|
SNSで発作的に叩くのは、一種の病気である。
見当違いの意見に道理を尽くして反論するのはわかるが、発作的に感情的な言葉で攻め立てたり、罵詈雑言を吐くのは、まともな神経の持ち主ではない。
例え元の発言に見識がなく、あるいはそれ以上におかしかったとしても、叩くのはほぼ発言者と同じ程度におかしい行為である。
短い攻撃的な言葉を吐き散らすのは、良い大人がやることではないし、いわば捨て台詞のようなものをそこらじゅうでなんの自覚もなく行うのは、酒を飲んで酔ってゲロを吐き散らしているのと変わらない。
それを当たり前のように、得々としてやっているとしたら、これはもうおかしな人と言われても仕方が無いだろう。
しかも、言っていることが前提として間違っていないと勝手に思い込んでいる人間ほどやる。そういう人間は、そもそも自分の言っていることがどういうことかなど考えていない。
そしてもっと愚かなことは、その発言が匿名だからわからないと考えていることである。世の中に本当の匿名性などない。
そもそも、その発言をした自分がそれを発したことを知っている。そのことに気がつかないのは、もう自分がそこにいないことがわからない何よりの証拠である。
言葉の意味を理解する人間が発言においてまず考えるのは、それが自分を指し示す言葉だということである。
どういう人間がそこにあるか、と考える人間である。というか、それが人間であり、そう考えずに何かを発言するのは、知性や理性をもった存在ではない。
それはもう、人間もどきであり人間ではない。
一対一の議論であれば、それはコミュニケーションだが、一方的な発言はそうはいわない。
よくマスコミが「色々と意見はありますが」とあるが、それは悪口雑言をそういえないから代わりにそう言っているだけである。
ことわざに「口は災いの元」とあるが、それはあらぬ発言はそれを発した時点で発した人間を損ねるからである。
自分で自分を損ねることをしてそれがわからないのは、もうどこかおかしくなっていると考えるべきである。
この文章自体、完全におかしくなっている人間にはもう理解できないと思う。
しかし、まだ何処かで正気を保っている人に向けて書いている。
誰かの発言がおかしいと思ったとき、発作的に何かを言うのではなく、まず、それをどうしておかしいと自分が感じるのかを考えてみた方がよい。
世の中に、前提としておかしい、何の疑問もなくおかしいということは無い。
考えてわからないのであれば、それは自分もどこかおかしくなりかけていると自覚すべきである。それは恐ろしいことで、ネットで自分のアカウントが乗っ取られているのとさほど変わらないどころか、自分の心や精神が自分で無い者に乗っ取られているのと変わらない。
洗脳というと特殊なことだと思いがちだが、何も考えずに発言したり、行動したりするのは、それは洗脳と変わらない。
洗脳された者は、自らの意思を何かにゆだねて自ら考えなくても、世の中に大前提があると考える。そしてその大前提の根拠は誰かが考えたことなのである。
これまで何度も書いてきたが、常識、倫理は自分を戒めるためのものであって、他人にそれを強いたり、攻撃したりするためのものではない。
大勢の不特定多数の人間が誰かの発言を叩くのは、その時点で異常と考えるべきである。
また、それを意図して発言しているとしか考えられないような異常な発言は、異常者のやっていることで関わること自体、本来ためらわれるものである。
ネットだから正常でそれ以外では異常ということは無い。どちらも異常なのである。
そういう世界にどっぷりと漬かるのは、もう一種の依存であり、ついやってしまうのは薬物依存と変わらない。もしくはそれ以上に危険な行為でもある。
薬物は薬物を絶つことができるが、この場合、そうした媒介物すらない。
そうした行為に禁断症状すら自覚できない状態にあるのであれば、それはもう立派な病人である。
もしも、その症状がまだ自覚できる状態にあるのであれば、まだ間に合うのでやめたほうが身のためである。
ただ、時間を無駄に過ごすだけでなく、人として大事な何かを損ない続けることになり、いずれ自分自身が正常な判断をできなくなり、誰かにそれを委ねてしまうという恐ろしい状況に陥るからである。
|
全体表示
[ リスト ]







