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10月19日(月)、日曜出勤の代休ということで、もろもろ梅田まで出る用事があったので、そのついで?に久しぶりの遠征散歩しました。
場所は大阪市内を南北にまたぐようにある上町台地を中心として散歩してきました。
まずは近鉄の大阪上本町駅を起点に上町筋を北上。
その昔、父が勤務していた会社の事務所があった上六新興産ビルまで歩きます。
街並みはずいぶん変わったように思いますが、このビルは昔のまま。
このビル前を右に折れ、上町台地の核心へ向かいます。
歩いていくと、全く知らなかったのですが、アチコチにお寺や神社、怪しげな宗教法人の会館など宗教関係の施設が目立ちます。
それとその次に多いのが、
学校です。小中高といろいろあります。上の写真は府立高津高校の正門です。
こちらは大阪明星学園高校の校舎。
そして大阪市立真田山小学校です。
やっとと言うほどではないですが、たどり着いたのが、
何の変哲もないグランドが広がる公園。それが真田山公園。
ここにその昔、真田丸と呼ばれた大坂城の出丸があったとは思えないほど、真っ平らな場所です。
東側は若干段差がありますが、これが当時の遺構の一部かと言われると???です。
明治以降は騎兵連隊の駐屯地だったようで、そのためか真っ平らに整地されていたのかもしれません。
初訪問でしたので、かなりガッカリ
しかたないので、その北側にある宰相山公園へ〜♬
ここがそう呼ばれるようになったのは、大坂の陣の時、越前宰相と言われた松平忠直が陣を敷いたという伝承から、または我が先祖三代目?の加賀宰相が陣を敷いたことによるとも言われています。
宰相山と言うように少し小高い丘の上に公園があります。
と言ってもその公園。かなり貧相なモノで歴史的なものは見当たりません。
またここでガッカリして、今度は進路を西へ歩いていくと・・・・
そこには秦の始皇帝の兵馬俑のように、墓石が整然と並んでいます。
墓石を見ると、そのほとんどは明治中期から後期に建立されたものが多く、刻まれた階級も兵や下士官と思われるものばかり。
どうも日清・日露戦争で戦死した下士官兵のお墓の様でした。
墓地の中を歩いていくと・・・・
真田山陸軍墓地維持会の看板の掲げられたレトロな建物。
そう、ここは陸軍墓地だったのです・・・
まだ昼間の明るい時間だったから、どうということもなかったですが、これが夜中だったら・・・多分、この場の雰囲気に耐えれなかったかも?
とにかくあんまり気持ち良いとはいえないので、抜け道に通じるような隙間を見つけてそそくさと退散。
この後は、また戦国時代の話に戻るのですが、それは次回に・・・
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歴史一般
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時代を問わず、歴史一般について語ります。
最近は歴史からもめっきり遠ざかってしまっています。
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6月28日(日)、今日も天気は芳しくはないですが、久しぶりに京都へ行ってきました。
二つの目的がありまして、その一つ目が、
京都文化博物館で開催されている『徳川家康没後400年記念 大関ヶ原展』です。
1616年4月に駿府で没してから、今年がちょうど400年目にあたります。
江戸東京博物館で開催されていたのを知って是非行ってみたいと思っていたのですが、今回満を持して京都開催ということで行ってきた次第です。
会場は4F・3Fということで早速そちらへ〜♪
ここからスタートですが、館内は撮影禁止のため写真はありません。
関ヶ原合戦の直前、京都では伏見城(京都市伏見区)と田辺城(舞鶴市)で後の歴史を左右する重要な戦いがおこなわれました。伏見城攻防戦は関ヶ原合戦の戦端が開かれた戦いで、徳川家康の家臣・鳥居元忠が、わずかの兵で西軍4万の軍勢を相手に10日以上戦い抜いたのです。また田辺城(舞鶴市)では、歌道の古今伝授を受けた風雅の将・細川幽斎がたった500の兵で西軍と対峙しました。最後は時の後陽成天皇が勅許でもって和議をなすという劇的な幕切れで、田辺城は開城したのです。そのほか、京都近郊の大津城(滋賀県大津市)では、城主の京極高次が石田三成の城明け渡しの勧告を拒否して籠城し、毛利元康や立花宗茂ら勇将を相手に13日間戦い抜き、彼らの関ヶ原着陣を妨げました。大関ヶ原展京都展では、関ヶ原での戦いのほか、伏見城や田辺城、大津城での攻防戦の様子を伝える資料も公開致します。
京都文化博物館HPより
今回の京都展では、東京展ではなかった関ヶ原の前哨戦ともいえる戦いにも着目しての紹介もありました。
それにしても、過度な期待をしていなかったので、あっさりと観覧できるかと思っていたら大間違いで、激混みで、とにかく見るのがやっと。それにもまして、貴重な資料・展示品が多すぎで、しっかりと見ることなどできるはずもありませんでした。
それでもできるだけ貴重な資料、特に古文書は解説を見ながら、ボイスガイドを聴きながら確認していきました。
特に古文書は何が書いてあるのやらさっぱりわからず・・・・
でも解説を読むと、お互い権謀術策を尽くした両陣営の状況が垣間見られました。
そんな中でもメカラウロコだったのは、
これ、石田三成の肖像画です。
意外や意外、明治時代に関ヶ原合戦300年を記念して行われた法要の際に描かれたものだそうです。
それと展示の最後に鎮座していたのが、
知恩院蔵の等身大の徳川家康の座像です。
座像なのでハッキリとはわかりませんが、かなり身長160㎝くらいでしょうか、現代人的感覚からみれば、かなり小柄な人です。
入館から約2時間くらい、じっくり見たような気もしたのですが、後から思うとあまりの混雑ぶりに見れてなかったかなと。
会場を出てグッツコーナーでいつもの如くクリアケース2枚を購入。
その時、レジの横に鎮座していたのが、
ひな人形のお内裏様程度の大きさの徳川家康公座像が販売されていました。
そしてその価格はおよそ14万円。一体だれが買うのかと。
それ以上に驚いたのは、これの斜め向かいにあった関ヶ原の時家康が着用していたという甲冑のレプリカ、これ155万円
これこそ一体だれが買うねんというシロモノ。
もちろん家康の体格に合わせているので、よっぽど小柄な人でないと着用することすらできません。
床の間に飾る逸品にしてちょっと値段が・・と思わざるを得ない品でしたねぇ〜♪
この後、近くの新風館という商業施設内で昼食を摂り、そして向かったのは、今回たまたま見つけた施設?
3月までニュース9で活躍したあの方を見る事ができるのかと思いつつ向かったのですが・・・
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勝海舟に、坂本龍馬!
明治天皇まで、ご一緒に!
さてさて、皆様
どの方が「どなた?」なのか?
お分かりになりますか?
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先日サイクリングで訪問した平城宮跡資料館で展示されていたものを紹介します。
平城京が長岡京へ遷都したころから現代に至るまでの変遷が模型で紹介されていました。
784年ごろの平城京の官衙の一角です。
遷都により、これまで平城京で利用されていた建築物が長岡京へ移築されるため、解体されているシーンです。見方によっては建築中にも見えますが、解体中の様子です。
1970年ごろの様子。本格的な発掘調査が始まった頃です。
この頃、僕も生まれました。
発掘が終わり、実測している様子です。
発掘・実測が終わり、当時の様子を一部復元した現在の様子です。
復元に際しては、発掘した箇所を土で盛り上げ、その上に土塀や建物を復元しているようです。
なので、現在復元されている大極殿や朱雀門も当時よりは、少しはかさ高い位置にあるようです。
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