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ダリア・祝杯 撮影:2007年 7月22日 神代植物公園にて 『富貴三代 方知飲食 ・・・』 僕はこの諺が好きだ。 ご存知のようにこの言葉は『一代で富を築いた人は家に贅を尽くし、二代目は着る物に贅を尽くす。三代続いた孫の代にならないと食べ物の本当に味はわからない』という意味の中国の古い諺。 簡単に言うと家は一代、衣服は2代、食の味が判るようになるには3代かかる。 僕風に要約すると、別に富貴は続いていなくても自分の舌は、自分の2代前・・・母親の母親、おばあちゃんの味が基準になっているいうことになる。 だから俄かグルメは有り得ない・・・少なくとも僕はそう思っている。 いまテレビでもグルメ番組、ブログの中でも食べ物記事を良く見かけ、俄かグルメが増えている。 箸も正しく持てないタレント達が『これは美味しい』と画面の中でうなっている。 ブログの中には、奇麗な料理でプロ顔負け達人もいらっしゃるが、それは極めて少ない。 これらを見ていると俄かグルメが、いかに多いかが良くわかる。 先日テレビを見ていたら、日本を代表する某ホテルの元総料理長が『一番思い出に残る食べ物は、おふくろの料理のはず』と言っていたことを思い出した。 確かに高いお金を出して食べる料理は美味しいかも知れないが、それは毎日食べる料理ではない。 子供の頃に自宅で毎日食べていた料理がやはり味、舌の基準になる。 先日、甥の結婚式が有った。 末席の親族席で僕の隣に、義兄の叔父で医学博士の老夫婦は座った。 その叔父も出身は和歌山で僕と同郷、義兄の家系は医者の家系で義兄を除き皆、医者になっている。 結婚した甥も30歳で医学博士になっていた。 その叔父の奥さんが『結婚50年目でやっと茶粥から解放されました。この食料が多い時代に今更、もう茶粥でもないでしょう?』と話しかけてきた。 茶粥は紀伊半島、奈良の山岳地域、和歌山中南部では郷土食として食べられている。 耕地面積が狭い地域なので、少しでも食べ物の量を増やそうと、昔の人は茶粥を考案したのだと思う。 茶粥は、お米にほうじ茶、ハブ茶などを入れて炊く。 夏には、炊き上がったお粥を冷水で冷やすと、お米が締まってサラサラとして美味しい。 我が家は直ぐ裏にある川で、それを冷やしていた。 その医学博士の叔父さんの茶粥のおかずは、何処かの有名な沢庵を取り寄せて食べていたらしい。 我が家は、畑で取れたキュウリ、ナス等を祖母が漬けた朝漬けだった。 その糠床の入った樽も川につけられていた。 冷蔵庫が出来てからも、その糠床の樽は同じように川の中に、重しの石を乗せて置いてあった。 川の冷たい水温が、糠床には絶妙な醗酵温度だったに違いない。 川で樽からキュウリ、茄子を取り出して、直ぐに川の水でそれらを洗う。 今度は洗い落とした米糠につられて、川エビが集る。 それを小さい玉網ですくい、生きたままから揚げにした川エビが、朝漬けとともに食卓に並ぶ。 僕の子供達も夏休みには毎年1ヶ月は帰省していたので、その茶粥と朝漬け、川エビのから揚げの味を覚えている。 我が家ではもう茶粥は滅多に食べないが、その医学博士の叔父さんは結婚して50年それを食べつづけたようだ。 その家によっても味が異なる茶粥・・・これは富貴でなくても十分に味わえる我が家の料理だった。 冷たい茶粥は夏の定番料理でもあった。 またその味は今も、僕の子供達までは伝承されている。 但し、朝漬けの糠床だけは未だに我が家では作れない。 結婚披露宴のもてなしには、甥の計らいで高級フランス料理が振舞われていたが、僕のテーブルでは、茶粥に入れるほうじ茶はどこどこのほうじ茶が美味しいとか、ハブ茶じゃなければダメとか、何故か次々と出されたフランス料理には関係の無い、茶粥の話で盛り上がっていた。 まさに我が田舎の郷土食は『貧困三代 方知飲食』だと思った。
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南紀白浜
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この写真は以前掲載した川の写真。実家の裏を流れている川です。 この川は『高瀬川』といい、紀伊半島の南部を流れる2級河川の『冨田川』の支流の川で、海の直ぐ近くで富田川に合流している。 この冨田川の上流には、世界遺産の熊野古道の大辺路ルートがあり『娘道成寺』の清姫が生まれたとされている土地が有る。 先々週、鹿児島でもう『源氏蛍』が飛んだとテレビ・ニュースで報道されていた。 この川のこの流域でも6月になると蛍が飛ぶ。 この写真の川底の石を拡大してみると、カワニナ(少し細長い黒い点々)が写っている。 僕が子供の頃と比較すると、今のこの川も随分瀕死では?と思ったが、先週行った裏高尾の沢に比べれば、カワニナが生息し魚が分この川の方がまだ元気なのかもしれない。 カワニナは清流に棲む巻貝で、蛍の幼虫が寄生してカワニナを餌にして成長する。 だからカワニナが生息していないと、蛍も生息できない。 10数年前に、夏に帰省して川で鮎を捕っていたら、知らない人がバケツに沢山のカワニナを捕っていた。 親父がまだ生きていた頃で、親父にどうしてカワニナを捕っているのかを聞いた。 煎じて飲むと腎臓病に効果が有るらしくて、県外から捕りに来ると聞いた。 親父に『カワニナがいなくなると蛍が飛ばなくなるから、町の条例で捕獲の規制が出来るはずだから』とアドバイスをした。 親父は町長に話をしたらしく、次に帰省した時には川の土手に『カワニナ捕獲禁止』の看板が立てられていた。 だから今でもこの川では蛍が飛んで、温泉の観光客の目を楽しませている。 これが僕の親父が残した唯一の功績かもしれない。 鹿児島で蛍が飛んだというニュースと前後して、読売新聞に神奈川県の早川で『コモチカワツボ』という 外来種の巻貝は繁殖して、日本古来のカワニナの種類の巻貝が駆逐されているという記事が目に留まった。 蛍繁殖用として輸入業者が販売していて、蛍を呼び戻そうとする人達が、この巻貝を川に放流したのが原因らしい。 一つの生態系を呼び戻そうとした無知な手段が、別の生態系を崩してしまう。 人間が崩してしまった自然は、やはり周辺環境を整え、川を元の綺麗な水に戻して、日本古来のカワニナを放流するという原点に戻った手を打つ以外に無い。 今後、全国で発見されるであろう『コモチカワツボ』の駆除にも、現地は頭を悩まされそうだとも書かれていた。 これは、全国の河川、湖水で繁殖しているブラックバスやブルーギルの問題と同じように、人間の無知が引き起こした自然破壊かもしれない。 またこれは我々に『単に蛍が飛べば自然が戻ったという事にはならない』という事を教えてくれる貴重な教訓でもある。
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この川は僕の実家の直ぐ裏にある。 裏木戸を出て、竹薮の中の石段を十数段降りるとこの川に出る。 この写真の右側の堤防には道路がある。 元ロッテの村田兆次投手が現役の頃、冬季キャンプを毎年白浜でやっており、この川の4KM上流にある滝までランニングをしていた。 だから当時のプロ野球ニュースには、我が家がよく写っていた。 この川の水は未だに飲め、天然の鮎が捕れ、上流に行くとヤマメが捕れる。 それと丁度この地域、流域は夏には蛍が乱舞する。 僕が子供の頃、川の両岸はネコヤナギが生い茂っていた。 夏は朝10時ごろから川に入り、昼食以外は一日中、川で遊んでいた。 夏にはネコヤナギの下に沢山鮎が泳いでいて、両岸から生い茂ったネコヤナギを掻き分けながら鮎を取った。 護岸の石垣の隙間にはウナギが生息しており、穴釣りでウナギも沢山釣れた。 だから僕は子供頃からこの清流に住む鰻、鮎、ヤマメは全て自分で捕って食べていた。 今は水量が少ないが、子供の頃にはもっと水量が多かった。 この場所は年間を通じて水が枯れる事は無いが、最近は500M下流では夏に日照りが続くと川が渇水する。 原因は幾つか考えられるが、山に保水力がなくなっているのが一番の原因だと思われる。 林業が盛んな40年位前までは、この川の上流の山に杉、檜などが沢山植林され、今それが随分大きくなっている。 次は河川工事。 この場所の下流域の護岸、部分的には川底までをコンクリートで固めている。 そして川を真っ直ぐにしてしまった。 確かに川を真っ直ぐにすれば水はスムーズに海に流れ出すが、自然の川は大体蛇行を繰り返して流れてる。 蛇行した曲がり角には淵があり、それから流れの速い瀬があり、また淵に流れ込む。 その繰り返しの中で水が浄化され、また川魚を育む。 日本一の清流と言われている四国の四万十川、和歌山の古座川など一部の川を除き、日本全国の河川がコンクリート化され、自然が破壊されてしまっている。 今、全国でこのようなコンクリートの護岸を元に戻そうという運動が起きているが、これもあと何十年かかるか判らない。 気球温暖化が叫ばれている今、折角地上に降った雨を、そんなに急いで海に返す事は無い。 もっと土地を潤し、魚を育んでからで海に流れ込めばよい。 環境破壊で2酸化炭素も大きな問題だが、河川、森林の破壊問題ももっと大きな問題だと思う。 それを行政が進んでやってしまった事に一番の問題がある。 今、この川で捕れる鮎は数量も少なく、形も小振りになっている。
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昨日、弟と友人から小包が届いた。 弟の荷物からは、餅撒きのお餅とお供え物のみかん、南蛮焼き、赤飯等が入っていた。 友人からは、南紀の目刺し、金山時味噌、秋刀魚寿司、それと梅干が。 どれも南紀の名産品を送ってくれた。 梅干の記事は以前にもアップしたが、この梅干は塩分が20%・・・普通の人は先ず食べないと言うよりは、最近は殆ど売られていない。 この梅干は僕の友人が漬けた梅干で、ミネラルが豊富な深層海水から作った塩を使って漬けている。 梅も、多少汚いが無農薬で栽培した南高梅を使っている。 この白梅は食べてみるとまろやかな甘さがある。 最近スーパーで売られている梅干は、健康志向?で減塩梅干が主流である。 冷蔵庫で保管してくださいと書かれているが、僕はもうこれは梅干では無いと思っている。 蜂蜜などで漬けた梅干も同様で、僕にはもう梅干とは言えない。 適度に運動している人は、減塩梅干でなくても大丈夫だと思っている。 みかんもやはり南紀のみかんは、南国の太陽を一杯に浴びてこれもまた美味しい。 もぎたての甘さの中に酸っぱさが残っているみかんは特に美味しい。 糖度が高いみかんが重宝されているが、甘いだけではやはり僕は美味しいみかんとは言えないと思っている。 高校の頃、みかん畑の周辺から通学する同級生は、ナップサック一杯にみかんを毎朝調達してくる。 勿論、調達先は自宅の畑とは限らない。 多分その殆どは、他の家のみかん畑のみかんだったのではと思っている。 みかんの季節になると授業中の教室は、いつもみかんの良い香りがしていた。 因みに僕はみかんを触っただけで、そのみかんの味が区別できる。
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僕の生家の裏側に子供の頃から、小さな祠があった。 祠の中に『馬頭観音』と書かれた石碑が祀られていた。 家を建て直したときに、祠も欅で新しく作り祀り直した。 近くの山にやはり観音様が有り、毎年1月18日にその観音様のお祭りがある。 我が家の観音様も同じ日にお祭りをしている。 その日は地域の氏神の神主が来て祈祷してから、餅撒きをする。 僕の生まれた地域では、神社のお祭り、家の新築などの慶事に御餅を撒く風習がある。 御餅と一緒に、菓子類、お金(おひねり)等も一緒に撒く場合もある。 我が家は、この庭で御餅、お菓子、お供え物のみかん等を撒き、近所の人がそれを拾う。 関東の節分の時に寺社でやる、豆撒きのお餅バージョンと考えて貰えば良い。 子供の頃、親父とよく近隣の神社のお祭りの餅撒きに、お餅を拾いに行った。 今はビニールに袋に入っているが、当時は裸のままのお餅だったので、ダイレクトキャッチが出来れば良いが、下に落とすと土まみれになり、その餅を拾って帰った。 最後に鏡餅を撒くが、これは大きくて数が少ないので中々キャッチする事が出来ないが、 親父は良くこれをキャッチして意気揚々と自宅に帰った。 時には、隣の人と取り合って半分に千切れた鏡餅を持って帰ったこともある。 最近はもうそのような激戦はしないと思うが、子供頃餅撒きと聞くとわくわくした。 今考えると、よくそんな汚いお餅を、洗って食べたものだと思う。 今ならとても食べられない。 我が家でやる餅撒きは、家の当主が中心となって血縁者が一緒に撒く。 僕も母親が亡くなり、親父が一人で生活していた時に、2年だけ僕が撒いた。 明日は弟が取り仕切ってそれをやってくれる。
良い天気になればよいが・・・ |


