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気ままな奈良県民の極楽トンボ的な日々
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書庫西国の城郭

中国・四国・九州の城郭です。訪問の機会が少ないのであまり更新はありません。
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広島城天守閣

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二の丸・護国神社・大本営跡と歩き回って、ようやくたどり着いたのが広島城天守閣です。

この天守閣、もともとは東側と南側に小天守を備える連結式五層望楼型天守であったのですが、
明治維新後、小天守も取り壊されてしまい、天守閣だけが残るということになってしまったようです。
その天守閣も、1945年8月6日の原爆投下により倒壊してしまい、今建っている天守閣は1958年に復元されたもので、内部は広島城関係の資料館となっています。

中に入ってみると、広島城築城以前からの太田川デルタを中心とする歴史、毛利・福島・浅野の歴代城主の治世に関する資料、武具・刀剣・甲冑の展示、そして訪問した8月14日には『顔に歴史あり』の企画展が開催されてました。

そんな展示を見ながら、ついに天守閣最上階へ!
展望台も兼ねているので、東西南北とも窓・扉をあけ望楼へ出れるようにしてあるので、
風通しもよく、エアコンの無い展示室の暑さから逃れることができました。
この日も暑い日だったのですが、ここでは何か清々しい一時でした。
ちょっと喉も渇いたので、自販機でジュースを買い、飲みながら遠くを眺めると、
広島も結構都会だなあと。
高3の時、広島にいた親戚を頼って広島大学で開催された某大学の地方試験を受験に来た時、
路面電車からみた街並みの印象とはかなり違い、アチコチに林立するビルの多さに驚きました。
僕の元々の印象としては、広島って平べったくて、どこにでもあるような地方都市なのかと思っていたので。
広島城天守閣から眺める広島市街は、やはり中国地方第一の、中国地方の中心であると再認識したのでした。

そうこうウダウダしているうちに、ケータイの時計をみると11:00
広島を13:00には離れるつもりにしていたので、あわてて天守閣を降り、クルマの停めてある護国神社へ!
いよいよ、行くか行くまいか随分迷ったけど、ここまで来て見ないで帰るわけには行かないと思い、
あの場所を目指して、クルマを走らせ始めたのでした。

広島城二の丸郭内

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太鼓櫓・多聞櫓から出て、二の丸内を少しばかり探索。

といっても他の城郭の二の丸のように、藩政をつかさどる藩庁の機能は、広島城の場合はなく、その郭内の狭さからも純粋に馬出として機能しかなかったようです。
櫓・城門以外には城番の番小屋くらいしかなかったようです。

さらに本丸へ向かう道沿いには、原爆で被爆したユーカリの木が、今もなお元気に茂っていました。

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二の丸内に入り、復元された太鼓櫓等の内部が見学できることが分かったので、早速入ってみることに!

木造での復元のため土足厳禁で、下駄箱で靴を脱ぎ、内部へ足を進めてみる事にしました。

まず最初に、平櫓から表御門へ!
木造で復元されただけあって、築城当時の雰囲気までも漂っているような、そんな感じです。
見た目、あまり防衛は重視していないのかと思ったら、鉄砲狭間とかあって、やはりその辺のところは、実戦にも配慮した造りでした。

それから、入口まで戻り、反対側の太鼓櫓へ向かう多聞櫓内部を歩いてみました。
そこには、広島築城以来の歴史に関する資料が両脇に展示されていました。特にその中でも、広島とは関係ないわけでもないのですが、『忠臣蔵』の経緯が多かったです。
広島藩主で浅野氏の分家が赤穂浅野氏であったことによるのでしょうが、そこまですることないだろうと・・・。

そして多聞櫓内を長々と歩き、太鼓櫓内へ。
2Fはロープがかけてあって登れないようになっていましたが、1Fには太鼓櫓らしく、太鼓があり、わざわざバチもおいてあったので、それで一回”ドン!”とたたいてみました。
いい響きでした。

そんなに広いわけではないので、それくらいでそこを後にし、本丸へ向かったのでした。

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広島城二の丸

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さてさて、歩兵第11連隊営門跡からさらに内堀沿いに歩いていくと、やっと発見!
最近(といってもどれくらい最近のことか知らないけど)、二の丸跡に復元された太鼓櫓とそれに連なる多聞櫓・平櫓です。

この櫓の特徴は、どちらかと言えば古風な造りで、姫路城のような白壁が目立つものではなくて、壁を板張りにしているところでしょうか?それと太鼓櫓にあるベランダ?みたいなのがあることです。
普通こういったものは天守閣にしか存在しないのですが、広島城の太鼓櫓には、それが何故か存在するようです。
二の丸にあり、二層なので天守代用櫓でもなさそうだし・・・。
広島城は、豊臣期の大阪城と聚楽第をモデルにしているらしく、そういったところにそのような櫓が存在したのかも?
確かに縄張りは、直線的で聚楽第を意識して築城された雰囲気はしますね。
そう考えると、築城当初の広島城は想像以上にきらびやかだったのかも知れません。

そして更に内堀沿いを歩くと、現在の広島城の正門ともいえる表御門が!
表御門自体は、それほど大きいものではなく、近所の大和郡山城の追手門のほうが立派かも?
それでも真新しいのがいい感じ。

表御門をくぐり、二の丸内に入ると、地図などで確認していたので分かっていたけど、想像以上に狭いです。
他の城なら、二の丸に政庁など置くことが多くて本丸より広いことが多いのですが、広島城は、二の丸にそういった政庁設置の機能を持たすことは考えず、単なる出丸としての機能しか与えられていなかったようです。
その広さは、これまた大和郡山城の本丸と同じくらいの敷地面積でしょうか?
広島城の本来の規模を考えるとかなり狭い二の丸でした。

門をくぐって周囲を歩いてみると、どうも太鼓櫓・多聞櫓・平櫓・表御門の内部を公開していることが分かり、いざダッシュ!!中へ入ってみることにしました・・・・。

寄り道『福山城』

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ロケセットからの帰りに福山城へ寄ってみました。
高々10万石くらいの大名の城にしては、結構大きいです。
西国大名の監視をする譜代大名の城なので、ある程度は幕府も築城にあたっては援助したのではと思います。安くあげるためか、櫓なども伏見城からの移築が多いみたいです。
(もともとの櫓は戦災で消失・現在の天守閣・櫓は殆ど戦後の復元)
わりと大きな城なのですが、市街地化かなり明治以後進んだみたいで、堀はすべて埋められています。
石垣とかは、わりときっちり組まれていて、安土城とかの初期のころの天守閣のある城とはかなり違います。
天守閣内部は博物館になっていて、福山の歴史の資料がありました。
初代藩主の水野勝成の蝋人形がありましたが、当時の人は小さくて、160cmはないようでした。
福山は、その土地柄から製塩事業に力を入れていたみたいで、製塩関係の資料もあり、ちょっと興味を引きました。
天守閣展望所に登ってみると、城の際に福山駅があって、新幹線が行き来していました。ということは、明治以後の鉄道建設で、城の外郭はかなり破壊されていると思われます。
最後に、天守閣博物館の館員のおばちゃんが愛想良く見送ってくれたのが、なんとなくよかったです。

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