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初夏のような暑さの中、そのような桜を見ていると綺麗だと思って見ていた桜も、 少し食傷気味になっていた。 桜はその花色だけではなくて、咲いた時の陽気も見る人の気持ちに影響を及ぼす。 この公園の桜もこの1週間で殆どが葉桜になった。 満開に咲いた朝、この公園を散歩した。 久し振りにその時に撮り貯めた画像を見た。 朝日で満開に咲く桜は、やはり爽やかな色をしていた。 今年は少し桜の開花時期が延びたので、何時もは少し送れて咲く山吹も、
桜に負けじと朝日に輝いていた。 |
桜
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一昨日、この場所を訪れた時には桜吹雪が始まったばかりだった。 昨日はその落ちた花びらが、両岸に沿って作られた散歩路の吹き溜まりにも厚く積もっていた。 この川を見たことが無い人は、フォークグループ・かぐや姫の歌った「神田川」を聴くと、 ロマンチックな川の風景を想像するらしい。 実際はこの通りの川で味も素っ気もない、ただのコンクリートの構造物に成り下がっている。 その川の両岸には、川に詫びるように所々に桜並木が造られている。 都会の中を流れるそのコンクリートの狭い川は、川面一杯に花いかだを浮かべて、 白い帯が流れるように花いかだを下流へと運んでいた。 そして川岸に申し訳無さそうに植えられた花菖蒲は、まるで桜の花びらの中に植えられているようにも見えた。 夕陽は散った桜を惜しむかのように、花びらを優しくその夕陽色に染めていた。 夕陽色に染まった桜の花びらは散って尚、その妖艶さを増したかのようにも見えた。
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井の頭線の高井戸駅のホームから渋谷方面、右側に桜が見える。 ホームの右下には神田川が流れ、桜はその両岸に植えられている桜だ。 僕は神田川の桜景色を写しながら遡上して、川と駅が隣接するこの駅から電車に乗った。 勿論このホームから、井の頭線の線路際に咲くこの桜を写すのが目的だった。 昼間は逆光気味なので、空の色が奇麗に出ないので夕刻の時間帯を狙った。 既に、ホームの端には望遠レンズを付けたカメラマンが一人、電車と桜を撮影しようとして粘っていた。 誰でも考える事は同じだ。 そのカメラマン氏の撮影が終わるまで、僕はホームのベンチで桜を見ながら待っていた。 先週の土曜日の午前中に僕は花見に行って来た。 午後、その花見の様子を話をしていたら社会人なって久しい次男が、「電車の窓から高井戸駅の桜を見ると、新学期が始まるような気がしてあそこの桜は懐かしい」と、何気なくこのホームから見える桜の話をした。 桜吹雪の下での入学式、新学期は、大きくなっても記憶に残るようだ。 僕の田舎では卒業式の頃に山桜が咲いていたのを思い出す。 2枚目の桜越しに見える白い煙突は、高井戸にあるごみ焼却炉の煙突で、 区内の至る所から見ることができる。 この煙突は杉並区のランドマークのような存在で、何時も行く善福寺川緑地からも良く見える。 僕はこの煙突が見えると、自分のいる位置の方角の大体の見当は付く。 3枚目の写真は、やはり神田川沿いにある塚山公園という公園の新緑を写した。 日影になった桜の花の間から、夕陽に照らされた新緑が輝いて見えた。 桜の花が散り始めると、樹木の新芽が一斉に芽吹き出した。
もみじの新葉も夕陽に照らされて、眩しいくらい紅く萌えていた。 |

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朝日に映える満開の桜が見たくて、早朝の和田堀公園と善福寺川緑地に行ってきた。 今朝は青空をバックに満開の桜を撮影する事ができた。 早朝の公園には、週末は一面に敷かれていた無粋なブルーシートはもう無くなっていた。 しかし、例年の如くゴミ箱周辺にはゴミの山が残されていた。 桜の木の下に目を移すと、其処には缶ビールの空き缶、ペットボトル、レジ袋等が散乱していた。 毎年同じ光景を目にするが、今年も奇麗な桜の下で見たくないものを見た。 満開の桜も、その桜を咲かせるために日々手入れをしてくれている桜守さん達がいる。 毎年、奇麗な桜の下での宴会は楽しいが、奇麗に咲いた桜と桜守さん達の努力への感謝の気持ちも忘れてはいけない。 桜の花は日本人にとって大事な自然遺産、花見は大事な文化遺産なのだから。
それでも公園の桜は週末の喧騒もゴミの山も、何も知らなかったかのように、今朝も奇麗に咲いてくれていた。 |

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