|
今年もこの季節がやって来ました。
大学入試センター試験
現役の時は、これの前身の共通一次試験は受験したことはなかったのですが、
過去問とかよく解いていました。
それでも何となく20年前ぐらいの事が懐かしく思い出されます。
その昔は『日本史の鬼』
日本史は得意としていたのですが、さて今は・・・・
ネットに掲載された問題を早速解いてみました。
で、結果は・・・・
第1問・・・・12/12
第2問・・・・18/15
第3問・・・・18/18
第4問・・・・17/17
第5問・・・・12/6
第6問・・・・23/23
合計・・・・・100/91
(配点/得点)
設問分析です
第1問
河合塾さんより
解いてみるに、共通一次試験よりの流れを引き継いだオーソドックスな問題ですが、
設問分析にもあるように幕末から現在に至る近現代史の問題は、難易度は高いように感じました。
ただし全部は知っていなくても、解ける問題が多いのに助けられた感はありますが・・・・
2月になれば、関関同立・産近甲龍・早慶などの有名大学の問題もネットに掲載されるでしょうから、
また試しに解いてみたいと。
ただし日本史だけのことですが・・・・(笑)
|
歴史一般
-
詳細
時代を問わず、歴史一般について語ります。
最近は歴史からもめっきり遠ざかってしまっています。
コメント(2)
|
最近、日曜日以外は休みがなく、全く貴重な日曜日なのですが、
秋になると、なにやらかんやらと色々とイベントなどが多く、
本来はゆっくりしないといけないのですが、ついつい外出しています。
24日(日)は、久しぶりに安土城考古博物館へ行ってきました。
今年の秋季特別展は『室町最後の将軍』ということで、足利義昭にスポットをあて、
信長との関わりを紹介するというものです。
それとこの日は特別展に関連して、東洋大の久野先生による『足利義昭政権と織田信長』と
題しての講座があり、それが気になって行ってみることに
2時間くらいかけて12時過ぎに到着。
まず特別展のほうを見ます。
まずは、足利義晴・義輝・義昭の足利将軍の肖像画や細川幽斎の肖像画、
足利義昭が全国の諸大名に発した御内書、その他諸大名がの書状などが多数が
展示されていました。
しかし、講座の開始は13:30、あまりじっくり見ていたら間に合いません。
おしいかなと思いながらも、ずいぶん飛ばしました。
時間が来たので、2Fの会場へ。
しかし、その前にトイレ
トイレをでて会場に向かったら、館員さんから
『既に満席です』
はぁ〜
放心状態
何のために来たのやら・・・・
仕方なく1Fへ降りてみたら、ロビーにテレビ
会場の様子を映すので、入れなかった方はこちらへと・・・・
早速講座は始まりますが、ブラウン管でアナログの中古テレビですから、
何を話しているのやら
手元に資料もないので、なおさら分かりません。
と思っていたら、館員さんが資料を配ってくれました。
はじめに
織田信長のイメージ
足利義昭とはどのような人物か??
これまでの『定説』として足利義昭政権はどのように評価されているのか?
近年の室町幕府をめぐる研究状況と義昭政権の問題点
上記の4点を改めて見つめなおし、定説となっている足利義昭政権=織田信長による傀儡政権なのか?
最近の研究成果を踏まえたうえで、明らかにするというが、それは・・・
足利義昭政権≠織田信長による傀儡政権
これを実証していくのが、今回の趣旨のようです。
まずは
1.足利義昭の上洛と織田信長
これまでは足利義昭は、織田信長に擁立されて上洛したという見方から、その主体は信長であり、
義昭はそれに付随したものだという発想だったため、「傀儡政権」という見方が定着した?
そこで何点かの資料から
『斑鳩旧記類集』より
「御公方様御入洛に付、織田上総守御供して入洛」
・・・義昭の上洛に信長がお供した?
『原本信長記』より
「既に畿内之逆徒等、数ヵ所城郭を構え、相支えるいえども、風に草木が靡くが如く、
十余日のうちに悉退散」
・・・畿内の制圧も将軍の威光によるもの?
畿内諸国への守護の配置する仕置きを行っていること
すなわち、義昭上洛による将軍の威光により、平和が実現したと当時の人々は、
そんな感じで考えていたようで、そこには上洛の主体は義昭であり、
畿内制圧も義昭のおかげ?であるとの認識だった?
今の人が、結果からいろんな事を導くような歴史的目線と、
当時の人が目の前で見聞きする日常的な目線からの
見え方は、ずいぶん異なっていたようです。
時代が変われば、同じことでも違う評価をされるのでしょう。
2.室町幕府の再興 〜足利義昭政権の構造〜
足利義昭は、将軍宣下を受けた後、幕府機構を整備
「室町幕府殿中掟」によると、おおよそ150名が幕臣として確認。
それは、後の江戸幕府のそれと比べると余りにも少ない感じが・・・・
幕臣メンバーは?と言うと
和田惟政・細川藤孝(幽斎)・三淵藤英・明智光秀など・・・義昭の上洛に供奉
池田勝正・伊丹忠親・畠山高政・三好義継・松永弾正久秀・・・畿内掃討戦後に信長に服属、守護に補任
もともとの幕臣・・・約80名
約半数の幕臣は、歴代将軍に使えていた人たちではあるけど、それが幕府に実務面の継続性は
あるという認識はどうかと?
応仁の乱以来、数々の動乱に巻き込まれ歴代将軍が京都近辺を流浪せざるを得なかったような
幕府が本当の意味で政権としての実務面の継続性を維持していたとは、僕として思えないんですが・・・
また政権として、守護補任・御料所の回復・商工業者への特権付与・諸役免除などを行い、
旧来の幕府と同じように機能し、幕府も再興されていたと言うけれども、それも何となく違和感が・・・
そうしたことが実行できるのは、そもそも信長の持つ軍事力と経済力に裏打ちされたものではないのか?
それと当時の『天下』というものの発想が、一般的には洛中(京都)、もしくは京都の周辺(畿内)だけを
しめすものであったことから、もし幕府として機能を復興させていたにしても、それは僕らの考えている
概念からは、相当遠い感じがします。
何か違うと感じながらも講座は、さらに進んでいきます。
3.足利義昭政権と織田信長との関係
足利義昭は、上洛に際して軍を組織した信長に対して、
管領・副将軍への推挙
足利家家紋の授与
「御父」と敬称で呼ぶ
しかし信長は、管領・副将軍就任は辞退し、堺・大津・草津といった交易の拠点への代官設置を要求。
信長が、室町幕府の役職に就任しなかったこと=幕府とは距離を置いて、独自の政権を確立。
これこそ二重政権の出現?
従来の見解では、足利義昭と織田信長の関係は「傀儡」または「対立」と考えられてきたけど、
果たして、それで正しいのか?
「賀茂別雷神社文書」と「広隆寺文書」を例に見ていくと、
まず「賀茂別雷神社文書」では、 織田政権は室町幕府の決定事項に従っている?
「広隆寺文書」では広隆寺の知行を安堵するといった決定を、相互に遵守している?
ある意味、相互補完した関係であったとの事ですが、これらを実行に移すには、
信長政権による軍事力・経済力の後ろ楯が必要ではなかったのか?と。
足利義昭政権が、何か政策を実行するにしても幕府そのものが独自の軍事力と
財源を持たないものだから、それらを実行しようとすれば信長の力がいる?
権威はあるけど権力はない足利義昭と、権力はあるけど権威はない織田信長との間で、
時が経ては思い通りいかないことも多々発生し、それが対立へと変わっていく・・・・
特に足利義昭が武田信玄・朝倉義景といった有力大名、延暦寺や石山本願寺といった
権門寺社への御内書を発給して、信長を包囲したこと。
恩賞の不公平、裁判の不履行、金銀をもっぱら貯え還元しないこと。
そういったことが、幕臣・諸寺社・町民・百姓らの反感をかい、
「諸事に付いて御欲かましき儀、理非も外聞にも立ちいらざる由その聞こえ候、
然間不思議の土民百姓に至る迄も悪御所と申しなす由候」
これに対して信長は、「17カ条の異見書」をもって、義昭政権の失政を糾弾したのだけど、
義昭はこれに反抗、結果として京都から追放されてしまうわけで・・・・
これを「信長公記」では、
「誠に日比は輿車にて美々しき御粧と御成り、歴々の御上臈達歩立赤足(かちはだし)にて
取物も取り敢えず御退座、一とせ御入洛の砌は信長公供奉なされ、誠に草木も靡くばかりの
御威勢にて、甍を並べ前後を囲み、御果報いみじき公方様哉と諸人敬い候き、この度は
引き替えは御鎧の袖をぬらされて、貧報公方と上下指をさし嘲弄をなし、御自滅と申しながら
哀れなる有様目もあてられず」
教科書的には、ここで室町幕府は滅亡ということなのだけど、
義昭自体は征夷大将軍を辞任せず紀州へ落ち、さらに備後へ移り、
織田信長包囲網の形成に努めるのだけど、それは歴史がしめすとおりなわけで・・・
しかし、ここで考えるに先生は、足利義昭政権は幕府を再興し独自の政策を行っているとの見解だけど、
よく見ると、そういった政策実行はあくまでも信長の軍事力・経済力の後ろ楯があってできることで、
「傀儡」ではないにしても、政権そのものに大きな力はなかったと解釈するのが妥当なところではないかと。
後年、江戸初期の家康による大御所政治と似ているところがあるようにも思えます。
(例) 大御所(駿府 家康)・・・政策立案/大樹(江戸 秀忠)・・・政策の実行
ただ足利義昭の場合、力もないのに何もかも行おうとしたところに失敗があったのではないかと
思えるのです。
そうみると権威と権力がうまく調和して、その力が十分に発揮するというのはまれなことだなと、
今更ながら実感するのです。
現在、権威も権力もどちらもが形骸化して国際社会の荒波に翻弄されている日本に、
明日はあるのだろうかといつも思うのです。
ただただタメ息しかでない日々が、当面は続きそうだなと思いながら、講座を見終わって思ったのでした。
|
|
いつものごとく、たまたま見たYahoo
NHKは5日、2011年大河ドラマ『江〜姫たちの戦国』の男性キャスト16人を新たに発表した。上野樹里演じる主人公・江(ごう)の父・浅井長政を時任三郎、江のおじ・織田信長を豊川悦司、豊臣秀吉を岸谷五朗、徳川家康を北大路欣也が演じるほか、現在放送中の朝ドラ『ゲゲゲの女房』でヒロインの夫・水木しげる役を演じる向井理が、江の最後の嫁ぎ先となる徳川秀忠役で起用された。新キャスト発表会見に出席した向井は「隣のスタジオから来たばかりです。大河ドラマというドラマ史に残る作品に出られて光栄。時代劇も初ですので、たくさんのことを吸収していい作品の一部になれば」と抱負を述べた。
同作は信長の妹・お市の方の三女として生まれ、3度目の結婚で徳川二代将軍・秀忠の正室となり、三代将軍・家光を生み大奥を築いた江の生涯を描く。江役の上野をはじめ、名高い浅井三姉妹の長女・茶々(淀)役に宮沢りえ、次女・初に水川あさみを配役。市役で鈴木保奈美が1999年の大河ドラマ『元禄繚乱』以来、約12年ぶりに活動再開させることも話題を呼んでいる。 向井のお相手はゲゲゲの女房・松下奈緒から江・上野樹里へ。泰平の世を築いていく秀忠と江の“愛の軌跡”も見どころだ。向井は「朝ドラの撮影があとちょっとで終わりますが、大河で引き続きスタジオに入るということで社員のようになってて。食堂も飽きてきたので、メニューを変えて欲しい」ととぼけ、上野は「男性がこんだけの人数いるとパワーを凄く感じる。これから江がどう関わるのかが楽しみ。北大路さん、岸谷さん。向井くんは共演してますが、その他の方は初めてなので楽しみ」と期待を込めた。 今回発表された新キャストでは、長政に討ち取られた信長の家臣・森可成の三男で、信長の寵愛を受けた第一の近習・森蘭丸に若手俳優集団D-BOYSの瀬戸康史、蘭丸の弟で信長の小姓を務める森坊丸・力丸に染谷将太と阪本奨悟、豊臣政権の五奉行・石田三成に萩原聖人、秀吉の養子・豊臣秀次に北村有起哉、秀吉の弟・豊臣秀長に袴田吉彦、秀吉の軍師・黒田官兵衛に柴俊夫、初が嫁ぐ京極高次に斎藤工、茶人・千利休に石坂浩二、長政亡き後に市が嫁ぐ柴田勝家に大地康雄、本能寺の変を起こした明智光秀に市村正親が起用された。 女性主人公は『篤姫』(主演・宮崎あおい)以来3年ぶり、脚本も同作に続き田渕久美子が担当する。「天下分け目の戦いは、女たちの心の中にこそあった」と、戦国時代の数奇な運命に翻弄される女性らを豪華キャストで再現し、“女たちの心のスペクトラルドラマ”を展開する 来年の大河ドラマですが、女性陣も豪華な女優さんたちが揃いますが、
男性陣は重厚感のある俳優さんたちが揃いましたね。
特に戦国三大英傑の信長・秀吉・家康は、トヨエツこと豊川悦司さんや岸谷五朗さん、
そしてソフトバンクの白戸家のお父さんでお馴染みの北大路欣也さんと見ごたえはあるかも?
特にトヨエツでの『本能寺の変』は、どうなるのか?
それはそうと、お江とともに主役級扱いとなる徳川秀忠にゲゲゲの向井君ですか・・・
勝気なお江と偉大な父・家康との間で苦悩する秀忠を、どう演じるのか?
こちらもじっくりと見ていきたいものです。
やはり大河は戦国モノでないと!と思う僕にとっては、非常に楽しみです。
また所縁の地である湖北や越前は、また脚光を浴びるでしょうね。
|
|
今日もたまたま見た産経新聞ニュースからです。
先日、当ブログ 『ブラタモリの旅 江戸城本丸跡 その1』 で紹介した「江戸城再建を目指す会」が
広島大学の三浦教授にCG復元を依頼したものが、17日に江戸東京博物館で開催されたシンポジウムで
公開されたようです。
CGで復元された江戸城天守閣は、相当見事なもののようです。
しかし、天守閣
『御所を見下ろす高さになるなら、両陛下のプライバシー上問題』
大体、皇室にプライバシーが認められるのか?
それに城外のビルからは、既に皇居内など丸見えなのに・・・・
皇室用財産と言われているけど、まず皇室の財産は日本国民の財産でもあるはず。
ここは宮内庁の意見に左右されず、近い将来江戸城天守閣
|



