おやじの戯言(たわごと)

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●スペイン訪問記

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10月4日(金)晴(スペイン〜ロンドン〜日本)
 6:45 リッツホテル出発
 7:30 バルセロナ空着、出国手続き、免税証明。[写真:バルセロナ空港]
11:30 2時間遅れでバルセロナ空港離陸(BAW477)
12:20 ヒースロー空港着[写真:ロンドン市上空]
13:40 BA05便にてヒースロー空港離陸。

サグラダ・ファミリア

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■ サグラダ・ファミリア
   プロベンサ通り、またはマヨルカ通りを進めば、アントニオ・ガウディ設計の教会、聖家族
  教会が見えてきます。現在もまだ建設中のこの教会には3つのファサードがあり、東はキリスト
  の生誕、西はキリストの受難とその死、そして一番大きな南のファサードはキリストの栄光を
  物語っています。

   各ファサードの4つの塔は12使徒を、また、後陣の丸屋根は聖母マリアをそれぞれ表した
  もの。身廊を支える傾斜した支柱など、設計は全て複雑な双曲デザインを組み合わせたもの。
  後陣の壁面に刻まれた動植物のモチーフも非常に独創的です。生誕のファサードにも、同様に
  自然をテーマにした装飾が細かくほどこされています。

 このファサードには3つの入口があり、上部の4本の塔は一番高いもので107m。先端は
  カラフルなモザイタで飾られています。唯一ガウディ自身が指揮を執ったこの生誕のファサード
  以外では、西側のファサードの工事が比較的進んでいます。この工事を担当している建築家運は、
  ガウディのオリジナル設計を最大限に生かしながら、さらに自分達の発想を加えて作業を進めて
  います。

シベーレス広場

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■シベーレス広場
  マドリッドでも特に重要な建物に囲まれたシベーレスの噴水は、この街のシンボルの一つです。
 周辺の主な建物を、時計周りに見てみましょう。まず、広場の北西方向、アルカラ通りに面した
 庭園の奥にあるのは軍事総司令部。この建物は1769年に建てられた、旧ブエナビスタ邸です。

  その向かいには1878年に建てられた、ネオ・バロック様式のリナレス邸があり、現在は
 アメリカ文化センターとして使用されています。広場の南東方向の角に建つ、ネ才・クラシック
 様式の大きな建物、これは中央郵便局です。建築家オタメンディとパラシオスによって、
 1905年に建てられました。

ローマ橋&ユダヤ人街

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■ ローマ橋[写真:上]
  グアダルキビール川に架かるローマ橋は、イスラムの地理学者アル・イドリシがその美しさと
 堅固さはどの橋にも優ると評したように、現在もその勇姿を水面に映しています。ただし、改修が
 繰り返されているため、オリジナルのローマ時代の部分はほとんど残っていません。

  片側の手すりには、その真中にサン・ラファエルの像が安置されています。1651年に作られた
 この像の足元にはいつもろうそくの火が絶えず、地元の人々はこの前を通る時には、帽子をとって
 敬意を表すのが慣わしです。

  橋の手前、旧市街側にあるのは、ブエンテ門です。フェリペ2世の時代にエルナン・ルイスに
 よって設計されたこの剴抜門が建っている場所は、最初はローマ時代の門、後にイスラムの門も
 建っていた所で、まさに街の入口と言えるでしょう。


■ ユダヤ人街 [写真:下]
  メスキータの北西の角から延びるフデリーア通りの先がユダヤ人街で、カルとも呼ばれている。

  1492年にカトリック両王による追放令がでるまで、多くのユダヤ人が住んでいた。
 狭い石畳の通りは、当時の面影を残している。

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■ カルロス5世
  半島の統一をすすめるイサベル・フェルナンド両王は、イベリア半島最後のイスラム勢力である
 グラナダ王国(ナスル朝)への攻撃を開始しました。そして、1492年1月2日、ついに
 グラナダ王国のアルハンブラ宮殿にイサベル・フェルナンド両王が入城しました。イベリア半島から
 イスラム勢力が一掃され、レコンキスタが完了したのです。

  この両王の宮殿入城を目撃していた群衆の中には、この年にアメリカ大陸を発見したコロンブスも
 いました。
  イサベル・フェルナンド夫妻は5人もの女子にめぐまれ、その姻戚関係によってあちこちと同盟を
 結んでゆきました。しかし結婚後まもなくみんな早死してしまい、唯一生き残ったのが、ハプスブル
 ク家のオーストリア大公フィリップと結婚したファナだけでした。

  彼女は精神病を患っていたため、彼女自身が女王の役割をはたすことができませんでした。
 そこでその長男カルロスがスペイン王位を継承することになりました。カルロスはすでにブルゴー
 ニュ公となっており、そしてそののちドイツの神聖ローマ帝国皇帝となりました。

  ここにフランドル、ドイツ、オーストリア、イタリア半島の大部分、そしてスペインとその広大な
 植民地にまたがる大ハプスブルク帝国が生まれました。したがって神聖ローマ帝国カルロス1世と
 スペイン王カルロス5世は、同一人物である。

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