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2年前、このブログから移転したのですが、 無関係の広告に占拠されたスペースに同居するのは、 私の神経では耐え難く、閉鎖いたしました。 このブログは、私の記録として、 中継リンクとして残します。 永い間、ありがとうございました。 Keiji ....
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Jaguar
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ココでBlogの楽しさを学びましたが 今後はGoogle Bloggerへと移行します。 これまで通りよろしくお願いします。 このBlogはこのまま残します。 .... |
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写真:車前部を壊し完走。夜のシェラトン・ホテルのゴール・ステージでホバート市長の祝福の握手を受ける。 |
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写真:スタートを待つ私とヤンとXK120S。この時は、まだミッレミリア的なパレード気分で有頂天であった。 PART: 3 遅れを取戻すため、この傷付いたXKで、まだ日本では未経験の高速で走らなければならなかった。ヤンは「速く!速く!」と叫び続け、私はステアリングを修正し続けた。XKは左へ左へと流され蛇行しながらも健気に走り続けた。やがて日が沈み闇が襲った。ヤンに2速では遅いと3速ギアを要求される暗黒の中のダウンヒルは、もう恐怖を通り越していた。XKの暗いヘッドランプを呪った。ブレーキは信用出来ず、ダメな場合は山肌で車を止めるつもりだった。私は死を覚悟してペダルを踏み続けた。助手席でのヤンの恐怖はどれ程であったろう。最後尾のオフィシャル車とパトカーは、もう直後に迫っていた。彼らに抜かれれば失格になる。緊張で喉がカラカラに乾き、胃液が唇を荒らしていた。 私たちの苦闘を見かねたのか、オフィシャル車が横に並び「フォローミー!」と叫んだ。誘導のため前に出てくれるのだ。そして、パトカーも後ろからライトアップしてくれた。長い長い時間だった。ゴールであるホバートの街の灯が黒い木々の間から小さく見えた。ヤンが何か言った様だったが、もう聞き取る余裕など私に残っていなかった・・・ PART: 4ーに続く ★他の参加車の物々しいラリー装備やインカム姿のドライバー達、TV,新聞の派手な扱いを私はバカにしていた。
しかし、最初のスペッシャルステージが終わった時、全てを理解した。その名が示す様に、タルガ・フロリオを範とし、全コース2000キロのハイスピード・ラリーだったのである。タコメーターの針がレッドゾーンに飛び込みっ放しになるほどブン回したが、30秒後、60秒後にスタートしたアルペンラリー仕様のヒーリーやフェラーリーに抜かれる屈辱を味わわされた。日本でメンテした足回りは初日に壊れてしまう激しさだった。 |


