|
前回記事の漁港を出て、今にも雨の降りそうな天候の中、右手に太平洋を見ながら海岸沿いの一般道路を30分程北上した。海はかなり荒れていた。 基陸の町外れに入ったようで道路脇には商店が建ち並び、懐かしい色のネオンサインが点滅していた。 街に入りそれを抜けると、直ぐにこのヨットハーバーが現れた。 友人は「ヨットハーバーの夜景を撮影しましょう」と云って、一台も車が停まっていない駐車場の隅に車を停めた。 夕靄のヨットハーバー 三脚を持って行かなかったので、桟橋の手摺にカメラを固定して撮影したが、やはり夜景の撮影は三脚無しだと難しい。 台湾のほぼ最北部に位置する基陸(キールン)は一度は見ておきたかった。 理由は、日本が台湾を統治していた時代、この港は日本との重要な交易港、そして軍港だったから。 当時、台湾の特産品の樟脳や砂糖は、この港から日本に向けて輸出されていた。 基陸・廟口夜店の入り口 この場所はヨットハーバーで、軍港だった港は別の場所にあると友人は教えてくれた。 寒くなって来たので今夜の食事の場所、基陸で有名な屋台村、基陸廟口夜市に向かう。 途中で、クレーンや倉庫らしき建物が建ち並ぶ、基陸の港が右手に見えた。 基陸の有名な常設屋台村は、土曜日の夜のせいか人で溢れていた。歩くのも侭ならない。 若い男女、家族連れ等々で、どのお店も小さいが満席だった。 この廟(お寺)を中心にして、門前に夜店街が出来たようだ 友人は「食べたいものが有ったら?」と云われたが、現地食は何を食べて良いのか分からない。 薦められるままに5店の屋台をハシゴしたが、最後の1軒はもう何も食べられなかった。 値段は一品が日本円にして70円〜200円くらいだが、どの屋台も結構美味しい。 僕は少し食べ過ぎてお腹が苦しかった。 基陸から小雨の降る高速道路を走り、台北のホテルに帰りついたら時計は現地時間で9時半を回っていた。
この日は生憎の天気だったが、朝から夜まで観光客・・・一日中良く遊んだ。 |
台湾の景色
[ リスト | 詳細 ]
|
前回の記事の場所を出て、高速道路を少し走り直ぐに一般道に降りる。道路は市街地を抜けて海沿いに出る。 空は相変わらず鉛色、右手に太平洋を見ながら北上する。 鉛色の空と太平洋は余り遠くないところで溶け込んでいた。 海岸沿いに30分くらい走ると、この小さな漁港に出た。 駐車場から漁港を見ると、その狭い漁港には海面が見えないほど漁船がひしめいていて、この漁港よりも駐車場の方が広く感じた。 台湾の宣蘭から北部の太平洋岸は、広い砂浜も無いが大きな入り江もない。 中途半端な岩礁の間に狭い砂浜が交互に続いている海岸線では、大きな防波堤の内側に漁港を作らざるを得ない。そして漁港も少ない。 駐車場から階段を10段ほど下りると、狭い緩やかな坂道の両脇はテント張りの魚屋さんが並んでいた。 裸電球がぶら下がった店頭には、シラス、乾した小魚、茹でた鮫の肉、イカ等、諸々の加工した魚が入ったザルが並び、その上ではハエを追い払う為の電動ハタキが無表情に回っていた。 生魚は?と思ったら、水揚げされたその場所で朝市のように魚が売られていて、買い物客は海との店頭の間の狭い通路を、魚を探しながら歩く。 魚屋は漁師が直売しているらしく、家族総出の営業をしていた。 魚のハラワタを若い女性が抜くと、それを直ぐ前の海に捨てる。それを狙って今度はカモメが群がる。 この漁港で魚を買うのが目的の人は、用意周到で長靴を履いていた。 漁師直売なので、活きの良い魚が並んでいる。鯵や鯖、鱧など半分位は日本でも馴染みの魚だった。 友人はシラスを3パック買った。値段は日本の半分くらいか? シラスの隣のザルに、茹でた小さなキビナゴが盛られていた。 僕はザルから一尾取って食べた。塩味が程よく効いていて白いご飯が欲しくなった。 台湾も日本と同じく周りは海、皆さん魚がお好きなようだ。
|
|
台湾の僕の友人は、バード・ウォッチングを趣味にしている。 今回、海辺の彼がバード・ウォッチングに通っているサイトに連れて行ってくれた。 太平洋の海岸に程近い、場所に展望台が作られていた。 2枚目の写真の水田に飛来する渡り鳥を観察しているようだが、丁度この季節は、渡り鳥が大陸やシベリアに去った後らしく、殆ど野鳥を見ることが出来なかった。 天気が悪くて視界は無かったが、水田の向うの林の先には太平洋が広がっているらしい。 砂地の林の中の遊歩道を駐車場まで暫く歩いた。 遊歩道脇にはランタナが沢山自生していて花を咲かせていた。ランタナは台湾では珍しくはない植物だ。 昨年暮れに、台湾を訪問した時に綺麗に咲いていた、一枚目の写真の花を道端で見つけた。 あれから半年経っているが、この花はまだ咲いていた。 花の名前を友人に聞いたが、野鳥には詳しい友人も花の名前は殆ど知らない。 調べておくと云ってはくれたが、未だにメールは無い。 山に咲く台湾の桐の花 桃園から台北へ向う高速道路の両脇の山の中に、白い花が咲いているのが見える。 花に詳しくない友人が、台湾の桐の花だと自信を持って教えてくれた。 日本の桐は薄紫の花を付けるが台湾の桐は白い花だった。 桐の花が咲いている状態は、丁度日本の春先の山桜のような感じがした。 走っている車から撮影したがので、何と無くピントが甘い。 今回の出張では、南国らしい珍しい木花が色々咲いていたが、レンズを一本しか持って行かなかったので、殆ど花の撮影はしなかった。
|
|
台湾で天気が良い日が2日間だけあった。その二日目の朝、6時過ぎに散歩に出た。 外の体感気温は25度位か?少し蒸し暑い。この日の午後は30度は越していたと思う。 以前の記事の、前夜の余韻が残る歓楽街を抜けると、緑が一杯の大きくて綺麗な公園に出た。 7時前の強烈な朝の陽射しが照りつける公園では、幾つかのグループが運動をしていた。 30年位前は、朝の公園での運動は殆どが太極拳だった。 最近は、ラジカセで音楽を流しながら、揃いのユニフォームを着てエアロビクスのようなグループエクササイズをやっていた。 どのグループも直射日光を避けて、大きな樹の下の寄り集まっている。 参加者は中高年のオバサンが殆どで若い人の参加者はいない。 台湾でも元気が良いのは、日本と同じくオバサン達だ。 公園の反対側で同じようにエクササイズをやっているグループがあった。 近寄って見ると、こちらも同じようにラジカセで音楽を流していた。こちらのグループは高齢者が多い。 そのグループの中心には、馬に乗り、剣を突き上げた武人の勇壮な銅像が、立派な大理石の台座に建っていた。 正面に回って大理石の台座に刻まれた文字を見た。 岳武穆王(ガクブボクオウ?)銅像と刻まれていた。 調べてみると南宋時代の名将で通称・岳飛、関羽と並んで、今でも武の神様として中国、台湾で慕われている名将の銅像だった。僕は張飛は知っていたが岳飛は知らなかった。 エクササイズが終わると、公園は朝の社交場に早代わり。 思い思いの小さなグループに分散して、オバサン達は話し込んでいた。 台北の朝は、夜の名残りの疲れた若い女性達と、中高年の元気なオバサン達だけが活動していた。
|
|
僕は雨の日は目覚めが悪い。雨以外に目覚めが悪い原因があった。前夜呑み過ぎたせいもあり二日酔いだった。 バスタブにお湯を溜めてゆっくりお風呂に入ったが、二日酔いはこれくらいでは取れなかった。 友人が9時半に「イーランに行きましょう」と、車でホテルに迎えにきた。 雨が上がりかけた天候の中、高速道路に入り宣蘭(イーラン)に向った。 途中で高速道路が山岳部に入ると雨は上がったが、今度は霧がかかっており景色は良く見えない。 霧の晴れた合い間から垣間見る景色は、急峻な渓谷が続きさながら深山幽谷。お茶の産地などがあった。 高速道路は、雪山隧道と書かれたトンネルに入った。 昨年僕は、テレビのディスカバリーチャンネルで、このトンネルの難工事の状況が放送されるのを見ていた。 落盤、硬い岩盤、地下水の大量噴出などで相当な難工事だったようだ。 台湾第二の高峰・雪山(標高:3886M)を貫通する全長12.9KMのこのトンネルは、2006年に開通している。 トンネルを抜けて、台湾北東部・太平洋岸の都市・宣蘭に入った。平野にかかる靄は益々酷くなっており視界がない。 高速道路を降りると、道路脇には青々とした水田は広がっていた。 日本の田園風景を思わせるが、田圃脇にはバナナの大きな葉が風にそよいでいた。 天気が良いと太平洋が綺麗に見えるようだが、太平洋は生憎の靄で霞んで見えた。 雨が降りそうだったので、友人は台湾・伝統芸術センターに連れて行ってくれた。 この台湾の凧は、その芸術センターの中にある、凧の博物館で撮影した。
天井には、鳥の形をした凧、魚の形をした連凧、船の形をした色取々・珍しい形の凧が天井からぶら下がっていた。 |




