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山の稜線や山頂など高度の高い場所では、何がなんでも太陽が昇る前の地平線(実際には雲)の刻々と変わる黎明の空の色が見たい。僕の場合は日の出は二の次になる。 この黎明の空の色の変化は都会などの平地では、ビルや近隣の山などに邪魔をされて、殆ど見ることが出来ない。早朝の空の景色は登山をした時の大きな楽しみの一つだ。 AM 4:48分 前夜は山小屋の消灯が8時30分、僕はそれ以前にヒップフラスコのウィスキーを少し引っ掛けて寝た。呑んだ量が少なかったのか?前日は甲府のホテルを3時に起きて始発のバスに乗ったにも拘らず熟睡が出来ない。 そして、寝具は上下とも毛布だけ。宿泊客が少なかったので、隣の毛布も使って、下に4枚上に二枚をかけて寝たが、夜中に寒さで目が覚める。もう一枚毛布を上に追加した。 AM 5:07分 左のピーク 甲斐駒ケ岳 中央の山塊 八ヶ岳 目が覚める度に寝具の中で外に明かりが洩れないようにヘッドライトを点けて、腕時計の時間を確認する。最初に目が覚めたのは10時、そのあとは2時間ごとに起きていたような気がする。 その内にミシミシと木の階段を昇り降りする音がするようになった。多分トイレに行く人、早立ちをして北岳の山頂で日の出を迎えようとする人達だろう? AM 5:09分 4時30分、山小屋の電灯の点灯で起きることにした。カメラを持って山小屋の外に出る。外は晴天、目の前には仙丈ヶ岳、甲斐駒ケ岳、鳳凰三山、その向こうの雲海の上には八ヶ岳や北アルプス、中央アルプスのシルエットが。 少し出遅れたが日の出の方角には、雲海の上にオレンジ色の帯が広がり、その光の帯の一番右端には富士山が浮かんでいた。 AM 5:15分 朝焼けの北岳 この日は天気が良くて空気も乾燥気味、黎明の空の色に赤みが少ない。そして、上空には雲がない。秋のような朝の空だった。 山小屋の朝食は5時から。僕は早朝の撮影をしたかったので、朝食は前日にキャンセルしていた。持参した朝食を山小屋の前のテーブルで、富士山や雲海に浮かぶ山々を眺めながら食べた。 AM 5:16分 日の出後の富士山 この日の予定は、北岳の山頂を越してピークの反対側の北岳山荘泊まり。荷物をデポして、間ノ岳を往復するだけの予定だった。6時10分に北岳肩の小屋を後にした。
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トレイルと富士山
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朝から天候に恵まれて照りつける太陽の下を歩いた。沢沿いや樹林の中は涼しいが、標高が高いと云えども炎天下の登りは厳しい。バテ気味のカミさんを騙し騙し歩かせた。 稜線に出るころ北岳の山頂はガスに覆われ吹く風は冷たい。26日の宿泊予定地、北岳肩の小屋には3時前に着いた。小屋にザックを置いて一休みをした。 左側の人と人の間に見えるピークは甲斐駒ケ岳(標高:2976M) 夕食前に天候を確認するために外に出ると、富士山は北岳の稜線の左側に浮かんでいた。山小屋の夕食は5時、急いで夕食を食べてカメラをもって外に出る。 西側の空には入道雲、北岳と仙丈ヶ岳、甲斐駒ケ岳の間にはガスが湧き上がっていた。同じく富士山側にもガスが湧き、富士山は山頂を垣間見せていたが、それも見えなくなった。 東京ではここ暫く夕刻の天気は安定をしており、同じように綺麗な夕焼けを期待したが、此処は南アルプスの標高は3000M、下界とは条件は異なり午後にはガスが湧く。 その湧き上がったガスにブロッケン現象で丸い虹が懸かっていた。ガスがもっと近くに有れば鮮明なブロッケン現象を見ることが出来た。 雲の間に見える山は仙丈ヶ岳(標高:3032.7M) 26日、日曜日の山小屋の宿泊客は案の定少なかった。宿泊客が定員一杯だと一人当たり占有スペースは60CM位で極めて狭く、横になると肩が隣の人にくっつくスペースしかない。 登山シーズンの土曜日は大体ツアー客が入っているので、山小屋は混雑をしている。僕は一日ずらして日程を組んだ。御陰で山小屋は空いており、二人分のスペースを一人で使うことが出来た。 PM 18:48分 撮影を終えた頃、山小屋の前の富士山を眺められる木のベンチで、カミサンが持参したコンロで湯を沸かし、珈琲を淹れてくれた。 標高3000Mに建つ北岳肩の小屋の外の気温は10度くらいか?ヒートテックのタイプを履き、フリースを着ていても寒い。かじかんだ手で熱い珈琲をすすりながら見上げた北岳のピークの上には月が出ていた。
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AM 5:02分 南アルプス 中白根岳(標高3055M)にて 写真が整理できていないので、取り急ぎ今朝撮影した黎明の富士山をアップ致します。北岳山荘で3時起床、空には満点の星、オリオン座が一際明るく輝いていた。 ヘッドランプを点けて歩くこと小一時間、中白根岳に到着。僕以外には誰もいない。東の空が黎明の色に染まり始めた。中白根岳は日本二位の標高を誇る北岳と、四位の間ノ岳の中間に位置する。 外気温は6度、フリースの上にアノラックの上下を着ていても標高3000Mの山頂を吹き抜ける日の出前の風は身にしみる。鼻水をすすりながらシャッターを押していた。 このところの山行では殆ど用をなさなかった重い三脚は、今回は悩んだ挙句持参する装備から外した。意に反して二日続けて、これ以上の景色は無いであろうと思われる、朝日が昇る前の黎明の空に浮かぶ荘厳で秀麗な富士山に遭遇できた。
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先月末に八ヶ岳に登ってから、今週末でほぼ一ヶ月になる。高山植物の写真もそろそろ季節外れになりそうなのでアップします。 夏山は何処に行っても、お花畑に高山植物が咲き乱れているが、南八ヶ岳にはコマクサの群生地は幾つか有ってもお花畑は意外と少なく、今回は岩稜に咲く花たちを写した。 チシマギキョウ(紫色)、タカネツメクサ?(白色)、タカネニガナ?(黄色) 赤岳から横岳へ連なる岩稜は、鎖場や梯子が連なり登山道は狭い。行き交うにも一苦労、歩くにも気が抜けず、レンズ交換も出来なかった。マクロレンズは持っていたが、風景写真を写すために装着しておいたズームレンズでそのまま花の咲く風景を写した。 岩稜に出来た棚や割れ目などに土が溜まり、高山植物が根をおろしている。根を降ろす場所が少ないので、土があると狭いエリアにはひしめくように数種類の植物が仲良く同居をしていた。 イブキジャコウソウ またこれらの咲いている場所には一般登山者は踏み込めない。盗掘者を除き、高山植物たちにとってはより良い安全地帯、各々の植物達が群落を形成していた。 標高は2600〜2800M前後、吹く風は涼しい。稜線にはアキアカネの群れが、麓の田畑の稲の刈り入れが終わるまで、避暑をかねて夏の風に群れていた。 イワオウギ 切れ落ちた諏訪湖側の絶壁にはイワヒバリの巣があるのか、イワヒバリは我々を案内するかのように岩稜の上を飛び跳ねて先に行く。近づくと絶壁に身を隠す。 このような稜線は下山時間を気にせず、高山植物や風景を写しながら、もう少しのんびりと歩きたいと思った。 タカネツメクサ お盆が過ぎて今日は暦の上では処暑、お盆が過ぎると残暑も緩むかと思ったが、逆に今夏一番の猛暑日が日本各地で続いている。 東京も日中の陽射しは、肌を刺すようにじりじりと痛い。庭の植物も水を少し切らすと、椿などは所々茶色に葉焼けを起こしている。 イワヒバリ ジムの庭の木々は、このところの日照り続きと長いお盆休みの間に水切れを起こし、葉がすっかり枯れてしまった。その枯れた葉が午後の風に舞っていた。夏の陽射しが無ければ、舞う枯葉は晩秋の景色のようだった。 残暑厳しい折、皆さんもお身体ご自愛下さい。
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朝の4時半、薄明かりの中、朝日を写そうと山小屋から数分の距離にある赤岳頂上へ向かった。山荘まえのテラスから峰続きの横岳と硫黄岳を眺めた。 ガスの合間から眼下のコルに建てられた赤岳展望荘の灯りが見え、ヘッドランプの列が赤岳へ登って来るのが見えた。朝日を写し終えて、今度は横岳、硫黄岳への主稜線を写した。時間は5時を数分回っていた。 横岳の手前から赤岳(右上のピーク)方面、赤岳ピーク左側に昨夜泊まった山小屋が見える。 左下にオレンジ色のヤッケを着た登山者の一団が見えた。前日の夜、僕は山小屋の朝食は食べない予定でお弁当を作ってもらっていた。5時30分に山小屋を出発、山小屋の前のテラスに出た。 オレンジ色のヤッケの一団の先行パーティが既に山小屋の前まで登って来ており、赤岳頂上山荘をバックに記念撮影をしていた。僕は彼らのコンデジでの撮影を依頼された。中高年のツアー登山の一団の話す言葉は関西弁だった。 横岳山頂から見えた僕のブロッケン現象。ブロッケンの出来た位置に小同心のピークがある。 前日にも途中の行者小屋の前で、ツアー登山の一団と会った。観光バス一台分位の大人数で、昼食のカレーライスを食べていた。参加者は我々と同年輩、隣で話している内容からは中京地区の人達だった。 このツアー登山を募集したのは関西が拠点、以前僕がパンフレットの写真を提供した旅行会社で、最近は少し有名な山に行くと必ずこのツアー会社のワッペンをつけた一団に出会う。 横岳から幽かに見えた夏の富士山 昨今は地球の最高峰のエベレストまでもがツアー登山の対象になっており、地球上で旅行会社のツアーで行けない土地は無いと言っても過言ではない。標高が3000Mに満たない八ヶ岳・赤岳ごときのツアー登山は驚くに値しない。 ツアーの参加者10人位にリーダーが一人ついていた。しかし、夏とは云え天候が急変したら、これだけの大人数を引き連れての登山のリーダーは一苦労するだろうな?と余計な心配をした。 硫黄岳中腹からの横岳(左)、赤岳(中央)、阿弥陀岳(右) 赤岳から硫黄岳までは40年ぶりに歩いた。最後は山岳部の冬合宿だった。今回歩いた冬の南八ヶ岳の主稜線は風が強くて気温が低い。最後の写真を写したポイント周辺、硫黄岳中腹では、風雪の中を立って歩くことが出来ずに匍匐前進を余儀なくされ、5枚目の左中央の青い屋根の硫黄岳山荘に逃げ込んだ。 被っていた毛糸の目出帽が、頭の形に凍りついて脱ぐにも脱げず、暫くストーブの前で溶かしてから脱いだ記憶がある。その時はご丁寧にも行者小屋のキャンプサイトを出発して赤岳へ登り、主稜線を硫黄岳まで縦走してまたそれを折り返した。八ヶ岳は夏と冬では全く様相が異なり、冬の八ヶ岳は天気が崩れると怖い山だ。 今年は新田次郎の生誕100年らしい。その彼の代表的な小説「栄光の岸壁」の主人公は戦後の冬の八ヶ岳で遭難、凍傷で足の指を全て無くしている。また「銀嶺の人」も冬の八ヶ岳から小説が始まる。二つの作品は実在する有名な登山家、吉野満彦と今井通子を描いている。彼の作品には生まれ故郷の信州の山々、霧ヶ峰や八ヶ岳を主題にした作品が数多く残されている。 |




