おやじの戯言(たわごと)

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●ポルトガル訪問記

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■ジェロニモス修道院
   エンリケ航海王子が船乗りたちのために建てた礼拝堂跡に、マヌエル1世が1502年に着工
  したマヌエル様式を代表する建物。白亜の修道院は近づくほどにその壮麗さが実感できる。
  [写真:上]

   建築に当たったのはボイタック。彼の死後、スペイン人ジョアン・デ・カスティーリョが
  引き継いだ。ボイタックは、ほかにもセトゥーバルの教会など多くのマヌエル様式のモニュメント
  を残した。正門(南門)は聖母マリアに捧げられたもので、入り口の上部にエンリケ航海王子
  の像。

   ティンパヌム(入り口)上の楯型壁部分には聖ジェロニモスの生涯が彫られていて、この
  修道院の名の由来となっている。[写真:中1]

   西門入り口はニコラ・シャンテレーヌの作。入って右手にポルトガルを代表する人で
  『ウス・ルジアダス』の作者ルイス・ヴァス・デ・カモンイス、左手にはインド航路を開拓した
  ヴァスコ・ダ・ガマの石棺が安置されている。[写真:中2]

   この修道院の最大の見どころは、55m四方の華麗な回廊で、一階はボイタック、2階は
  ジョアンの手による。壮麗、繊細な建築は大航海時代の繁栄のシンボルである。。[写真:下]

城塞都市エルヴァス

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○ エルヴァス市
  人口15,000人の国境の町。城塞都市で、ローマ人やアラブ人の建てた城や4階建て(高さ80m)の
 水道橋(15〜17世紀)[写真:上]があります。アーチの間から眺める田園風景が素晴らしい。

  見どころとしてはマヌエル様式の中央教会、ルネサンス様式の聖女コンソラサオン教会やサンタ・
 クララ教会(17世紀)があります。

  エルヴァスは、エストレモースから東へ55km、エヴォラから約100km、スペイン国境まで10km
 ほどの町です。

  

絶品の黒豚の生ハム

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  エヴォラ市からの車窓風景は、コルクからオリーブ畑へと変わり、行けども行けども、オリーブ
  ばかり。

  途中トイレ休憩に立ち寄った店で試食した黒豚の生ハムは絶品[写真]。
  この黒豚は、放し飼いにしてドングリを食べさせ育てる。
  肉は1年半塩浸け熟成させる。6,000円/kg 

リスボン滞在最終日

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9月26日(木)晴れ(視察〜バイロ・アルト地区) 
 7:00 朝食
 9:00 ホテル出発(専用バス)
14:00 アルコデアーチ(花のアーチ)店で昼食
      パスタ入りチキンスープ(美味)、ローストチキン(人参・ポテト・トマ
      ト添え)、地ワイン、ケーキ、コーヒー
      この店は、1755年の地震でも倒れなかった。
      ポルトガルの住まいは1階は家畜、2階が住居であった。ポルトガルの家は、北部地方は
      御影石造り、南部地方は煉瓦造りが多い。
15:00 ホテル帰着。

15:20 バイロ・アルト地区散策その2
      もっともリスボンらしい古い町並みと煉瓦造りの軒並みが連なり、行き交
      う人々も、心なしレトロな感情を覚えた。 坂の上り下りや協会の佇まい
      が、リスボンの風景に溶け込み、詩的な気分になる。
      あまり遠くまで歩きすぎカイシュ・
      ド・ソドレ駅近くの店でひと休み後、タクシーにてホテルに戻る(3.75ユーロ)

19:30 Loreto12店にて夕食(ルイス・デ・カモンエス広場近く)
      タコのリゾット(ジャポニカ米をおじや風に焚いたもので、タコが味の決め手のようだが、
      なにせ塩辛い)、トマトスープ(美味)、メロン。
23:00 出発の支度をして就寝。

写真説明:[上]「リスボン市内を走る市電」・・・坂道が多いリスボンには必要な乗り物である
     [中上]「レトロな気分のバイロ・アルト」・・・市電がよく似合う街
     [中下]「カモンエス広場」・・・夕暮れが迫る19:30
     [下]「レストラン“Loreto12店”」案内役の吉田さん

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[ファド]
  ファドの起源には諸説ありますが、DVD「アマリア・ロドリゲスの芸術」(東芝EMI)の解説に
 わかりやすく書いてあるのでそちらを紹介します。
  ポルトガルの首都リスボンに生まれた歌曲形式 <<ファド>> の起源について、確かなことは
 わかっていない。

  ある人は、かつてこの土地を占領していたイスラム教徒の影響により、11〜12世紀の
 アラビアの歌謡に発しているという。これはあまりにも遠すぎる説だけれど、ポルトガル音楽
 全体にアラブの影響があることは本当だ。

  「アラビア風というと、みんなスペイン音楽だと思うけれど、ポルトガルにもすごく残って
 いるのよ」と、アマリア・ロドリゲスさんも実例を歌ってくれたのを思い出す。
  わりあい広く認められている説は、ポルトガルの植民地だったブラジルに生まれた
 「悲しげな舞曲」の形式ファドが、ポルトガルに逆輸入されたというものだ。

  ファドはアルゼンチン・タンゴと共通点があると指摘する人もいる。このビデオで、アマリア
 さんが若いころ、偉大なタンゴ歌手カルロス・ガルデルの歌が好きだったと言っている。大いに
 共感するものがあったのだろう。ファドもタンゴも港町に生まれ、根無し草の旅人の心情や、
 失意の悩みをもった歌だ。

  アマリアさんは、あるとき言った。「ポルトガルでもアルゼンチンでも、貧しさは同じなん
 ですよ」そう、ファドはリスボンの貧しい下町、昔ながらの石畳の街で生まれ育った、悲しみを
 宿した歌である。19世紀前半に、今のようなファドのスタイルがすでにあったと思われる。

  10代のアマリアさんがデビューしたファド・クラブの名前が <<セヴェーラの隠れ家>>
 ─ セヴェーラは伝説的な女性のファドの歌い手である。彼女は1846年に肺病で亡くなったが、
 そのとき街で歌われたファドの歌詞が残っている。

  「泣け、ファドの歌い手たち、泣け!セヴェーラはもう死んでしまった」
 ファドはやがて、酒場や民衆サロンの狭い場所から出て、劇場でも公演されるようになった。
 たくさんの素晴らしい歌い手たち(大半は女性だった)が登場し、すぐれた作詞・作曲家(多くは
 ギタリストであった)が参加してくる。

  小さな国ポルトガルの首都の一画に生まれた貧しい歌ファドは、外国にも浸透していく。
 その歴史のひとつの頂点が、ファドというジャンルを超えた、20世紀の世界の最高の女性歌手の
 ひとり、アマリア・ロドリゲスである。
 http://www.geocities.co.jp/Hollywood/4061/index_j.htm より。

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