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■ 慶長遣欧使節団
今をさかのぼることおよそ400年の昔、1613年10月28日(慶長18年9月15日)
宮城県牡鹿半島の月の浦を、遣欧使節団が出帆した。
支倉六右衛門常長を筆頭とする総勢180人余の一行は、太平洋を大きく横断してメキシコを
経て、イタリアのローマに向かった。船の名は、サン・ファン・バウティスタ号。[写真]
日本人の手で初めて作られた500トンの洋船である。
仙台藩主・伊達政宗の命を受け、メキシコ、スペイン、イタリア、そしてバチカンと旅した遣欧
使節の最後は、惨憺たるものであった。
スペインで洗礼を受け、キリスト者となるが,出帆から7年後に日本に戻った時は,折しも
厳しい禁教令下であった。そのため、常長の帰国後、彼がどこに住み、どのような日々を送って
いたのか全く謎なのである。しかし、彼の死後、一家から多くのキリスト者が現れている。
また、遣欧使節団のなかには、そのままスペインに残った人々がおり、子孫600人が現存
している。名前も「ハポン」(日本)さんである。
http://www.athome.co.jp/academy/japanese_history/jph04.htmlに慶長遣欧使節団のことが
紹介されている。
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支倉常長やジョン万次郎を、もっと、高く評価して欲しいですよね。
2008/8/19(火) 午後 3:04