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今年もお盆は東京に居る。 ここ10年位のお正月とお盆、日本列島の民族大移動の時期は東京から動かなくなった。 両親が他界してからは、特にお盆の田舎にはご無沙汰している。 来週、長男がバイクでツーリングがてら田舎に帰ると云うので、先祖の墓参りは長男に任せる事にした。 昨夜の天気予報は東京は晴れマークになっていた。晴れならば裏高尾へタマアジサイの撮影にでもと計画をしていたが、天気予報に反して今日の東京は曇り空だったので、裏高尾行きは止めた。 それならばと午後からジムへと向かった。電車はガラガラに空いていた。 もしや?・・・ジムもやはりお盆の間は休館日、駅前の珈琲ショップで一休みをしてから帰宅した。 明日8月15日は64回目の終戦記念日を迎える。韓国や中国ではこの日を戦勝記念日と云っているが、戦争に負けたはずの日本では、何故か敗戦記念日としないで終戦記念日と云っている。 毎年、この季節になると戦争の特集番組が組まれて、戦争の悲惨さだけが報じられているが、戦争の真の原因は何処に有ったか?などという検証番組は、残念ながら殆ど見る事が出来ない。 昨日の夕刊一面に「元米軍捕虜 日本に招待」という見出しがあり、「駐米大使 5月に謝罪」というサブタイトルが付いていた。 フィリピンのバターン半島で米軍捕虜を行軍で2万人死なせたのが理由らしいが、日本は沖縄への爆撃、東京や地方都市への空襲、広島や長崎の原爆で大勢の非戦闘員が、ジュネーブ条約に反してアメリカに殺戮されている。 これに対してアメリカ政府は一度として日本国民に謝罪はないが、日本政府は64年も経った今でもアメリカに尻尾を振り続けている。日本政府もいい加減に毅然とした態度で総括をしないと、今のままでは先の戦争で犠牲になった多くの英霊は浮かばれない。
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諸々
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過日、古い写真を整理していてこの見つけた。 この写真に見覚えのある方もいらっしゃると思いますが、僕のお気に入り景色です。 もう一度この景色を撮影したくて、昨年もこの場所を訪問したが、池畔の松葉牡丹は植えられていなかった。写真も一期一会と言われるが、この写真を見つけてまさにその通りだと思った。 以前、ランダムでブログを検索していたら、あるブログのトップページに『このブログ記事へコメントを 頂く場合は不必要に改行、または行間スペースを空けないで下さい』と、書かれていた。 当時は何て我侭な事を書いているブログだろうと思った。 確かに記事本文中も写真が多かったり、行間スペースを不必要に取ると記事を読むのに、マウスのスクロールが大変になる。 コメント欄で不必要に改行や行間スペースが多いコメントもスクロールが大変で読みにくい。 ブログの記事やコメントを読みやすく書くのは、理系出身の僕には本当に難しい作業だ。 独り言でした。
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昨年の今日、橋本五郎氏の「吉村昭追悼講演」を、町屋の読売文化センターへ聴きに行った。 今日と異なり、昨年の今日は暑い一日で、7月31日は吉村昭氏の命日だった。 僕は、この一年で吉村作品を50作品ほど読んだ。最近は本屋の文庫本コーナーよりは、僕の本棚の方が同氏の作品は充実している。 同氏の作品は戦記物から読み始めた。戦艦武蔵、零式戦闘機、深海の使者等々、従来の戦記物に無い筆致で書かれていた。漂流物、幕末の医師、蘭学者、彰義隊、日本の幕末の運命を分けた事件などを主題にした作品は、時間を忘れて読んだ。 お陰で僕の幕末史観が随分と変わった。 同氏の作品はどれを読んでも中り外れが無いと、橋本五郎氏が言っていたがその通りだった。 昨日ジムの帰りに本屋に立ち寄り、同氏のコーナーを訪れた。 遺稿の「死顔」が文庫本になっていたので、迷わずレジに持って行った。 今日夕刻から読み始めて、先ほど読み終えた。 氏は自分でカテーテルを外して延命措置を拒み、自ら死を選んだようだが、その死に方は周辺からは自然死として高く評価をされている。 葬儀は身内だけ、香典は受け取るな、死顔も近親者以外には見せるな。と遺言されていたようだ。 3週間前に、僕と同い年の友人が肺癌で亡くなった。 東京が梅雨明け宣言をした直後に、通夜とその翌日真夏の太陽が照り付ける中で葬儀が行われた。 友人の死は通夜の当日の午後に知った。ジムに行く予定にしていたが、急遽喪服に着替えて通夜に行った。斎場は、偶々ジムの近くだった。 小さなソフト会社を経営していた友人の葬儀は社葬で執り行われた。会葬者全員が友人の死顔に別れを告げた。闘病生活が長かったせいか、友人の死顔は心なしか僕にはやつれて見えた。 今日、吉村作品の「死顔」を読んでいて、ふと今月亡くなった友人の事を思い出した。 友人は昨年から自分の死期が近付いている事を察知しているかのように、色々と身辺の整理をしていた。 僕には何と無く友人の行動がそのように見えていた。 遅かれ早かれ100%の人に必ずその日は訪れる。僕もそろそろ、その準備が必要かも? 「死顔」・・・故吉村昭氏の遺稿に相応しく内容は重いが、僕にはどちらかと云うと爽やかな死生感を感じさせてくれる本だった。
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撮影:2009年 1月14日 新幹線 三島駅のホームにて |

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もうかれこれ一ヶ月前になるが、僕は空腹になると胃が痛くなった。 市販の胃薬を飲んでおけば治ると思っていた。 胃薬を飲みはじめて一週間が経っても胃の調子は一向に回復しなかった。 カミサンが胃腸科の病院が最寄駅の反対側にあることを教えてくれた。汚い病院だと付け加えて。 行くなら専門病院へと思い、その汚い町医者へ行った。病院のドアーを開けて中に入った。 近所の高齢者が数人待合室で待っていた。所謂、地域の町医者だった。 70代半ばと思われる先生が手際よく問診をする。奥の診察室でエコーでお腹を探り、別段他の臓器には異常が無い事を確かめてくれた。 「多分、胃潰瘍でしょう?」とのことで、薬を2種類出してくれた。 そして、「胃カメラで検査をするから明朝は何も食べないでいらっしゃい」と指示された。 翌朝、8時過ぎに病院に行ったら直ぐに診察台に寝かされて、50過ぎの看護婦さんに咽の麻酔薬を飲まされた。 今度の胃カメラ検査は、若い時は美人だっと思える70歳位の品の良い女医さんが担当した。 この病院は朝の8時半〜12時までの営業時間で、夫婦で経営している病院と思われた。 女医さんに「胃カメラ検査の経験は?」と聞かれた。僕は胃カメラ検査は初経験だった。 「直ぐに終りますから心配は無いですよ」・・・オェっとしながらその女医さんに手際よく胃カメラを挿入された。 モニターを見ていたら、サーモンピンクの胃壁の2箇所に白っぽい小さな潰瘍が写っていた。 僕の胃は立派な胃潰瘍になっていた。 前日に貰った薬を飲んだらその日に痛みは消えていたが「8週間は薬を飲みつづけてください」と指示されて2週間分の薬を出してくれ、ピロリ菌の検査をする為の採便キットを渡された。 自宅に帰り「胃潰瘍だった」と言ってカミサンに胃カメラの写真を見せた。 「どうしてストレスが溜まるの?」と聞かれたので、「家に居て何時も顔を突き合わせているからじゃないの?」と答えておいた。 この病院は外観が汚いし先生は高齢だが、流石にキャリアを思わせる的確な診察振りだった。 今回は、病院は外観では選んではいけない事を思い知らされた。 一昨日、最初に貰った薬が無くなったので次の2週間分の薬を貰ってきた。
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