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以前、某関東の私鉄グループの広報誌とホームページのトップに、高尾山から撮影した日本のシンボルとも言える富士山の傾いた写真が掲載されていた。僕はその傾いた富士山の写真にクレームを付けた。 最初、広報誌の担当部署に電話をしたが、5月の連休で電話が繋がらなかった。次にお客様センターへ丁重にクレームのメールを架電した。 数日後、クレームのメールが着信しているという内容の返信メールが返ってきた。そのメールには「取り交わした一切メールの内容は公開しないと確約して欲しい」旨、書かれていた。 連休が終わって、次に正式な回答メールが返って来た。内容は理解しかねる内容だった。僕はその内容は約束が有るので公開をする訳には行かない。 今度は会社の広報に電話をした。「富士山の写真が曲がっている件についてはカメラマンに申し伝えます。以後そのような事が無いように気を付けます」と、担当女性の素っ気ない回答が返ってきた。 これはカメラマンの単独責任にした、トカゲの尻尾切りか?と思ったが、大きな組織はそんなものかも知れない。誰も真剣にクレームには対応しようとしていない。配布している写真を差し替えるのは大変だが、ホームページの写真の差し替えくらいは簡単に出来る。 確かに、掲載した富士山が傾いていてもクレームを付ける人は少ないし、写真が傾いていても見苦しいだけで会社が傾く訳でもない。しかし、傾いた富士山を写真を撮影したカメラマン、それを編集した担当者、最終的にOKを出した最終責任者、その誰もが気が付かなかった訳では無いと思う。 会社の顔とも言える広報ぐるみで恥ずかしいと感じない、そのやる気の無さとセンスの無さが嫌になって、僕は電話を切った。受話器を置いた後には空しさだけが残った。 傾いた富士山の写真の掲載、広報担当の受け応え・・・企業の姿勢、経営理念などはこのようなささやかな部分に顕著に現れているような気がする。 今日は天気が良かったので高尾山頂からは綺麗な富士山が見えていたと予想が出来る。しかし、僕はその会社が嫌になっても、その会社の電車に乗らなくては高尾山にも何処にも出かけられない。 それ以来、僕は益々傾いて撮影された富士山の写真が嫌いになった。それと僕は優秀なクレーマーにはなれない事がよく判った。
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objection
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小生の独断と偏見のページです。
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昨年の8月5日、広島に原爆が落とされた日に、この二冊の本が発売されている。 僕は大体、ジムの帰りに本屋に立ち寄る。ノンフィクションコーナーで丁度一年前にこの二冊の本を買い求めた。 国内編には、原爆が落とされた時の国内の状況、特に大本営や軍上層部の原爆への関り、吉田茂や白洲次郎の原爆への関り、ノーベル賞物理学者・湯川秀樹や日本の物理学者の原爆開発への関りなどの事実が書かれている。 そして何故、原爆投下地に広島と長崎が選ばれたのかも。 広島に何故8時15分に原爆が投下されたのかも。 広島に居たはずの軍や市の上層部の人達の殆どが、被害を何故免れたのかも。 長崎に収監されていた連合軍の捕虜1000人に殆ど被害が及んでいない事実も。 国外編には、広島に落とされたウラン235を使った,当時のアメリカの大統領のニックネームのリトルボーイと名を付けた原爆が落とされたのか?長崎にはチャーチル首相のニックネームのファットマンと名を付けたプルトニウム型原爆が投下されたのかも。 今、オバマ大統領が核兵器廃絶を訴えているが、アメリカは昔から巨大軍需産業で成り立っている国だ。 10年に一度、世界の何処かで大きな紛争を起こさないと、その軍需産業は成り立たない。 そしてその軍需産業の代表に国の政治が動かされている。原爆の開発には多大な開発費を必要とした。 その開発費用をアメリカの金融グループ、イギリス系の金融グループがバックアップをしている。 世界で多くのウランの鉱山を所有しているのもイギリスの金融グループだ。 原爆に関係していた企業は今、エコを大義名分として世界中で原子力発電を推進している。 アメリカ系のウラン型原爆にはアメリカ大統領の、イギリス系のプルトニウム型原爆にはイギリスの首相のニックネームが付けられた。終戦直前に広島と長崎はこれら二つのタイプの原爆の実験場にされたようだ。 原爆、原子力産業は世界中の色んな国を巻き込んだ巨大な産業構造となっている。 そして、昨今のリーマン・ショックに名前が出てくる米国や英国の金融グループがこの頃から台頭、暗躍している。 アメリカの世論調査では、日本に二つの原爆が投下されたのは、終戦を早めるのに大きな貢献をしたと今なお大きく評価がされているが、これも原爆が終戦を早めたと言うアメリカの世論操作による為だ。 しかし、この本を読んでみると、広島も長崎も原爆が投下される日時は前もって日本側に予告されていた。それを握り潰して大量殺戮を演出した協力者が日本に多数いた事が良く分かる。 原爆の投下が風化しないうちに、犠牲になれた方達が犬死で終わらないように、日本人はマスコミから流される情報だけではなくて、もう少し原爆投下の真実を知るべきだと思う。 この本を読んでいて、二つの原爆は改めて日本人としてやり場の無い怒りが込み上げて来た。 欧米の走狗として、同朋を平気で原爆の実験に使った軍上層部や学者、日本人達にも。 二つの原爆の犠牲になられた方達に合掌!
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過日、テレビを見ていたら「輿論と世論」という、教育番組が放送されていた。 今は殆ど輿論という言葉、単語にはお目に掛かれない。 輿論を辞書で調べても世論と同じなので、辞書は諦めてwikipediaで調べてみた。 1946年に輿論と世論が、世論に統一されていた。どうりで見かけない筈だ。 それ以前、明治以降は輿論と世論は使い分けられていたようだ。 輿論は、理性的討議による市民の合意 英語では public opinion 世論は、情緒的な参加による大衆の共感 英語では popular sentiments と定義され訳されていた。 昨今は世論で統一されているので、世論調査などという言葉がマスコミを賑わしている。 現首相の支持率や、政党支持率等々色んな世論調査の結果がマスコミの調査で流れてくる。 政党支持率なども、民主党の前小沢党首の迂回献金事件などで、その数値は大きく変動していた。 現首相は軸が大きくぶれると報道されているが、世論もそれ以上に大きく変動している。 昔から、世論操作と言う言葉もよく聞かれる。テレビや新聞報道が大きくこの数値に影響している事は確かだ。 本も発行部数何十万部などと、宣伝されるとそれに加速されて売れるようだ。 これらから類推しても、世論は確かにwikipediaで定義されているように、情緒的な参加による大衆の共感になっている。そして、それらは確実にマスコミによって作り上げられている。 それらは、新聞を読んでいるとそれらの作為的な記事はよく分かる。 例えば、最近はCO2の排出量取引を肯定するような、何気ない記事が2回に分けて掲載されていた。 しかも、元日銀福井総裁がCO2排出量取引を肯定していた。裏を返せば世界の金融機関がその取引にかかわっている事を認めているようなものだ。 しかも其処にはマスコミの報道では、今まで一切報道されていないローマクラブの存在までちらつかせていた。 イタリアのラクイアサミットで首相が排出量取引で合意してくるのでは?と思わせるような記事だった。 春先、麻生総理がアメリカに駆けつけてIMFに世界に先駆けて1000億弗(9兆円)を拠出した時も、新聞にはIMFと世界銀行の役割についての肯定、説明記事があった。 これらを見ても知らず知らずの間に我々の意識の中には、時の権力者の都合の良い報道が刷り込まれてしまっている。そこで我々がこれらの報道の中で判断できるのは、理性的な判断の輿論ではなくて、情緒的な雰囲気による共感の世論に左右されてしまっている。 もう一度、理性のある輿論という言葉を復活させたいものだ。
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今朝、読売新聞の朝刊を読んでいて驚いた。 昨日の朝、最寄駅で酔っ払った学生が主婦の腕を掴んで線路に飛び降りたという記事が出ていた。 主婦は大怪我をされたようだが、とんだ災難に遭遇した。 見知らぬ人を道連れに、線路に飛び降りる。 この大学生に何が有ったか知らないが、泥酔していたとしても許される行為ではない。 以前、大久保駅で韓国の留学生が自分の命を犠牲にして、線路に落ちた人を救ったと言う美談が、記憶に新しいが、この大学生は何という愚かしい事件を起こしたものだ。 カミサンに「この事件を知っている?」と聞いたら、「そう云えば昨日の朝、買い物に行く時に、テレビで鑑識の人が持っているアルミケースを持ったおまわりさんが駅前を歩いていたので、何が有ったのだろう?と思っていた」と、教えてくれた。 駅で電車を待つ時には、ホームの前方では恐くて待つ事が出来なくなった。 昨今は、何処で何が起きるか分からないご時世になってきた。身近で起きた事件を知ってより一層強く感じた。 秋葉原で無差別殺傷事件が起きてから、犯行に使われた同型のタガーナイフが回収されているらしいが、この手の事件はナイフを回収しても無くならない。 多くの人が持っている、自制心をなくした心の中のナイフまでは回収できないのだから。
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昨年2月に高尾山頂の夕刻の景色を撮影した。 写真下に茶店が設置した自動販売機が写っている。 ウィークデーの気温が零下に下がったこの時間帯には、高尾山頂には僕が一人しかいなかった。 しかし、この灯りが点いた自動販売機は煌々と灯りを点して客を待っていた。 この時間帯から朝に掛けての客は、猪や鹿、ムササビ位しかいない。 このような営業効率の悪い時間帯には、自販機の電気を止めればよい。 日頃この風景は見慣れているせいか、ファインダーを覗いてみて初めて夜の自販機に気がついた。 昨年は夜行バスで何回かハイキングや登山に行った。 尾瀬にも二回行ったが、沼田から山の中の道路に入ると民家の明かりも無くなり周りは漆黒の闇になる。 その道路際で煌々と誘蛾灯のごとく、一際明るくが輝いているのが自販機である。 日本は治安が良いので国中の至る所に自販機が設置されているが、このような国は世界中何処にも無い。 深夜に無意味な電力を消費する自販機は、CO2の排出削減で云々している現在の世情に合わない。 これだけの電力消費を消費して、高価な自販機の原価が償却できるのだから、当然商品の価格の高い商品を買わされている。(ちなみに缶コーヒーの原価は10円台らしい) それと高尾山頂も売った缶コーヒーなどの空き缶を回収しないので、トイレに沢山空き缶が捨てられている。 道路際はともかく、少なくても国立公園やそれに類する公園内の自販機は撤去、又それが出来なければ営業時間の制限をすべきだと思う。
それにしても日本の自然の風景の中には、自然と調和しない人工の構造物が多すぎる。 |

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