ワーク・アウト BARONの戯言!!

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空蝉

空蝉

撮影:2011年 8月17日
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 丁度、1週間前に息子夫婦は孫だけを我が家に置いて、連れ立って外出をした。2歳と8箇月になる孫は、両親が居なくても我々と遊ぶようになった。

 4時過ぎに公園に僕と二人で遊びに行った。お盆明けのせいもあるが、4時過ぎの公園には小さい子供は誰一人として居ない。遊具を貸切状態で遊んでいたが、誰もいない公園はつまらないようだ。

 セミは鳴いているが姿は見えない。空蝉だけが桂の木の枝に沢山ぶら下がっていた。木の根元にはセミが抜け出した穴が無数に空いていた。

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 菅首相が脱原発を宣言して以来、新聞やテレビで賛否両論が繰り返されている。そして、退陣の条件の再生可能エネルギー法もどうやら可決の運びになったようだ。

 過日、僕が購読している新聞の社説に、菅首相の脱原発は個人的な意見であっても周辺に対する配慮がない。折角高い開発費をかけて作り上げたプルサーマル原子炉の「もんじゅ」や、六ヶ所村の再処理工場が無駄になると言う意味の、信じられないような社説が掲載されていた。

 僕はこの社説こそが配慮や科学的な根拠のない、原子力産業擁護の最たる意見だと思った。40年間も膨大な(一兆円と言われているが、事実は3兆円位らしい)開発投資をして完成の目処が立たない、冷却用ナトリウムが空気に触れると何時爆発が起きるかも知れない危険極まりないプルサーマル原発の「もんじゅ」などは、これ以上無駄な投資を辞めて即刻廃炉にすべきだ。

 この原発の冷却用のナトリウムだけでも、毎年200億円の予算が捨てられていることすら、社説を書いたご本人はご存知ないのでは?・・・いや、社説を書くほど見識の有る方だから知っていても書かなかった?

 また、後日の記事に国民が放射能汚染で困惑している現状をみて「小学校から放射能の正しい知識を付けるための教育をしないといけない」とも書かれていた。

 福島原発の事故の後でさえ、原発は安全でクリーンエネルギー、多少の放射能は浴びたほうがかえって健康になるというような、プロパガンダ記事が書かれている昨今、原子力を推進してきた文科省が教える放射能教育はより危険だ。

 このような状態では、日本のテレビや新聞が原発事故の真実を報道する時期は、永遠にやって来ないような気がする。

 今の日本は何を信じて良いのやら?・・・このセミの抜け殻のように、今の日本は全てが中身のない欺瞞だらけの空蝉状態になっている。

津村節子氏のトーク&サイン会へ

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撮影:2011年 8月5日 東京の夏空

 7月31日は吉村昭氏が亡くなって5回忌にあたる。丁度その5回忌にあわせて、津村節子氏の「紅梅」の単行本が発売された。

 その「紅梅」の新聞広告の片隅に、8月5日に神田の某書店で開催されるトーク&サイン会の案内があった。要予約と書かれていたので、早速電話で予約を入れておいた。

 私小説の「紅梅」は、吉村明氏が自分で栄養補給ポートを外しての壮絶な死に至るまでの一年半の闘病生活が綴られている。雑誌「文學界」の5月号に掲載されていたので僕は既に読んでいた。

 僕は津村節子氏のファンではないが、吉村教の信者なのでその奥さん・芥川賞作家の津村節子氏のトークに興味があった。

 会場には開演の45分前に入り、「紅梅」の単行本を買って最前列に陣取った。公演は執筆活動を制限していた津村氏に「紅梅」を書くに至らしめた編集者とのトークショーで、「紅梅」を執筆するに至るまでの編集者との駆け引き、書いた後の友人でもある瀬戸内寂聴氏の反応などに推移した。

 没後3年間は自分を素材に文章を書くなと、吉村昭氏が言い残していたことも知った。

 吉村昭氏のエッセイの中に、津村氏の故郷・福井県で吉村氏のサイン会を開いたら、津村氏の小説にサインを依頼されたという行があったので、僕は吉村昭氏の最新刊「履歴書がわりに」の単行本にあわよくば津村氏のサインを貰ってやろうと、バッグに忍ばせていた。

 サイン会が始まる前に書店の担当者から「本日は参加者も多く、津村氏はご高齢なので本日のサインは、「紅梅」だけに限らせていただきます」と釘をさされ、それは叶わなかった。

 「最近はサインまで吉村に似てきたと言われています」と言いながら、几帳面な毛筆のサインを頂いた。津村氏の隣でお店の若い女性が落款を捺してくれた。

 吉村氏の「蟹の横ばい」というエッセイの中に「逆立ち女房」という項がある。「小説を書く女を妻にしている意識はうすく、ひとりの女を妻にしているという気持ちしかない・・・異性としての魅力を見出している」と書かれていた。

 そして、おっちょこちょいで恥じらいのある女性でそれがまた好ましいとも。吉村昭氏の愛した津村節子氏は知的で少し控えめな可愛い女性に見えた。

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先ずはこの桜が売られた!

撮影:2010年 春
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 東電の福利厚生施設の総合グラウンドが、杉並区に売却されるらしい。季節はずれのこの桜並木は、その東電の総合グランドの入り口の桜並木だ。

 生憎、今年はこの桜並木の写真は写さなかったが、昨年までは散り際に毎年写していた。ウィークデーはこの並木道を通る人も少なく、雨が散らした花弁が、雪が積もったかと間違えるような年もあった。

 福島原発の事故の後、補償の原資として東電の資産売却の話が浮上した。真っ先に尾瀬の土地の売却の話が出ていたが、僕はこの東京ドームの敷地と同じ面積のグランドが、先ず売りに出されるのでは?と思っていた。

 このような運動施設は売却するには都合が良く、場所は住宅地のど真ん中で立地条件が良い。そして、神田川にも接している。路線価で190億円くらいらしいが、杉並区は防災機能を備えた運動公園にするらしい。

 この場所は我が家から2KM位、僕のジョギングコースの途中にある。余りにも施設が充実しているので、最初は何処が所有しているグランドかと思った。地図を見ると東電の総合グラウンドだった。

 僕の弟はこのグランドの直ぐ近くに住んでいる。そして、姪の結婚相手は東電の社員だ。公認会計士をしている姪が結婚相手を紹介してくれた時に「叔父さん、東電なら会社が潰れる心配がないでしょう?」と、云っていたのを今でも鮮明に覚えている。

 姪にとって今回の事故は「まさか?」の話だと思うが、東電は資産の売却を始め、会社が潰れる寸前まできている。巨額の補償費にはこのグランドを売ったくらいの金額は、焼け石に水だと思うが。
 

紅梅と吉村昭

紅梅と吉村昭

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 4月のある日の朝刊に、津村節子氏の「紅梅」という私小説が「文樂界」に掲載されると出ていた。津村節子さんはご存知の通り故吉村昭氏の奥さん。新聞には故吉村昭氏の間際の様子が描かれていると書かれていた。

 早速、発売日を待ちかねて本屋さんに行き「文樂界」の5月号を購入、帰宅して一気に読んだ。小説には、自宅療養中に自分でカテーテルポートを引き抜き、延命治療を拒んだ壮絶な最後が描かれていた。

 吉村昭氏の小説には、人間の生と死をテーマにして、死をテーマにした作品には死臭が漂ってくるような作品が多くある。津村節子氏の「紅梅」を読んで彼らしい最後だったのだと再認識をした。

 3.11の大震災の後、度々新聞に彼の作品「三陸海岸大津波」と「関東大震災」が取り上げられている。

 僕も3月12日のブログ記事で、テレビから流れてくる震災の映像は、故吉村昭氏の小説「三陸海岸大津波」と「関東大震災」を、彷彿とさせるという内容の記事を書いた。

 それからもう一度、この二つの作品を読み返してみると、津波は人間の想定する範囲を大きく越えること、震災は間違えた風評が流れることへの警鐘が鳴らされている。

 新聞には、吉村昭氏のことを「想定の外を見ていた人がいた」と評していた。

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 先週、友人が原発事故関連のことがよく判る本はないかと言われ、八重洲のブックセンターに入った。入り口に平積みされた震災関連の本の中に「三陸海岸大津波」の文庫本を見つけた。

 今朝の新聞に増刷が20万部になり、その印税を津村節子さんが、被災地の一つ岩手県・田野畑村に寄付するという記事を見つけた。

 三陸海岸をこよなく愛した吉村昭氏は、死しても三陸海岸に思いを寄せているようだ。


*季節外れの紅梅の写真は、一昨年に吉野梅郷に在る、吉川英治の奥さんが始めた、和菓子屋「紅梅苑」の白壁をバックに咲いていた紅梅を写した。

羽田と機上からの富士山

撮影:2011年 3月18日 
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 3月18日、僕は羽田から南紀白浜行きの飛行機に乗った。羽田空港でチェックイン済ませ、小1時間余裕があったので送迎デッキで飛行機でも写して時間を潰そうと思った。しかし、送迎デッキへのルートが判らなかった。

 送迎デッキは諦めてそのまま出発ゲートへ向った。3月13日に羽田からダイヤモンド富士を見ることが出来る。13日は生憎3時ごろから東京の空には雲が広がって来たので、僕は羽田には出かけなかった。

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 出発ゲートの窓から丹沢の大山が見えたので、もしや?と思って富士山を探したら、目の前の飛行機の光る尾翼の上に春霞に霞んだ富士山がかすかに見えた。

 オリジナル画像では1,2枚目とも太陽の真下、光る尾翼の上にかすかに見えるが、ブログにアップをすると画像が劣化をするのか、心眼でしか見えない位に霞んでしまった。
 
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 羽田は45年も利用しているが、羽田から富士山を見たのは今回が初めてだった。腕白坊主が3人、靴を脱いで窓際に上って、駐機場の飛行機や行き交う珍しい車を見てはしゃいでいた。

 機上からの富士山を写そうとザックからカメラを出していたら「デジタルカメラは電子機器なので離発着時は電源をお切り下さい」と、あたかも僕を注意しているかのようにアナウンスをされた。

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 飛行機は5時40分頃、伊豆半島上空を通過した。雪化粧をした富士山を見ることが出来たが、上空には雲が懸かっていたので薄暮の中の霞んだ富士山になってしまった。

 富士山が機窓から消えると今度は雪化粧をした南アルプスが眼下に見えた。飛行機が紀伊半島上空に差し掛かると、今度は紀伊半島内陸部の高度が2000Mに満たない山々が雪化粧をしており、紀伊半島は意外と気温が低い事が良く判った。

 飛行機は定刻の6時25分に南紀白浜空港に到着、1時間少々の短い空からの薄暮の風景を楽しんだ。

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