Jaguar

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             新しいブログ移行先は下記アドレスです。
             http://wkeiji.blogspot.com/     
             上記アドレス(リンク)をクリックしてください。

             2年前、このブログから移転したのですが、
             無関係の広告に占拠されたスペースに同居するのは、
             私の神経では耐え難く、閉鎖いたしました。

             このブログは、私の記録として、
             中継リンクとして残します。            
             永い間、ありがとうございました。 Keiji






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引越先報告

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       新しい気持ちで元気にやっています。
       
       New Blog Link:
        http://wkeiji.blogspot.com/

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移動します。

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      ココでBlogの楽しさを学びましたが
      今後はGoogle Bloggerへと移行します。
      これまで通りよろしくお願いします。

      新しいBlog:
      
      Google Bloggerリンク:
       http://wkeiji.blogspot.com/

      
      このBlogはこのまま残します。
      
      
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写真:車前部を壊し完走。夜のシェラトン・ホテルのゴール・ステージでホバート市長の祝福の握手を受ける。

PART: 4

美しい港町ホバート。ゴールのシェラトン・ホテル周辺の沿道は群衆で溢れていた。人混みをかき分け、このラリーで知合ったドン氏が車に駆け寄って来た。" Keiji are you OK? " とっくにジャガーDタイプでフィニッシュし
た彼は心配して待っていてくれたのだ。彼の大きな手が肩に回された時、父親に抱かれた子供の様に私は涙を止められなかった。フィニッシュ出来たのだ。ホバート市長の握手を受け、ライトアップされたステージに私とヤンとXK120Sの名を告げるアナウンスが誇らしげに跳ね回った。

表彰式場ロビーで、ヤンは私の首にメダルを掛けてくれた。彼の首にも同じグリーンリボンのメダルが揺れていた。1992 CLASSIFIED OFFICIAL FINISHER と彫られた銀メダルだった。これまで覚えたことの無い感動が全身を満たした。そして、華やかなパーティ会場に入った。全てはヤンのお陰だった。この2000キロを走った5日間、彼は多くを語らなかったが、その行動から互いに信頼し合い、私は多くを学び取った。クラシックカーへの子供っぽい憧れや想い入れは、もう完全に色褪せていた。

別人の様にドレスアップしたヤンはポケットからホイヤーのストップウオッチを取り出し、忘れ物だと私に返してくれた。それは彼が自分の時計をシート下に落としたときに僕が貸したものだった。「思い出に貰ってくれ」ヤンに対する僕の最大限の感謝の気持ちだった。ヤンは照れた表情の後、それを大事そうにポケットに入れた。

しばらくして、ヤンから小包が送られて来た。MOTORと言うオーストラリアの雑誌だった。このラリーに参加したF1グランプリの伝説的英雄、S.モス、J.ブラバム、D.ヘルム達の写真に並んで、私のクラッシュ・シーンが紹介されていた。キャプションには下記の様に書かれていた・・・
" The Japanese entrant to fall foul of hazards was K.Keiji in his '54 Jaguar XK120S "

あれから、もう16年もの年月が流れた。でも、まだ私には昨日のことの様に甦る・・・     終わり


★オーストラリアでF1,WRCと並んぶ3大イベントと位置づけられるタルガ・タスマニア。人々の期待は大きく約2500人のボランティアが運営に参加していた。特に、私は日本からのエントリーとして歓迎され、観光大臣が席まで足を運んでくれる光栄を受けた。かっての白豪主義を知る私には感慨深いものがあった。

★ラリーはタスマニア島を完全閉鎖した公道2000キロを5日間で走破するが、ターマックのストレート、ワインディング、ヒルクライム、サーキットランと変化に富んだ風光明媚なコースで戦われる。タイヤは2セットが認められサポートカーが追走する。スペッシャルステージでの平均速度120キロ、50カ所に設置され56キロもの長いステージが含まれる。その激しさはシェルビー350GTでエントリーしたF1界の英雄スタリング・モスですら練習中クラッシュし手を痛めた程であった。

★タルガ・タスマニアは毎年開催されている。私が参戦した第1回は国際Aライセンスのみの制約だったが、現在は FIAスポーツ法典の車両規定に添った安全対策が求められる。ぜひ、お好きな方には参加を勧めする。

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写真:スタートを待つ私とヤンとXK120S。この時は、まだミッレミリア的なパレード気分で有頂天であった。

PART: 3

遅れを取戻すため、この傷付いたXKで、まだ日本では未経験の高速で走らなければならなかった。ヤンは「速く!速く!」と叫び続け、私はステアリングを修正し続けた。XKは左へ左へと流され蛇行しながらも健気に走り続けた。やがて日が沈み闇が襲った。ヤンに2速では遅いと3速ギアを要求される暗黒の中のダウンヒルは、もう恐怖を通り越していた。XKの暗いヘッドランプを呪った。ブレーキは信用出来ず、ダメな場合は山肌で車を止めるつもりだった。私は死を覚悟してペダルを踏み続けた。助手席でのヤンの恐怖はどれ程であったろう。最後尾のオフィシャル車とパトカーは、もう直後に迫っていた。彼らに抜かれれば失格になる。緊張で喉がカラカラに乾き、胃液が唇を荒らしていた。

私たちの苦闘を見かねたのか、オフィシャル車が横に並び「フォローミー!」と叫んだ。誘導のため前に出てくれるのだ。そして、パトカーも後ろからライトアップしてくれた。長い長い時間だった。ゴールであるホバートの街の灯が黒い木々の間から小さく見えた。ヤンが何か言った様だったが、もう聞き取る余裕など私に残っていなかった・・・
                                         PART: 4ーに続く


★他の参加車の物々しいラリー装備やインカム姿のドライバー達、TV,新聞の派手な扱いを私はバカにしていた。
しかし、最初のスペッシャルステージが終わった時、全てを理解した。その名が示す様に、タルガ・フロリオを範とし、全コース2000キロのハイスピード・ラリーだったのである。タコメーターの針がレッドゾーンに飛び込みっ放しになるほどブン回したが、30秒後、60秒後にスタートしたアルペンラリー仕様のヒーリーやフェラーリーに抜かれる屈辱を味わわされた。日本でメンテした足回りは初日に壊れてしまう激しさだった。

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