど、
この有様とありがたみの無さそうな怪しい本堂に、失望して断念。

時間も14時になろうとしていたので、今回のメインともいえる東尋坊へ向かったのでした。

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