ワーク・アウト BARONの戯言!!

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日野周辺の散策

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夏椿

夏椿
撮影:2017年 6月13日
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 今、白い夏椿の花が爽やかに咲いている。夏椿とはよく言ったもので、五弁の花びらの縁取りがギザギザしているのが、通常の椿の花とは異なるが、花の形は椿とそっくりだ。しかし、夏椿の花は朝に開いて夜には散る1日花。

 沙羅とも呼ばれる夏椿は、奥多摩などを歩いていると登山道脇に自生した大木をよく見かける。すべすべとした綺麗な木肌をしている。山の中で見かけると、夏椿という名称よりもやはり沙羅の名前のほうがよく似合う。

 そして、沙羅の大木は樹高が高くて、下から咲いている花を見ることはできない。落花を見て沙羅の花の開花を知ることになる。

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 これは毎年のことだが、夏が近づく5月ごろからジムが混み出し、今ごろがそのピークを迎えている。少し小太りな若い女性や、もう少しシェイプアップしたい女性、お腹の出た中年男性やオバさん達、若い男性などが懸命にトレーニングに励んでいる。

 少し小太りの若い女性達は、決まってスマホを片手に少しトレーニングをしたと思うと、マシンの上でスマホ休憩にはいり、スマホをいじっている。

 これではジムに通っても効果がないだろうな?と思っていると、そのうちに顔を見なくなる。長年かかって溜め込んだお腹の脂肪がそう簡単には無くならない。

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 テレビで三流の芸能人たちが、弛んだ太鼓腹を3ヶ月で痩せたと宣伝しているCMが流れているが、彼ら彼女らは専属のトレーナーが着いて対応している。一度シェイプアップしても、その後の体型維持が大変となる。

 トレーニングで作った筋肉は、筋トレをやめると1ヶ月もすれば元の木阿弥となる。僕も最近は週に二回くらいのペースでトレーニングをしているが、歳をとると中々筋肉は大きくならないが無くなるのは早い。現状維持が精一杯の今日この頃である。

 今、混み合っているジムも9月の声を聞くとまた平常に戻る。トレーニングを始めた若い女性たちも、この夏椿の様に一夏でも、爽やかに咲ければよいが。
高幡不動尊のあじさい祭り・2017
撮影:2017年 6月4日
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 今年も高幡不動尊・金剛寺のあじさい祭りの季節が巡って来た。高幡不動尊は隣駅、早速あじさい祭りの様子見がてら、あわよくば気に入ったヤマアジサイの苗でもと出かけた。

 参道から山門をくぐり線香の煙が立ち上る境内に入る。高幡不動尊に来れば土方歳三像にも挨拶をする。あじさい祭りが開催されて最初の日曜日というのに、出店が殆ど出ていない光景をみて拍子抜けした。

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 目当てにしていたヤマアジサイの苗を売っているお店も出ていなかった。

 あじさいの開花状況は?と、裏山のあじさいの散策エリアへ向かう。西洋アジサイは殆ど咲いていなかったが、ヤマアジサイは我が家と同じくらいの開花状況だった。

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 やはり、西洋アジサイが満開にならなければ、アジサイの咲く景色は見栄えがしないので、一般客はまだ来ない?。それを見越して露店の人たちも出店計画を組むのか?。

 高幡不動尊の裏山には多くの種類のヤマアジサイが植えられており、ヤマアジサイでは有名なお寺らしい。それを目当てに遠方より高幡不動尊のヤマアジサイを見にくる人が大勢いると、昨年出店のオバさんが教えてくれた。

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 裏山に入ると木々の木漏れ日の下、散策路脇にヤマアジサイが沢山植えられており、その殆どがガクを広げて花をつけていた。

 裏山以外では境内にも沢山のヤマアジサイが植えられている。境内には我が家のベランダでもガクに赤みが増した「紅」があり、多くの人達がレンズを向けていた。

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 ヤマアジサイが咲く散策路では、それでもカメラを首からぶら下げた僕と同類や、多くの見物客とすれ違う。僕が散策順路を逆から入った?と思わせるほどだった。

 高幡不動尊の裏山に植えられているヤマアジサイは、白系と青系のヤマアジサイが多く、赤系のヤマアジサイは意外と少ない。これは僕の推察だが、裏山の土壌が酸性土壌で青系のヤマアジサイに向いているのかもしれない。

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 ヤマアジサイの植えられた散策路を歩いていると、欲しいと思えるヤマアジサイが沢山ある。一枝手折って帰りたい衝動に襲われる。手折らなくても花鋏を持って来て斬って持ち帰りたいと思う。

 持ち帰った枝は勿論挿し木をする。ヤマアジサイの挿し木は活着率が高いので容易に増やすことができる。これは未だに実行していないが、この計画は実行に移すことなく終わりそうだ。

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 昨年秋の紅葉の季節にも高幡不動尊に来た。その時に植木職人が裏山のアジサイの剪定をしており、かなりの量の斬った枝を集め積み重ねていた。品種がわかれば廃棄処分される枝を譲り受けたいと思った。

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 カミさんは毎週水曜日に高幡不動尊で開催されているお茶の教室に通っている。あじさい祭りの開催期間中はお茶の接待を茶室で受けられる。今月カミさんは水曜日と日曜日にはそれの担当になっているらしい。

 昨年もお茶の接待はやっていたが、僕は茶室には行かなかった。僕も子供達もカミさんの点てたお茶を頂いたことがないので、18日の日曜日には子供達夫婦全員で押しかけようという話になっている。

里山の新緑に浸る

里山の新緑に浸る
撮影:2017年 4月29日 南平丘陵公園にて
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丘陵公園のシンボルツリーのクヌギ 
 
 子供の頃から4月29日は「天皇誕生日」で祝日だった。今生天皇即位から「みどりの日」と改定され、僕は「みどりの日」だとばかり思っていたら、いつの間にか「昭和の日」になっている。

 調べてみると11年前に改定されたらしいが、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和を顧み、国の将来に思いをいたす」として「昭和の日」は制定されたらしい。

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ハリギリ

 祝日が5月4日に変わった「みどりの日」の制定理由は、「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心を育む」とある。

 小生などは、ウィークデーにはまだお呼びがかかることもあり、完全な毎日が日曜日になっていないので、理由はともあれ、日本国民としては祭日が増えることは望ましいが、祝日の意味をもう少し国民に知らしめたほうが良いのでは?。

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コナラ

 僕が住むすぐ近くに、南平丘陵公園がある。昔の里山をそのまま公園として保存することを目的に作られた日野市の公園で、園内に生えている樹木は萌芽更新が行われており、今その木々の若葉が目に眩しい。

 昔の里山の樹木の多くは薪や炭などに利用されていた。萌芽更新とは、薪や炭焼き用などに伐採された切り株から萌芽し20年位経つと、その成長した樹木をまた伐採して利用することをいう。

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ミズナラ

 里山のクヌギやミズナラ、コナラなどは、そのサイクルで成長伐採が繰り返されており、晩秋の落ち葉は集めて堆肥に、夏の下草は刈り取られて肥料や家畜の飼料となっていた。

 下草の刈り取られた里山の冬は日光が地表まで降り注ぎ、山野草がよく育つ。春先の里山には、スミレに始まりカタクリ、シュンランやヤマユリなど多岐に渡ったが、燃料や住宅事情の変化により里山が利用されなくなり、手入れがされていない里山では、カタクリやシュンランなどの個体数も激減している。

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カキドオシ

 多摩丘陵の一画を占めるこの地域は、水田はもとよりこの40年ほどで殆どの里山は、山の上まで宅地に開発されて、樹木が残っている丘陵を地図で見ると途切れ途切れになり、その面積も激減して公園などで保存されているのみとなっている。

 自宅近くで家庭菜園の手入れをしていた地元の人に聞くと、昔から住んでいる人は山裾の小高い地域に、この4、50年前から住み始めた人たちの多くは、山を開発した宅地か、水田を宅地化した平地に住んでいると教えてくれた。そう言われれば山裾地域には旧家が多い。

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エビネラン

 昔は川の氾濫で平地には住め無かったが、堤防が完備してから平地にも住めるようになった。山を切り崩した宅地に住んでいる人は、住宅ラッシュの頃からですよ。と教えてくれた。

 「昭和の日」の制定理由が破壊した日本の自然を、「みどりの日」に癒せという相反する理由の祝日がゴールデンウィークに存在した。

 出会う人の殆どいない広葉樹の里山を歩くと、時々若葉を揺らしながら、裏返しながら吹き抜ける緑色の風に出会える。その若葉の新緑の中に身を置くだけで元気が貰える。


蕗泥棒?と丘陵公園の緑
撮影:2017年 4月16日
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蕗の畑

 4月上旬、我が家の近くのソメイヨシノが満開の日曜日、朝から小雨が降っていたがお昼過ぎにその雨も止んだ。桜を見ようと散歩に出かけた。桜の導かれて丘陵を登って行くと道は行き止まりになった。

 山裾の緩い斜面には蕗の畑が広がり、竹林へと続いている。筍を採るのか孟宗竹の竹林は綺麗に整備され、その竹林に生えている大きな二本の山桜はもう散りかけていた。写真を撮るが雨上がりの少し靄った風景は冴えない。

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 元来た道を少し引き返えすと、オバさんが道路脇の空き地でヒメオドリコソウやホトケノザを除草していた。その叔母さんに挨拶して雑談をしていたら、蕗の畑のことが話題になった。

 何と蕗畑の持ち主はそのオバさんだった。「美味しそうな蕗ですね」と言ったら、「蕗がお好きなら欲しいだけ採って持ち帰っていいですよ」と言われたが、蕗を採って持ち帰る準備が無かった。

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 「後日頂きに上がりますから、その時は何処に連絡を?」オバさんは「連絡はしなくても、採って良いですから」と言われた。その言葉に甘えて、蕗が柔らかい今月中にと23日の日曜日に蕗を頂きにカミさんと畑に行った。

 蕗を採ったことがないカミさんに、小さい若葉と新芽を残す採り方を教え、短時間の内に持参した紙袋は一杯になった。2週間前に許可を貰っているとは言え、無断で名前も知らない他人の畑で蕗を採るのは、何となく泥棒をしているような気分で落ち着かない。

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桂の葉

 家に帰って計量をすると3Kgも頂いていた。奥多摩や裏高尾の道端で野菜などと一緒に売られている蕗を買ったことはあるが、自分の手で蕗を採るのは田舎を出てから初めてだった。

 太い蕗はその夜から煮物で食卓に上った。香りが良くて歯ごたえがないくらい柔らかい。大鍋が一杯の少し細い蕗は煮込んで翌日キャラブキになっていた。キャラブキも皮がほとんで気にならないくらい柔らかい。

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桂の木 種の保存のため、いち早く葉を落として、他の樹木が葉を出す前に日光を独り占め、いち早く成長する。

 カミさんは僕の母親が作っていたキャラブキの味に似せようと努力はしていたが、それにはもう少し時間がかかりそうだ。柔らかくて新鮮な蕗を久しぶりに堪能している。

 この新鮮で美味しい蕗に味をしめたカミさんは「また蕗を貰いに行ってこようかしら?」、「もう蕗の採り方を教えたから次回からは一人で大丈夫だろう?」。

 許可を貰っているとはいえやはり無断で採るのは、僕は何となく気が引ける。その点女性(我が家のカミさん)は逞しい。
高幡不動尊・戊辰戦争150回忌
撮影:2017年 3月18日 高幡不動尊にて
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山門の立て看板に貼られていたポスター

 今年で戊辰戦争開戦から150年、終戦から148年目の年になる。多摩地区・日野市は新選組の近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎が生まれた土地で、剣の腕を磨いた天然理心流の道場があった。新選組に関係が深いことからも日野市は新選組の故郷と呼ばれている。

 17日の読売新聞の地方版やポスターに「新選組隊士及び関係者尊霊、150回忌総慰霊祭」が、彼岸の入り18日に高幡不動尊で開催されると報じられていたので、近くに住んでいる僕は、境内に読経が流れる中、本殿の外から手を合わせてきた。

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 子供の頃、大佛次郎の小説を映画化した、嵐寛寿郎主演の鞍馬天狗で育った僕は、新選組は勤皇志士を斬り殺す悪いやつ等だというイメージしか持っていなかった。そして、佐幕派が悪者というイメージが刷り込まれていた。

 その後、色んな本を読むうちに、尊王攘夷を唱えながら、外国と手を組んだ薩摩、長州、土佐、肥後藩などより、自分たちが仕えた旧幕府に最後まで恭順を示し、最後まで戦った会津藩や新選組の近藤勇や土方歳三の生き方に共感するものを感じるようになった。

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上野の西郷像は実物と似て非なるものだが、土方像は写真とよく似ている。

 2枚目の画像の土方歳三像の右側に近藤勇・土方歳三顕彰碑が建てられている。 この顕彰碑の文字は苔生して不鮮明、その右側に立てられている説明書きには、本文の撰書は旧仙台藩の儒学者・大月磐渓、篆額は元京都守護職・会津藩主の松平容保、書は松本順。幕末の幕府側の錚々たる人達が関係している。

 顕彰碑を建立する際、松本順は篆額を最後の将軍、徳川慶喜に依頼したがただ涙を流すばかりで返事がなく、松平容保に依頼したと書かれている。

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 僕は松本順と新選組の関係は、吉村昭の「彰義隊」、旧幕府典医頭・医学所所長の松本良順(後年順に改名)を書いた「暁の旅人」を読んで知った。松本順は二条城に時の将軍家持の侍医として京都に赴任した折に、近藤勇や土方歳三と懇意になる。新選組の屯所や隊士の衛生面の指導をしている。

 松本順は幕府軍の軍医として官軍に追われながら、奥羽越列藩同盟の会津藩や酒田藩を支援する。幕府崩壊後、榎本武楊が率いる幕府残党が仙台に集結した折に、松本順を酒田から仙台に呼び寄せて函館への同行を求めている。

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サンシュユ

 その頃、土方歳三は函館戦争は勝ち目がないと見抜いており、松本順を死なせることは日本医学の損失と考え、江戸に帰るように説き伏せる。松本順はオランダ商船で仙台から横浜に戻り、その後暫くして明治政府の要請に応えて陸軍の初代軍医総監となっている。

 戊辰戦争当時の官軍は、敵方幕府軍の戦死者の埋葬を許可せず、錦の御旗を振りかざして官軍の中心にいた薩長土肥は武士道にも劣る行為をしていた。

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トサミズキ

 明治政府は明治7年に旧幕府軍の戦没者の慰霊を許可しており、その後に新選組の遺族や関係者等がこれらの顕彰碑の建立に尽力、紆余曲折を経て明治21年に高幡山・金剛寺境内にこの顕彰碑は建立された。

 戊辰戦争の戦没者は両軍合わせて8420名。この日は新選組の関係者によって、両軍分け隔てなく供養されている。しかし、いまもって明治維新は謎が多く残っている。

 新選組に関しては、中村彰彦著「新選組全史・幕末京都編」「新選組全史・戊辰函館編」にも、史実に従って詳細に記されている。

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