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このブログはぽんきちがドイツで暮らして,ドイツが第二の祖国,フライブルクが第二の故郷になった時,恐らくぽんきちの半生で一番輝いていた時からの,ドイツや世界への想いを更新しています.
今までの記事も,ぜひ,お読みください.
ぽんきちのドイツ人の兄貴は,小型飛行機の操縦が大好きです.
単独で操縦できるライセンスではなく,必ず教官が搭乗してないといけないんですが,恐らく,一人でも大丈夫です.
フライブルクでも何回か,ドイツ兄貴と教官が操縦する飛行機の後部座席に乗せてもらいました.
さて,ぽんきちが日本に帰ってからの事です.
ぽんきちはサーフィンが好きなので,ドイツ兄貴とハワイに集合して,1週間ほど一緒に過ごしました.
ドイツに住んでいた時から,ドイツ兄貴にハワイでサーフィンを教える約束をしてたからです.
ハワイでの抜けるような青い空が,ドイツ兄貴の空への想い目覚めさせ,小型飛行機でホノルル国際空港から遊覧飛行に舞い上がりました.
もちろんドイツ兄貴と,ハワイの教官の操縦で,そしてぽんきちはいつもどおり後部座席です.
ホノルル国際空港から離陸して,ノースショア,そしてダイアモンドヘッドをまわって戻ってくるコースです.
ご存知の方も多いと思いますが,ホノルル空港を飛び立つと,すぐに写真の米海軍基地,真珠湾の上空です.
写真の中央の大きな船は退役して博物館となった戦艦ミズーリで,東京湾に入港したこの船の艦上で日本は降伏文書に調印しました.
この船の後ろの右甲板にはちょっとした窪みがあります.
戦争がなければ,将来の日本を背負って立つはずであった若き搭乗員が神風特攻隊として体当たりをしましたが,角度が浅すぎて跳ね返され,修理の必要もないほど少しだけ甲板をへこませるために大切な命を落とした傷跡です.
彼は上半身だけが,船の甲板上に投げ出されたそうです.
蹴り落とそうとした兵隊を艦長がたしなめ,敵国とはいえ勇猛な戦闘員として全員で手厚く海に葬ったそうです.
左端の白い桟橋は,開戦時の真珠湾攻撃の際に,当時,世界最高水準であった日本の搭乗員が,世界最強の日本海軍航空機に搭乗して,水深が浅すぎて魚雷攻撃が不可能とされていた真珠湾を攻めるために,世界最高技術を誇った日本海軍の開発技術で完成させた新型魚雷を使って撃沈し,今でも沈んだままにされている戦艦アリゾナの上につくられたアリゾナ記念館です.
ぽんきちは,日本海軍搭乗員と同じ目線で真珠湾を見おろす事ができました.
北海道の単冠湾から遠くハワイ近郊まで侵入した機動部隊から未明に飛び立ち,地形が似ている鹿児島県桜島で訓練に訓練を重ねた搭乗員が,日本を護るためと信じて,次々と投弾していった際に機上から目にした風景は,おそらくこの写真と変わらないのでしょう.
搭乗員の多くは,その後の消耗戦により,大半が散華しました.
この風景に当時の搭乗員の祖国日本を愛し,攻撃に高揚する気持ちを感じることができたと同時に,多くの犠牲のうえに得ることができた平和な時代に生まれてきたことに深く感謝します.
明日は,1941年の真珠湾攻撃の日です.
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