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雨の中の玉置神社を参拝して、霧に煙る参道を歩き駐車場から車に乗った。 友人に途中で僕が撮影したい場所が有ったら停車してくれるように依頼した。 晴れていれば奇麗に見えるだろう?と思われる箇所が沢山有った。 撮影ポイントを見つけては、山肌を縫うように作られた狭い山道の途中で車を停めてもらう。 傘を差して車の外に出てカメラを構えるが、気温の低い外に出るとカメラのレンズが結露した。 レンズが外気温と同じになるまで待って、片手でカメラを構えて撮影をした。 ニ枚目の写真を撮った場所は、谷間一面が奇麗に紅葉していた。 10分ほど待ったが、谷間に架った霧は奇麗に晴れてくれなかったので近くを撮影したが、それでも靄っている。 三枚目の写真を撮影する頃には雨が降ったり止んだりになった。 この玉置山、紀伊半島南部の山は、広葉樹、照葉樹、後は植林された針葉樹の山が多い。 常緑の照葉樹、針葉樹の緑のキャンバスに紅、黄色の色が混じる。 山一面が紅葉している景色も奇麗だが、緑の中に紅葉が混じった霧の深山幽谷の景色も中々味がある。 途中から霧に覆われた十津川郷の渓谷が見えてきた。 玉置山から熊野川沿いまで下って急峻な山の斜面に作られた道路を暫く走る。 十津川温泉郷の赤く塗装された橋を渡り左折、暫くしてトンネルを抜けると左側に「昴の里」という村営の宿泊施設があった。 それに付属した小さなサウナ、露天風呂付きの温泉に入った。 雨の玉置神社で冷えきった身体は芯から暖かくなった。 温泉から出て施設のロビーに行くと、十津川村に因んだ十津川警部・西村京太郎のミステリー小説の全シリーズの文庫本が売られていた。
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南紀白浜
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この建物は本殿ではなく「大社社」と呼ばれている社 この玉置神社は熊野三山(本宮大社、速玉神社、那智大社)の奥の宮と呼ばれている古社だ。 紀伊半島の最深部、奈良県十津川村の標高1076Mの独立峰、玉置山の山頂にあり、世界遺産にも登録されている。 また所在地の十津川村も豊かな歴史、文化を持っている村なので下記URLを 十津川村:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E6%9D%91 司馬遼太郎の「街道を行く12巻・十津川街道」に十津川村のことが詳しく書かれている。 神代杉 樹齢3000年以上と言われている 僕の田舎に今でも懇意に付き合っている幼友達が居る。 今回帰省する旨を電話で伝えたら、時間を空けておくから連絡をくれと言われていた。 16日の日曜日に、この玉置神社に行きたいと伝えたら、当日朝にガイドを連れて僕に実家に車で迎えに来た。彼は熊野三山の一つ、本宮神社の宮司に用が有ったので気持ちよく連れて行ってくれた。 僕は15年位前に、僕の親父の友人の霊能者に連れられてこの玉置神社に参拝した事がある。 その霊能者は亡くなっているが、久し振りにまたこの玉置神社に参拝したかった。 参道から見えた紅葉 日本全国には豪華な神社が沢山有るが、最初に参拝した時に独立峰の山頂にある古色豊かな神社らしい玉置神社が何と無く気に入った。これが本来の神社の姿ではないかとさえ思った。 海辺に近い僕の実家から熊野古道・中辺路ルートに沿って、車で一時間半で和歌山県との県境に隣接した十津川村にある玉置神社の駐車場に着いた。僕は途中の「道の駅」で油揚げと生卵を買っていた。 生憎の驟雨だったのでカメラを首からぶら下げて、買って来た油揚げと生卵の入ったレジ袋を持って、霧で霞む参道を傘をさして歩いた。 杉林の中の参道 駐車場から参道を15分も歩くと一枚目の写真の社に着いた。参拝をしてから左側の引き戸を開けて中に入る。縁の下に三方が置かれているのでその上に油揚げを4枚供えた。軒下には狐が棲み着いているらしい。 天幕が張られた休憩所で、友人が自分の会社で作っている駅弁、その名も「熊野古道巡り」をご馳走になった。 休憩所には車を使わないで修験者用の参道を登って来た、10人のハイカーグループが雨に濡れて到着したので、僕達の使っていた席を譲る。 社殿は急勾配の斜面に建てられている。本殿を撮影しようとしたが、上向きで撮影すると雨がレンズに付いたので、雨の中での本殿の撮影は諦めた。 生卵は参道の途中の杉の巨木に開いている空洞に投げ込む予定だった。その空洞には蛇が棲みついている。その蛇へのお供えのつもりだったが、生憎その蛇の棲む巨木のある参道は通行禁止になっていた。 前回は生卵を投げ入れて、参拝帰りにその空洞を覗いてみたら生卵は消えていた。 今回の油揚げも数分後には三方の上からは跡形も無く消えていた。 この玉置神社は本当に不思議な神社だ。
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円月島の夕日を撮影してから白浜温泉に向けて歩いた。 途中に「瀬戸の浦」という小さな漁港がある。 防波堤の上では、4,5歳くらいの男の子を連れた若い父親が釣りをしていた。 「何が釣れるの?」と訪ねながらクーラーボックスの中を覗いてみた。 水を入れた青いクーラーボックスの中では、20尾くらいのやや小振りの鯵が泳いでいた。 そして、その父親の足元には、パックに入った餌の冷凍したアミが置かれていた。 「もう餌代は回収できましたね」と冗談交じりに話し掛けたら、「ええ餌代分くらいは十分に釣れたので、そろそろ帰ろうと思っています」と笑顔で答えた。 夕日が落ちてから海は凪いでいたが、気温は急激に下がってきた。 親子が鯵釣りをしていた近くに停められたワンボックスカーの中では、小さい女の子を抱いた若いお母さんが寒さを避けるかのように、釣りが終わるのを待っていた。 外側の防波堤では、自転車で家路を急ぐ人が、薄暮の光る海に影絵のように浮かんで見えた。
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ブログを暫く無断欠勤?ご無沙汰致しました。 にも関わらず僕のブログを訪問して頂きありがとうございました。 先週末より田舎に帰省しており、記念の60000HIT目も誰が踏んでくれたのかも確認出来ませんでした。 暫くは南紀の風景写真をアップしますので、皆さんのご訪問をお待ち致しております。 防波堤と太平洋 田舎に帰ったら南紀白浜温泉の名所の一つ、この円月島(通称、メガネ岩)の夕日を撮影したいと常々思っていた。 15日の未明は雨が降っていたが、天気予報に反して7時ごろには雨が上がった。 4時過ぎに我が家から車で15分のこの場所に、弟の車で送って貰った。 もうこの場所での夕日は、30年位は見ていないような気がする。最後に見たのかは何時だったのか僕の記憶には無かった。 薄暮の円月島 湾の最深部から この島の丸く開いた真中の穴に夕日沈んでくれれば最高なのだが、僕はこの季節の夕日が円月島のどの部分に沈むかは判らなかった。 海岸線を走る道路を円月島の近くまで行く。三脚を建てている人が居たのでそこで車から降ろしてもらった。 懐かしい潮の香りがした。深呼吸をして思いっきりその潮の香りのする空気を吸い込んだ。 三脚を立てている50歳前後の夫婦に撮影ポイントを聞いたが、奈良から観光に来た人のようで初めての円月島らしく、今日の夕日の落ちるポイントは知らなかった。 白浜温泉、湯崎地区の夜景 少しでも円月島の近くに沈むと思しき場所に三脚を立てた。夕日はこの写真の場所に沈んだ。 生憎、太陽は雲の中に沈んだが、久し振りにこの場所を訪れた僕にとっては満足だった。 周囲には沢山の「なにわ」や「滋賀』などの県外ナンバーの車が停車して、多くの人が携帯電話やデジカメで同じ夕日を撮影していた。 夕日が沈んでから僕は小さな湾の海辺の波打ち際に沿って作られた道路を歩いて、白浜の温泉街に向かう。 昼間は白浜温泉の名前の由来となった、真っ白い砂浜が広がっている白良浜(しららはま)がある。 ライトアップされた夜の砂浜に降りて、温泉街の夜景を撮影した。 この白良浜には「日本の朝日夕日の奇麗に見える場所百選」の立て札があった。
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昨日、インターネットで従兄のやっている『にのみやあ〜と』というガラス工房のホームページに入ってみた。 そこには東京・吉祥寺の伊勢丹で展示即売会が開かれていると書かれていた。 早速、午後からデパートの売り場を訪ねたら、従兄の長女が売り場に立っていた。 初対面なので、向こうは僕のことが判らないが、その長女は彼女の母親似で美人だったので、僕は直ぐに判った。 展示即売会の目玉商品は従兄の制作した『とんぼ玉』のアクセサリーだった。 香川県三豊市から出て来て、東京都内の幾つかのデパートで、定期的に販売をしているようだ。 『にのみやあ〜と』http://www.nino-art.com/ 高尾山・薬王院、奥の院の裏手 撮影:2007年 11月15日 他に客がいなかったので、少し四方山話をしていた。 僕が山登りをしながら写真を撮っていて特に高尾山に行く事が多い。と話したら、彼女は高尾山の薬王院まで参拝に行った事が有ると話した。 そして、「あのお寺は真言宗のお寺でしょう?」と付け加えた。 僕はハタと叔母から送られてきた系譜の事を思い出した。 公家を辞めた先祖が、鞍馬で真言密教の最高位の高僧になっていた事を。 それにしても、この娘は若いのに宗教心の強い女の子だと感心した。 高尾山・薬王院、奥の院の裏手 2枚目と同じ場所 撮影:2007年 11月23日 僕は一昨年までは、朝ジョギングの帰りに自宅近くの大宮八幡宮に必ず参拝していた。 昨年、厄年だったので厄祓いをしようということになり、僕は「高尾山の薬王院でやるから」とカミサンに云ったら、「いつも参拝している大宮八幡じゃないの?」と云われた。 結局、薬王院で厄祓いをしてもらったが、僕は何と無く薬王院でやりたかった。 昨日、従兄の長女と話をしていて「ひょっとして母方の先祖が?」と思った。 薬王院にもよく行くが、いつも天狗様を見ていると、何と無く親しみを覚えたのはその為だったからかもしれない。
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