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気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
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書庫歴史一般

時代を問わず、歴史一般について語ります。

最近は歴史からもめっきり遠ざかってしまっています。
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ハニワこうてい

困った顔

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朝日新聞から
 


ゆるキャラ群雄割拠の時代に、一風変わった「こわキャラ」が誕生した。
大阪府八尾市立しおんじやま古墳学習館の「ハニワこうてい(皇帝)」だ。
 
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 社会学習で来た児童らに古墳について解説するが、「ちゃんと覚えて帰れ」と完全に上から目線。子どもたちにまとわりつかれると「うるさい!」と怒声も。
 しかし、説明自体はプロ級と好評。古墳が放置されたことを恨み、ハニワ帝国をつくって世界征服の野望を持つとの設定だが、やってることは結構地道?


 
今朝の「す・またん」でも紹介されていた八尾市のこわキャラ?の『ハニワこうてい(皇帝)』です。
 
これまで全国各地で登場したゆるキャラといわれるモノとは、一線を画し、
彦根の『ひこにゃん』とも、奈良の”奴”とも違う、新しいタイプのキャラです。
 
それにしても、このキャラに世界征服ができるのか
 
それは、かなり怪しそうですなぁ〜
 
 
いつもの如く、産経ニュースからです。
 


福井県越前町教委は1日、同町織田の法楽寺で、織田信長の祖先とされる親真(ちかざね)を供養した五輪塔(墓)の一部が見つかったと発表した。織田信長のルーツを平氏とする説の根拠となっている系図から考えられる親真の生年と、今回見つかった墓に記された没年を照らし合わせると、親真が100歳を超えて生きたことになる“矛盾”が判明。同町教委は「信長平氏説の否定につながる発見」としており、注目を集めそうだ。

 見つかったのは五輪塔の「地輪」の一部。側面には「喪親真阿聖霊(あしょうりょう)正應三年庚刀(かのえとら)二月十九日未尅(ひつじのこく)」とあり、親真が正応3(1290)年2月19日に死去したと記されていた。

 親真は織田信長から十数代さかのぼる織田氏の祖とされる人物。江戸時代に書かれた小瀬甫庵の「信長記」などによると、親真は平清盛の孫、資盛(すけもり)の子として生まれ、元暦2(1185)年の壇ノ浦の戦いで資盛が死亡した後、織田氏が神職を務めた劔(つるぎ)神社(越前町)の養子になったとされている。

 同町教委の堀大介学芸員は「親真が壇ノ浦の戦いの頃に生まれたとすると105歳近くで死亡したことになり、信長平氏説は理論上ありえない」と話している


 
元々信長につながる織田氏は、そのルーツは以前から忌部氏ではないかと言われていたので、
これが驚くに値するのかどうか
今回の発見は、その出自が、これまで以上に明確になったと言えるのでしょうな〜
 
 
 
 

蘭奢待

いよいよ明日10月29日から、奈良の秋恒例の 『正倉院展』 が開催されます。
 
今年の目玉は、多分、14年ぶりに公開されると言う香木の 『蘭奢待』 でしょう。
 
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室町時代以降、足利義満・織田信長・明治天皇といった時の権力者に所望されたがため、
あちこちが切り取られ珍重された程の逸品です。
 
奈良国立博物館では、場所柄からか、中世以降の歴史的人物に関係する展示物は殆どなく、
彼らがどうして、そこまで欲しがったのか、実物を見て感じてみたいなと。
 
とりあえず、あまり並ばないで館内に入れたらいいなと・・・・
もう行列は勘弁して欲しいです。

関東戦国史と御館の乱

先日、いつもの喜久屋書店で買った新書です。
 
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関東戦国史と御館の乱(洋泉社)
 
一般的に上杉謙信没後の上杉家の内紛としか位置づけされていなかった『御館の乱』は、
実は、東日本、関東甲信越地域で活躍する大名たちの興亡を大きく決定づけ、
その後の天下統一の過程にも大きく影響を及ぼした出来事であったということを、
この乱の当事者である上杉景虎を軸に解明していく内容です。
 
戦国三傑である信長・秀吉・家康を中心として見る戦国〜安土桃山〜江戸という
時代の流れからみると内容的にはマイナーなのですが、関東甲信越戦国史の興亡を
意外な視点からみることができると思います。
 
それとこの本の特徴は、著者が一般的な学者さんとかでなく、
他に本業をもつ在野の研究家という点です。
 
コツコツとすれば、僕でもできるかなと錯覚してしまいました(笑)
 
新書なので、値段も安く、また読み応えもあるので、是非お薦めできる一冊だと
 

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大河ドラマが終わってから、そのままにしていたテレビのチャンネル。
 
NHKスペシャル ”邪馬台国”を掘る
 


一昨年、奈良県の纒向(まきむく)遺跡で邪馬台国の女王・卑弥呼の王宮きょいわれる巨大な建物群が発掘された。纒向は、東西2キロ/南北1.5キロの巨大遺跡。弥生時代末期の3世紀、突如建設された日本列島の中心都市だったことが明らかになり、邪馬台国の最有力候補地とされている。

去年夏、古代史最大の論争に決着をつけるべく建物群の周辺で更なる発掘が行われた。特に期待されたのが王宮跡のすぐわきで見つかった長さ4メートルの穴。王宮内で使用された貴重品を納めた“聖なる井戸”と推定されており、邪馬台国の決定的証拠になる中国の魏王から卑弥呼への贈り物を封じた印(封泥)や、魏との外交木簡が探された。
発掘現場からはここにあった国が諸国の連合国家であったことを示す土器、人為的に破壊された銅鐸、そして2000個を超える多数の桃の種などが出土した。これらは何を意味する物なのか。「倭国大乱」と呼ばれる内戦に直面した王たちが、新たな大王を「共立」したという王権誕生の謎、そして弥生時代の古い宗教を捨て、新たな国家統合のシンボルとなる宗教を創始したことが判明してきた。
果たしてここを卑弥呼の邪馬台国とする決定的な証拠は発掘されるのか?番組では、纒向遺跡の発掘に密着し謎のベールに包まれた実像に迫る。


一昨年の秋、桜井線の巻向駅前?で行われていた纒向遺跡の発掘の様子を紹介した番組。
 
番組のタイトルどおり、今回の発掘から邪馬台国の実像に迫ると言うものだけど、
やはり今回の発掘だけでも決め手には欠け、何かもやもや感だけが残っただけ。
 
無論、邪馬台国論争に決着のつくような世紀の大発見があれば、
大騒ぎになっていたでしょうがね・・・・
 
水曜スペシャルの川口浩探検隊を見たときのような、そんな後味。
 
こんなこといつまで続くんでしょうかね?
 
ただふと映し出された飛行機のからの撮影では、
ちょっとだけ我が師?の御自宅が・・・・
実はそれだけが気になったのでした・・・・
  

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