|
孫子の旗の裂石山・雲峰寺 撮影:2017年 5月4日 杉の木立の間の少し左に傾いた歴史を感じる長い石段を登ると、裂石山と書かれた山門を潜る。石段を登り切ると、目の前には檜皮葺きのまた歴史を感じさせてくれる、あまり大きくない山寺の本堂、その隣にはまだ葺き替えて間もない茅葺屋根の庫裡が出迎えてくれた。 境内のほぼど真ん中には「峰のさくら」と呼ばれている樹齢700年のエドヒガンザクラの巨木が大きく枝を広げていた。その枝の殆どが葉桜に、少し残った花びらは杉林を吹き抜ける五月の風に舞っていた。 甲州市の観光ガイドによると、このお寺のエドヒガン桜の開花時期は5月上旬と書かれている。別の開花情報では4月下旬とも書かれていた。 また、このお寺には武田家が使っていた、かの有名な風林火山の孫子の旗が保管されている。この旗を観るにはお寺に電話をして予約を取る必要があるとも書かれていた。 僕は連休前から数度雲峰寺に電話をしたが、電話は繋がらなかった。甲州市の観光課に電話をしても要を得ず諦めて直接訪れることにした。 桧皮葺の本堂 雲峰寺へは塩山駅から入るのが一番近いが、武田勝頼の終焉の地の栖雲寺のある日川渓谷からバスで上日川峠まで行き、孫子の旗が落人とともに辿ったと思われる天目山から裂石までのルートを僕も辿ってみた。 宝物殿の前には拝観を終わったらしい家族が、そして住職が宝物殿の扉を閉めていた。僕が宝物殿の入り口に行き拝観を希望している旨を告げると、もう一度僕一人のために宝物殿の鍵を開けてくれた。 カメラを持っている僕を見て「館内は写真撮影は禁止です」と釘を刺された。僕は三脚とカメラを入り口の椅子の上に置いてから館内に入った。 樹齢700年、エドヒガンの「峰のさくら」 館内のガラスケースの中には、紫の布地に孫子の兵法書から一部を引用した「疾風如 徐如林 侵掠如風 不動如山」と金泥で書かれた「孫子の旗」3琉、現存する日本最古の「日の丸」の旗一琉、紅い布地に金泥で書かれた「諏訪神号旗」が数琉、同じく赤地に金泥で武田家の花菱家紋が三段に描かれた「馬標旗」が一琉収められていた。孫子の旗と諏訪神号旗は縦がゆうに6Mはあろうかと思うほど大きい。 その他、武田信虎、信玄、織田信長などの古文書も展示されていたが、生憎僕は古文書を読み解く能力がないのでそれらには興味がなかった。 後光がさす観音菩薩 拝観を終わり入り口で靴の紐を締めていると住職に「どちらからお越しですか?」と聞かれた。住職は僕が住んでいる近くのお寺でも修行を積んでいたらしく、僕の後は暫く拝観者が居なかった。それと僕の実家も臨済宗と告げると、気さくに立ち話をしてくれた。 「何度も電話を差し上げたのですが、繋がらず予約が出来ませんでした。」というと、「庭の手入れや法要などで時間が割かれて、電話には殆ど出られません。そして僕はあまり商売っ気がないので。」とも。 そして、中山介山が大菩薩峠を執筆中に、3ヶ月ほどこのお寺に逗留していたことも教えてくれた。 右側、茅葺の庫裡 「本堂と庫裏の屋根は立派ですね。」住職は「桧皮葺の本堂は40年くらいで葺き替えるが費用は一億円くらい、茅葺の庫裡は20年毎、昨年葺き替えたばかりですが5000万円ほどかかりました。」と教えてくれた。 そして、このお寺の参道脇や周辺の山林の杉林も、檜皮を取るために植えられているとのことだった。 このお寺は殆どが重要文化財に指定されているので、費用は全て県が負担してくれると言っていた。境内の隅に作られた車庫には、アウディと軽トラックが入っていたが、アウディは何となくこの古刹には不釣り合いな気がした。 武田家供養塔 このお寺の存在は、大菩薩嶺に登山をしていた頃から知ってはいたが、訪れる機会がなかった。武田家が終焉した折に、孫子の旗や諏訪神号旗、馬標旗などを敵に渡るのが忍びなく勝頼の命によりこのお寺に隠した、また境内に見事なエドヒガンザクラが咲くことを知り、一度は桜が咲く季節に訪れたいと思っていた。 今回は武田家最後のゆかりの品々や戦旗を見て、このお寺の歴史の一部も知ることができた。満開の樹齢700年の「峰のさくら」は来年以降に持ち越しとなった。 |
トレイルと富士山
[ リスト | 詳細 ]
山歩き、散策,富士山、山の写真などを。
|
久々に富士山・上日川峠から裂石へ 撮影:2017年 5月4日 GWも中盤に差し掛かり、後半はどうも天候が危ぶまれている。それではと今朝、JR中央本線の甲斐大和駅で降りて大菩薩嶺への登山口の一つ、上日川峠行きのバスに乗った。 バスは上日川渓谷に沿って走る。途中に武田勝頼の菩提寺の天童山・景徳院や武田勝頼終焉の地と言われている武田家所縁の天目山・栖雲寺を横目に渓谷沿いの細い県道を高度を上げていく。 栖雲寺は武田家の菩提寺でもあったようだが、この狭い渓谷に沿った山奥が古い時代に開けていたとは驚きだった。途中の山中には山桜が点在して咲き、木々も高度が上がると共に、まだ芽を出していない。 甲斐大和駅を出発して50分ほどで終点の標高1570Mの上日川峠に到着する。バスは満員のハイカーを峠で吐き出した。峠の一般駐車場も混み合っているのか、2名の職員が交通整理に当たっていた。 上日川峠から大菩薩峠方面の富士見平まで30分歩き、今日の目的の一つの富士山を撮影した。この場所には営業をしていない富士見小屋があり、その前庭から富士山の眺望が開けているが、立木が伸び放題に伸びて視界を狭めている。営業をして居ない山小屋はもう少しで廃屋になりそうだ。 ハイカー達の記念撮影の合間を縫って撮影、餡パンを齧りながら30分ほど滞在した。この日の10時30分頃の富士山は、背後の空には適度な薄雲が広がり、手前には流れる雲を従えていた。 撮影を終えて、あと45分ほど歩き大菩薩峠まで行こうかと思ったが、往復と撮影時間を入れると2時間のアルバイトになり、次の目的地へ行けなくなる。名残惜しかったが大菩薩峠行きは諦めて上日川峠へと戻った。 上日川峠からは塩山方面への登山道を裂石に向けて出発した。この山道は上日川峠を通過する県道が出来るまでは、裂石のバス停から上日川峠まで、2,5時間は必要な急登が続き、昔から歩かれていたメインの山道だった。 僕も若い頃、東京から近い大菩薩嶺へは、四季を通じて何度も登っているが、登りのルートは何時もこの登山道を使っていた。 裂石のお寺の住職は、この山道は大菩薩峠を越して江戸への近道で、旧青梅街道へ通じる道だったと教えてくれた。信玄の黒川金山で採掘された金もこの山道を馬の背に揺られて越したのかも知れない。 何百年も歩かれた古い登山道は、場所により掘割かと思えるほど、3M近く掘れている場所もあり、根元の土が流され根上りになった根が発達して、幹の太さに匹敵するようなブナの大木にも出会える。 その山道をどんどん高度を下げていくと、バスの車窓から見た景色とは逆に山桜が咲き、そして、木々も芽吹いてくる。 芽吹き始めた木々の隙間から見える沢の水は、清冽で水晶のように透き通っている。登山口近くになるとピンク色のミツバツツジが芽吹き始めた林に彩りを添えていた。 バス停が近くなると登山道は県道に寸断され、最後は車やバイクが走る県道を歩かされる。途中で休みながら古い山道を下ること2時間弱で次の目的地の雲峰寺に到着した。 周辺は柔らかい緑に包まれ、季節が逆戻りしたような山歩きだった。 日本百名山の一つに数えられている大菩薩嶺(標高2056M)への登山は、上日川峠までバスや車で入ると、峠からの標高差は500Mを切り、山頂までは最短で1時間半で登頂ができる。一番登りやすい百名山は、老若男女を問わず多くのハイカーに親しまれている。 たまには今日のように山頂を踏まない、一人の気ままな山歩きも楽しい。そして、今日は山登りではなくて、中腹から山を降りる山下りだった。
|
|
朝の雪景色・白馬岩岳スノーフィールド 撮影:2017年 2月19日 雪国に住んでいる人達は雪のある景色は見飽きていると思うが、雪のない東京に住んで、たまにこのような晴れた朝に、凛とした空気もさることながら雪のある景色に遭遇すると清々しく感じる。 宿泊先は名前だけはホテルと付いていたが、実質は昔の民宿そのもの。愛想の悪い主人の出迎えを受けて、アーリーチェックインを頼むが満室とのことで叶わず。 しょうがないのでホテルの休憩室でスキーウェアに着替える。持参したサンドイッチで朝食を済ませ、カメラを持って外に出た。もう朝日は山の稜線からかなり離れていた。 ここは白馬村の切久保地区、安曇野がこの界隈まで続いていれば、もう安曇野の北のはずれに近い。安曇野と同じ風習の、道端には庚申塚や道祖神が祀られており、背の低い道祖神は雪から頭だけを出していた。 近くの民宿の軒先からツララが垂れ下がっているのを発見、不法侵入してこれを写した。早くも朝日に暖められたツララの先端からは滴が落ちていた。 昨夜、テレビで三浦雄一郎が八甲田山を紹介する番組があった。その中で酸ヶ湯温泉の宿泊客の7割が外国人らしい。しかも、リピーターも多く3週間も滞在するという外国人グループもいた。 国籍はアメリカやオーストラリア、ニュージランド等々多岐にわたるが、八甲田山は雪質が良くて宿のサービスが良いと一様に褒めて居た。 この岩岳スキー場も多くの外国人がスキーやスノーボードを楽しんでいた。ここには東南アジアからのスキー客もいたが、殆どは白人系の欧米人だった。 インフォメーションセンタのオバさんの話によると、このスキー場も年々欧米人のお客さんが多くなっており、そして、昨年この地域だけでも後継者が居なくて廃業を余儀なくされた三軒の宿泊施設が、海外資本に買われたらしい。 以前、経営不振のスキー場が韓国資本に買収されたと報道されていたが、今、スキー場の宿泊施設までもがその対象となっている。 同じように、バブル期に会員権を乱発した多くのゴルフ場が、バブル崩壊後に会員権の償還ができなくて破産、それを海外資本が買い占め、今はパブリックコースとして安いグリーンフィで解放され、若者や女性に利用されている。 ゴルフとスキーでは条件は異なるが、ビッグバン以降の金融の自由化でこのような地方にもその影響が及んでいる。政府は外国人旅行者が増えたと喜んでいるが、彼らが使ったお金もしっかり外国資本に吸収されている。 いま、2020年の五輪に合わせて民泊を増やそうと議論されているが、このままでは民泊も同じように海外資本が活躍、このままでは日本は地方の観光産業までもが空洞化しそうな気がする。
|
|
雪の白馬と周辺の山々・岩岳山頂から 撮影:2017年 2月19日 白馬岩岳スノーフィールドにて 杓子岳(左)と白馬岳(中央) 岩岳山頂からは晴れていれば白馬三山(白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳)と唐松岳などの眺望が素晴らしい。この日は白馬三山の盟主・白馬岳は綺麗に見えていたが、白馬岳から左側に連なる白馬鑓ヶ岳と唐松岳、杓子岳はガスの中。 杓子岳だけが辛うじてガスの合間から顔を出してくれた。他の山々は終日顔を見せてくれなかった。この日は唐松岳に繋がる八方尾根の上部も終日、見ることは出来なかった。 雪煙をあげる白馬岳(標高2932M) 白馬三山の稜線の向こう側は黒部峡谷になる。日本海からの強風は、黒部峡谷を越して白馬岳の稜線に雪煙を舞い上がらせている。杓子岳や白馬鑓ヶ岳を覆い隠しているガスも黒部峡谷から湧き上がったガスと思われる。 岩岳山頂からは、安曇野を挟んで白馬三山と反対側に位置する信越地区の山々の眺望もよい。生憎、僕は信越地区の山々は詳しくないので山の名前がわからないが、岩岳山頂からは360度の眺望が楽しめる。 辛うじて山頂がみえる杓子岳(標高2812M) ハイキングもしたことが無かった僕が、登山なるものを初めて体験したのが、この白馬三山の夏山縦走だった。写真では見えないが、白馬の大雪渓から白馬岳に登り、白馬三山を縦走して八方尾根から下山した。 思い出の白馬大雪渓への登山口の猿倉も眼下にあるが、やはり尾根に隠れて見えない。 八方尾根(中央上)と遠見尾根(左上) 雪のない本州のほぼ最南端に生まれた僕は、夏の大雪渓にも驚いたが、山頂には木が無く、岩だらけの岩峰の景色にも驚いた。紀伊半島の海辺の山々には山頂まで木が茂っており、眺望のない山が多い。 森林限界なる言葉も知り、そして、白馬山頂では大雪渓側のガスに浮かんだブロッケン現象が出迎えてくれ、夏山の素晴らしさや楽しさだけが初めての登山体験だった。それ以来、僕は山の虜になり、尾根歩きのみならず、冬山やロッククライミングに夢中になった。 信越の山々 その下山ルートだとばかり思っていた八方尾根を5年ほど前に、八方尾根の紅葉を見たいというカミさんにせがまれ、ガイドを兼ねて今度は逆に八方尾根を唐松岳まで登った。 目の前でガスに見え隠れする八方尾根も、いまは白一色に塗りつぶされているが、ダケカンバの優しい黄葉やナナカマドの目の覚めるような紅葉は見事だった。 ガスに煙る八方尾根(手前)と遠見尾根(上) 岩岳山頂から見渡せる山々の眺望は、若い頃から最近まで、この周辺で遊んだ山の記憶を呼び起こしてくれた。 インフォメーションセンターのオバさんの話によると、この岩岳山頂付近の秋は、やはりブナや唐松の紅葉が見事らしい。そして、スキー場のゲレンデ一面に植えられた夏のユリも。 色とりどりのユリの花越しに見る白馬三山のイメージは湧かないが、ブナや唐松の紅葉は見たい気もする。
|
|
岩岳山頂の霧氷・白馬岩岳スノーフィールド 撮影:2017年 2月19日 今年も霧氷の写真を写したいと思っていたが、岩岳山頂のブナの林で念願の霧氷に遭遇した。岩岳は八方尾根と栂池の間に位置しており、天気が良いと山頂からは白馬三山や上信越の山々など360度の眺望が楽しめる。 夜行バスを朝6時過ぎに降りると、前夜降った雪が積もって居た。時間が早くてチェックインが出来ないので、ホテルの休憩室に荷物を置いて、カメラだけを持って早朝の雪景色を写そうと散策に出た。 この日の天気予報は曇りだったので、古いカメラを持参した。天気予報が外れ、朝から晴天となったので、古いカメラを持ってきたことが悔やまれた。 ホテルの周辺を歩いてみると前夜の雪は20cm以上は積もって居た。7時前に下から岩岳山頂を見上げると、山頂の後ろにはガスがかかっていたが、山の木々に霧氷が付着しているのが確認できた。 拡大すると風に飛ばされた霧氷が。 8時過ぎに山頂に向かうことにして、ゴンドラの乗り場に向かう。ゴンドラのゲートに居た雪焼けした若い従業員に「今日は白馬三山は見えそう?」と聞いた。「昨日はお昼過ぎに一瞬見えたらしいですが、今日は微妙ですね」。 「今、山頂付近の霧氷が見えるが、大丈夫かなあ?」と聞いたら、「山頂に行くまで太陽で融けて落ちなければ大丈夫ですよ」と、当たり前のことを教えてくれた。 ゴンドラの山頂駅から出ると、大きなブナの木の枝に真っ白な霧氷が付着して朝日に輝いていた。僕は霧氷が落ちないうちに写真を撮りたかったので、カミさんには一人で滑るように言い残し、ザックからカメラを出してブナの林に向かった。 気温が低くて雪質も良い。手袋もしないで夢中でシャッターを切っていると、手が悴んできた。時折吹く強い風が地吹雪のように顔に雪を叩きつけてくる。 その風はブナの枝から霧氷を引き剥がす。枝から離れた霧氷は太陽にキラキラと輝きながら飛んで行った。まだクローズの標識の立っている白馬三山側のコースに、スキーをつけて居ないので踏み込んだ。 あいにく白馬三山には、黒部渓谷側から湧き出したガスが稜線を乗り越えて山頂を覆い隠している。そのガスはすぐ目の前に見えるはずの八方尾根までを隠していた。 霧氷は山頂周辺だけで撮影した。僕はスキーブーツを履いて居たので、ブナの森には入れないなかったが、小一時間霧氷の撮影を堪能した。 僕のとって霧氷は桜などと同じで、木の枝に咲いた雪と氷の白い花。清冽なその花の寿命は短く、見ていても飽きることはない。
|




